手入をしていないので野生の花のようにたくましい。
竹が倒れてかぶさっていたり、ツタがからまったり、それでも花をつけている。
ドウダンツツジの花とショロの葉をいけていた。
コロナで居合の道場もエッセイ教室の閉鎖になって半月になる。
居合は毎日部屋で稽古している。小説の原稿も書かねば先に進まない。
貝原益軒を書こう 十八 中村克博
久兵衛たちは余計かと思いながら、船の中ほどにある胴の間を畳一畳ばかりを借り切っていた。ところが、ゆっくり座れるはずが升席の境をこえて幼い子供づれの婆さん乗りこんでいる。文句の一つでも言えばいいのだろうが、それができない。まったく困ったもんだと思いながら座っていた。隣の席には品のいい二人づれ、町人親子だろう、初老の父は押し鮨の入った檜の桶を開いて箸を使っている。娘のほうは鮨の入った小ぶりの檜の曲げ物を開かずに膝の上に置いていた。あちこちから乗り合い衆の話がにぎやかに聞こえてくる。黙って聞いていると継ぎ接ぎの世間話がおもしろい。退屈しのぎだろうか馬鹿になって大きな声でしゃべる。お国自慢に名物自慢、しまいには古の豪傑の話がでてくる。市井の営みがのぞけるようだ。
舳先のほうが騒がしくなっていた。数人の男がけたたましく怒鳴り合ううちに女の嬌声も聞こえて来た。久兵衛は注文した餅をすでに手にしていた。餅を両手に持ったまま膝で立って騒ぎの様子に首を伸ばしていた。
騒ぎがさらに大きくなった。町人風のずんぐりした風体の男が立ちあがった。その姿は目立つ柄の単衣に紺の博多帯、千種色の半股引という粋を絵に描いたような姿で、着物の裾を三方高く端折っている。その町人が数人の武士に向き合って刀は差さずに杖のように体を支えて怒鳴っている。武士の一人が立ちあがった。こちらは、えらく長い刀を差して女物の着物を羽織っている。肩から掛けた赤い色が際立つ絵柄の小袖で、風になびいて奇抜であった。
船の乗合客は騒ぎのとばっちりを受けないようにとその場を避けるので船はいっそうに込み合っていた。船頭は騒ぎが気になる様子だが竿さばきに忙しく船の行く手と騒ぎを交互に見ていた。騒ぎに気をとられていた久兵衛が根岸はと見ると、左手にした端の欠けた茶碗から何事にもないようにごぼう汁をうまそうにすすっている。
くらわんか舟は、この騒ぎでは商売にならないと離れていった。根岸にはまだ、ごぼう汁しか届いていなかった。待っていた飯の椀が来ないのを情けなさそうに離れていく小舟をながめた。隣の席の娘が根岸に声をかけた。
「よろしければ、この鮨をめしあがってください」
父親がそれを見て、
「娘は船酔いのようで、いけません。よろしければ、どうぞ」
根岸はうれしそうに鮨の入った箱と娘の顔を交互に見て、
「これは、これは、かたじけない。遠慮なくいただきます」
久兵衛はその様子を見て、なぜ、この人たちは舳先の騒ぎが気にならないのかと思った。根岸は空になったごぼう汁の茶碗を床に置いて、箸を持つ右手で鮨の入った箱の蓋を開けようとしていたが、きっちり閉まっていて蓋がとれない。見ていた娘が笑って根岸から箱をとって造作もなく開けて返した。根岸は不思議な顔をして受け取った。
娘が言った。
「箱の縁を少し押すと空気が入って・・・」
「そうですか、かたじけない、いただきます」
久兵衛が隣の親子に声をかけた。
「あの騒ぎはどうしたのでしょう」
初老の父親が茶を一口飲んで、
「粋がる人たちが当世多くなりましてね」
「しかし、近くに女も子供もおりますが、危なくありませんか」
「船の中では刀は抜けませんよ。狭いし、それに切腹か打ち首になります」
