ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

タケノコで居合の試し斬りをした。

久保白の水辺に淡竹(ハチク)や真竹(マダケ)が伸びている。

ほっとけば竹藪が林の木々を侵食する。ブナや椿などの木が枯れてしまう。

居合の試し斬りで竹を斬ってもらえばありがたい。

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タケノコの先端部分を横に数並べて斬ると、刃筋の通りがよくわかる。

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幼少のころから居合をつづけている剣士は姿勢もうつくしい。

タケノコでも巻き藁でも空を切るように、スッパ、とかサッとか音が一瞬だ。

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畳表の二巻も、なんど斬っても同じようなきれいな切り口だ。

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この日からちょうど一カ月前には八木山でタケノコ斬りをした。

八木山の竹は孟宗竹で出るのがハチクより一月ほど早い。

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孟宗竹はハチクやマダケより肉厚で硬い。根っこに近いところを渾身の一太刀で・・・

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うㇺ、まがったな・・・ 

孫六兼元の現代まで門跡が続く現代刀の一振りだ。

このあと、刀の修理のために刀功堂に走ったようだ。

 

 

先週の19日金曜日はエッセイ教室だった。

 

貝原益軒を書こう 二十一                  中村克博

 

 食事の部屋は二階だった。侍女ふうな中年のふくよかな女性が案内した。根岸は久兵衛の後ろからつづいた。長い畳廊下を通り大きな石蔵の扉の前を左に曲がると三尺幅のやや急な階段があった。途中で小さな踊り場があり鉤の手に上っていた。久兵衛も根岸も刀は預けず右手に持っていた。女が裾をからげて左足が一段上がるたびに白い足袋と着物の間に肌がのぞいていた。久兵衛はすぐそれに気づいて目が張り付いた。刀のコジリが壁に当たって音がした。久兵衛はハッとしたように目をふせた。部屋は八畳が二間つづきで夕日が部屋の右に傾いて池のある広々とした庭が見渡せた。

二人はすすめられるとおりに床を背にして座り侍女ふうの女が階段に近い角に座った。すぐに二人分の茶が運ばれてきた。女は問わず語りにこの建物の由緒と、久兵衛たちが船で出会った商人親子について話し始めた。この建物は大坂のとある豪商の別邸だったが豊臣方に味方して没落した。それを買い取ったのは久兵衛たちが船で知り合った堺の商人で江月宗州といい、津田宗及とは父方の縁につながるらしい。堺と京都を行き交うおりに枚方のこの建物に立ちよるのが常らしい。

女が席をはずしてほどなく江月宗州と娘が上がってきた。隣の部屋から正座して扇子を前に挨拶をした。久兵衛たちは挨拶を交わしながら席を入れ替わろうとしたが、江月宗州は笑顔でそれを制しながら席に着いた。すぐに夕餉の料理が運ばれてきた。

「無理にお誘いしたようで、ご迷惑かと思いますが、どうぞおくつろぎください」

「いえ、いえ、あつかましくお誘いをうけて・・・ かたじけないです」と久兵衛がいった。

 宗州が久兵衛に酒をさした。娘が根岸に酌をして、父にも注いだ。根岸が娘に酒をすすめると父の顔を見た。父は笑ってうなずいた。

「では、すこしだけ」といって根岸の酌を受けた。

 あらためて互いの身の上を簡単に話したあと、船での予期しない騒動の話になると思ったが宗州が意外なことを言いだした。

「お気づきになったかもしれませんが、私はキリシタンです」

 久兵衛も根岸も何と言っていいか分からず、二人の顔を見ていた。

「信長さまのころから、何代も前から受け継いでおります」

「信長公の戦乱のころからですか、キリシタンに」

「そうです、茶の湯の三宗といわれる千利休今井宗久と共に、天王寺屋の三代目、堺の津田宗及は私の父方の祖先になります」

 久兵衛がそれに応えて、

「そうですか、わが黒田家の初代長政公もキリシタンでダミアンという洗礼名があったのですが慶長十七年に江戸幕府が発令した禁教令に従われ、棄教されました」

「そうですね・・・ 黒田如水公もメシオンとの洗礼名があったと聞いておりますが」

久兵衛は、それに応えず、記憶を探る様子もなく即座に、

天正十五年六月に太閤殿下が筑前箱崎で伴天連追放を宣告する文書をポルトガルに手渡しますね。それには伴天連の退去と布教は禁じますが貿易の自由はお認めです」

 宗州が納得しかねるようすで、

「その前の年ですか、天正一四年には大坂城イエズス会宣教師ガスパール・コエリョを引見され、イエズス会に対して布教の許可証を発給しておられるのですが・・・」

 根岸は難しそうな話にくわわらずに娘の酌を受けて嬉しそうだった。娘の話に声を出して子供のように笑っている。

久兵衛が横眼でそれを見ながら、

「九州平定後の筑前で太閤殿下は、長崎がイエズス会領となっていることを知らされ驚かれてとか、ポルトガル船を視察した折に奴隷として売られた日本の娘たちを見て激怒されたとか・・・ それよりも、ポルトガルやスペインが世界中でどのようなことをしているかを十分に知っておられたと思います」

運ばれた料理がまだ手つかずに並んでいる。宗州が気付いて、あわてて箸をとって、みんなに食事をうながした。

 根岸は待っていたように箸を煮転がしの芋に突き刺して口に入れた。それを見て娘が口を隠して笑いながら

「根岸さま、子供のようです。お行儀のわるいこと」

「や、ゃ、異なことを、箸をさしてはいかんのですか」と言いながら根岸は箸先についた芋を舐って塩焼きの魚の身をほぐした。娘はあきれたように口をつぐんだ。

 根岸は飯をかき込みながら、

「女人と一緒の席で、向かい合って飯を食うなど初めてで、照れますな」

「あら、お船でもたくさん召しあがっておられましたよ」と娘が笑って言った。

 宗州が顔をほころばせ、

「今日はいろいろあって腹がすきましたな」といった。

 久兵衛が話をもどして、

キリシタンの宗派にも西洋では新旧いくつかあって互いに争っています。わが国にはじめて来たのはカトリックイエズス会宣教師ザビエルですが、ポルトガルから来たスペイン人です。オランダはカトリックに対立する、と言うよりスペインから八十年戦争で独立したばかりのカルバン派プロテスタントです」

「そうでか、なんだか込み入って訳が分かりませんが・・・」

「そうです。西洋の王国同士の戦争や宗教問題などが理解できないと我が国でのキリシタンとのかかわりは理解できませんね」

「ルソンはスペインが宣教師を送り込んで、今はスペインが占領していますが、太閤殿下はそこに侵攻することも考えられたようですね」

「スペインは震えあがったでしょう。ところが、太閤殿下は北進して朝鮮から明国へ兵を出されましたが、その真意もいまだわかりませんね」

「いま、明国は満州の清に南に追いやられ、鄭成功が再興を図って江戸幕府に援軍の要請をしておるそうで、家光公も御三家もその気らしいですね」

「えっ、なんと、そのような噂がすでに・・・」

令和二年六月十九日