昨日の日曜日、高校時代の友人たちと久保白の山小屋に集まった。
天気がいい12月の野外は焚火が楽しい。
先週の金曜日はエッセイ教室だった。そのあと、忘年会だった。
土曜日は居合の忘年会だった。
貝原益軒を書こうは、16回目になった。
貝原益軒を書こう 十六 中村克博
小笠原藩の大坂蔵屋敷に行く途中に川べりの船着き場が幾つかあるが、どこも接岸を待つ船でいっぱいだった。それでは藩の蔵屋敷に行くしかないと思っていたところに都合よく伝馬船の空船が近くに来た。小笠原の藩士が掛け合ってくれ、久兵衛と根岸はそちらに移ることになった。
二人は急ぎ船を下りることになって別れの挨拶は互いの船が接舷して離れるわずかな時間に軽くお辞儀を交わすだけになった。伝馬船は船尾の一丁艪をねじり鉢巻をした船頭がゆっくりと漕ぎはじめた。小笠原の船は再び帆を上げて先に進んでいった。久兵衛は座って岸辺に見える蔵屋敷や商家の家並みを珍しげに見ている。伝馬船は艪の動きに合わせるように揺れていた。根岸は見え隠れする小笠原の帆影を立ったままで見ている。左手を刀の笄に置き親指を鍔にかけて舟の揺れと一つになっていた。小笠原の船は行き交う船の帆影に隠れてまもなく見えなくなった。
根岸が久兵衛の横に腰をかがめて、
「夕方になるのに、にぎやかなもんだな」
「このようなにぎやかさは初めてです」
久兵衛は胡坐をかいて刀の鐺(コジリ)を床につけているので鞘が腰から飛び出して柄が顔の高さになっていた。根岸は蹲踞に座り、刀を水平に閂に差して少し前に出した。久兵衛はそれを見て、刀を腰から外して胸の前で抱えるように持ちかえた。
遠くに難波橋が見えてきた。左手に中之島の蔵屋敷を見ながら肥後細川家の橋から筑前黒田家のかけた橋、それに越中橋、淀屋橋、などいくつもの橋をくぐってきたが難波橋はけた違いに大きくみえた。その両脇には幾千件の問丸が甍を並べ連なっている。白壁が夕日に照らされてまばゆいほどだった。積み上げられた俵物が山にも見え次々と移りすぎていき、人や馬、荷車の地響きが凄まじかった。
遠くを見ていた根岸が久兵衛を見て、
「橋桁に大きな反りがある橋だな」
「船の帆柱が届かないように、反り高は二間あるそうですよ」
後ろから船頭の声がした。
「橋の長さは百二十八間、幅は三間あります。徳川様直轄のご公儀橋でございます。浪華の三大橋といえば、この難波橋と天満橋、天神橋のことでございますよ」
船頭はいつの間にかタバコを吸っていようだ。櫓を持つ手にキセルが見える。いらぬ口をはさみまして、というようにぺこりと頭を下げて、キセルをくわえ両手で大きく櫓を漕ぎはじめた。
茶船の数が多くなった。中之島で二手に分かれていた河は一つになって河幅が広くなり難波橋から上流は京の都につながる。この当時の大坂の人口は二十二万人ほど、江戸と京都はともに四十三万人ほどだった。茶船とよばれる小型の川船は十石積で諸国からの物産を小分けして蔵屋敷に運ぶ。それより大きな船は二十石積で上船とよばれた。
何事か、船頭が何度も飛び上がりながら大きな声を出した。両手を口に当てて叫びだした。行き違う茶船がこちらに気づかないようだ。覆いかぶさるように進んでくる。風にはらんだ帆が前方を遮って伝馬船を見逃しているようだ。船頭は叫ぶのをやめて、両手で櫓を体ごと押して船の向きを変えようと必死になっている。久兵衛と根岸はなすすべもなく呆然と立ちすくんでいた。茶船の方も伝馬船に気づいたようで舳先が左に振れたが船尾のほうが伝馬船に当たってすれ違った。激突はまぬがれたが久兵衛は刀を抱えて舟の床に転がっていた。船頭は大事なキセルがどこかに飛んだようで艪を持ったままキョロキョロしていた。根岸は足元に転がっている船頭のキセルを拾って、「探し物はあったよ」と手渡した。
「あっ、どうもすいません」
「驚いたな、どうなることかと思ったよ」
「難波橋から下るところで川幅がせもうなって、船が混雑します」
「それに、この時刻は夕日を真っ向から受けるでな」
「それにしても、お武家様は衝突したおりにも体が動かずに立っておられた」
「はは、船頭さんも、チャンと前を見ておったようだ」
久兵衛は起き上がって着物のゴミを手拭でパタパタと払っていた。
刀を腰に差しながら、
「船頭さん、この付近には旅籠屋は多いのでしょうか」と言った。
「はい、この辺りは茶屋も旅籠も軒を並べております」
「明るいうちに宿をとりたいので適当な浜に寄せてください」
「食事と泊だけでいいのでしょうか、道頓堀には瓢箪町がありますよ」
根岸は船頭の方を向いてニッコリして、
「ほう、ヒョウタン町とはおもしろそうだ」
「はい、太閤様のころ西横堀の東にあった遊里が徳川様の御代になって道頓堀に移されて・・・」
「ほう、大坂の遊郭は話には聞いておるが、どんなだ」
「いやぁ、わっしらには、縁のないところでっして、だいいち、かかぁが・・・」
「なんで、ヒョウタンなどと呼ぶのだろうな」
「新町とも言いますが、なんでも加藤清正様の家臣であった木村ナニガシと言うお方が遊里を支配しておられ、お家に伝わる千成瓢箪の馬印を玄関に飾ってからのことだそうで・・・」
久兵衛が興味に思ったようで、
「太閤様のお馬印を、とんでもない加藤家の侍ですね」
「おもしろそうだ、行ってみるか」
「根岸様、今日はダメです。船旅の疲れをとるのが先です」
船頭が思いついたように、
「それでは、お武家様、垢すり女のおる湯屋がいいですよ。垢すり、髪すき、などなど供してくれますよ」
令和元年十二月五日