なるほど、船の屋根は立って動くには低すぎる。あんなに長い刀では振り回せないと思った。
そのとき、船が大きく左右にゆれた。怒鳴っていた町人は刀を杖に身をささえたが、長い刀を差して腕組みしている武士は酒も入っていたので、よろめいてつんのめりそうになった。長い刀のコジリが近くの人の頭をしたたか打って痛そうな音がした。頭を打たれた男は怒って、よろめいている武士の尻を思いっきり蹴ったからたまらない。もんどりうって船べりから転がり落ちてしまった。さいわい近くの茶船が水に落ちた武士を拾い上げたが、羽織っていた女ものの着物は流れていった。その様子を見た船の雑踏の中から笑い声が聞こえていたが、押し合う乗合客は心配そうに黙ってその様子を見ている者もいた。
そのとき、船から落ちた武士の仲間が二人、先ほど武士の尻を蹴った人にとびかかり、押さえつけて茶碗や酒徳利で殴りつけ始めた。
すると、さらに、もう一人、残っていた派手な格好の武士が町人風のずんぐりした風体の男に向かって突進し長い柄頭を鞘ごと突き出して鳩尾を狙ったが、かわされて取っ組み合いになった。武士は左手で鍔を押さえているので右手しか使えない。すぐに、ずんぐりした風体の町人が武士の首根っこを押さえつけた。武士は前にのめって尻高く両手を床についたので長い刀の柄頭が下になり刀はすらりと半分ほども抜け落ちた。濤瀾刃が昼の日差しに輝いた。再び船は大騒ぎになっていたが、騒ぎは派手な白刃が抜け落ちたからではなかった。両手をついた武士の襟元から金色の十字架が紐の先に光っていた。
乱闘騒ぎを取り巻いている船客の中からざわめきがおきた。
「キリシタンだ」
「キリシタンの十字架だ」
首根っこを押さえていた町人は十字架の武士から離れて棒立ちになっていた。
両手をついた武士は刀を鞘に納めて、襟元の金色の十字架をあわてた様子もなく襟元に隠した。
船中の乱闘騒ぎは鼻白むようにおさまった。キリシタン禁制のおふれは国の隅々にまで行きわたっているようだ。
久兵衛は根岸の近くにもどっている。町人の娘はいつの間にか根岸に寄り添うように端座して両手をかさねていた。
根岸が言った。
「おじょうさん、船酔いは治ったようですね」と笑った。
娘はうつむいて、うなずいた。
娘の父親が騒ぎを見ていった。
「キリシタンは大名から下々の武士にまで広がっていますからね」
根岸が不審そうにいった。
「いまだにキリシタン大名がいるのですか」
娘の父親が声を落としていった。
「徳川の二代将軍、秀忠公も一時期はそうですな」
「なんと、そのような、たわけたことが」
「そうどす、禁教令は幕府から何度も出ておりますのにな」
それを聞いていた久兵衛が、
「黒田如水公は洗礼名がメシオンさまです」
根岸がつづけて、
「そうか、そういえば拙者が博多の能古島に公用で出向いたおり、山の上に島民の墓地があったがキリシタンの墓標が幾つもあった」
「黒田長政公は棄教されますが、それまでの洗礼名がダミアンさまですね」
船内の騒ぎはおさまっていた。船の左右に、いつの間にか幕府の番所の船が並走していた。この船は京まで行く予定を変更して枚方止まりになった。湊はすぐだった。そこで乗合客は全員が降りることになる。
娘の親が根岸にいった。
「宿のあてはございますか」
「京まで行くはずでしたが、乗りかえては夜遅くなりますし・・・」
「よろしければ、私どもと同じ宿をいかがですか」
久兵衛が根岸を見ながらこたえた。
「それはありがたいですね。よろしくお願いします」
根岸がうれしそうに、娘を見ていった。
「飯もいっしょに、話もおもしろそうです」
娘もうれしそうに、うなずいていた。
令和二年四月二日