ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

根岸が手裏剣を使うと・・・

今日は午前中エッセイ教室だった。

提出した原稿は、すさまじい剣戟の情景を書いた。

 

貝原益軒を書こう 二十八              中村克博 

 

 

 月が東の空に高く雲間から見えかくれしていた。ときおり風が吹いて松の小枝がゆれている。風の音はない。いくつもの寺がつづく通りに人影はなかった。久兵衛と根岸は大きな松の木陰に身を隠すように立っていた。久兵衛はときに膝を折ってしゃがんだり、松の木に肩をつけてもたれていた。二人は半時ばかりそこにいる。

 大徳寺の方から灯りが小さく見えてきた。手提げ提灯がひとつ近づいてくる。提灯が人影を映して四人が一間ほどの間をおいて並んで来る。提灯を持つ男の前に一人、武士のようだ。三人目は公家のようで太刀を水平に佩いている。そのうしろに、もう一人武士がいる。

 風がふいて足元で小さな音がした。ポトリと松かさが落ちる音だった。久兵衛がギクリと身をよじった。

 根岸が久兵衛に殺した声で言った。

「そのように硬くなっては、まわりが見えまい。ふぐりをゆっくり揉むといい」

 久兵衛はチラリと根岸をみて、言われたとおりに右手を袴の前紐の下にいれた。風がふいた。雲間が広がって月が明るくなってきた。

 

 提灯が止まった。提灯を下げた男の前を歩いていた武士が身を低くして刀に右手をそえるのが見える。その前に三間ほどはなれて柳生の武士が立っている。両手は下げたまま立っている。寺の白い塀を背景に向き合う影がとまって動かない。ここからの距離は三十間ほど、体を低くした武士の誰何する声が月あかりの静寂をやぶった。

 そのとき、根岸がいる目の前の松林に人影があらわれ公家の方に向かった。それに気づいた公家の後ろを護衛する武士が呼応してこちらに進み、ゆっくり抜刀して正眼に構えた。

 提灯を持った男は蝋燭の火を吹き消すと足元に置いて、もと来た道を振り返り勢いよく走り出した。助けを呼ぶためだろう。男が走る先に、こんもり茂る大きな樟の木があった。その大きな幹の暗い空洞から人影が飛び出した。柳生の武士だ。男とすれ違いざまに体を左にまわした。月の明りに白刃が光った。男は走りをとめ、数歩あるいて力が抜けたように膝を突いた。首と左肩が着衣のまま体から離れた。切り開かれた右の首から左の脇までが頭を下にして落ちていった。柳生の武士は血刀を拭わず素早く納刀して柄に手をかけたまま摺り足で公家に近づいた。公家は一人で寺の白い塀を背にして立っている。

 

 根岸の前方では、対峙して正眼に構える公家方の武士が、じりじりと詰めていた間合いの足をとめた。すかさず柳生の武士が左足を擦り出し抜き打ちで大きく左袈裟に斬りつけた。それを誘いの太刀と見抜いて左足を引き剣先を下げてよけた。柳生の武士は刀を右脇につけ剣先を後ろにした。左肩を前にした半身で敵からは体の半分と刀身は見えない。間をおかず相手の右手に踏みこんで体を左にまわしながら斬り上げた。相手は右足を引き右手を引き上げて受けた。刀が打ち合う音がして火花が飛んだ。斬り上げの勢いが強く、受けきれず左肘が斬られた。ところが、斬られた左肘にかまわず右足を踏み込んで上段から斬り下してきた。刃風が唸るように聞こえた。柳生の武士は右足を引いて体をもどし、右手を引き上げて刀身で受け流したが刀をまわして斬りかえす余裕はなかった。相手の武士は上段の構えから正眼にもどりながら二間ほど下がった。

目にもとまらない動きがうつくしかった。息を呑むように見ていた久兵衛は、右手はまだ袴の中に入れたままだった。大きく息をすって、根岸に言った。

「互角の争いですね」声が震えていた。

「肘が深手のはずだが・・・ しかし時間が無い」

 根岸は何度か膝を大きく屈伸している。

「根岸さん、どうするのです。手出しはできませんよ」

 根岸は応えず笑顔で、腕を上げ背伸びしたり、腰をひねったりしていた。

「相手は手ごわい、尋常でない使い手のようだ。おぬしは、ここを動かんほうがいい」と言って左手を刀の栗形にあてた。

 

 これよりも少し前、最初に出てきた柳生の武士はまだ刀に手をかけずに立っていた。公家方の武士は正眼の構えから、左足を一歩踏み込んで右膝が地面の石畳につくほど腰を低く落とし、刃を上にして頭上にかかげた。刀の下にもぐるようにして切っ先は柳生の武士の右目に向けられている。柳生の武士は左足を少し横に開いた。右足がそれについてくる。草鞋が砂をこする音がした。その動きに切っ先がピタリと右目に向きを合わせてくる。柳生の武士は公家の進路を阻むのが役目で先に仕掛けることはしないようだ。

 

 根岸は松の木の影から出て歩きはじめた。柳生の武士の後ろを左に回り込んで公家の武士に近づいた。四間ほどの距離があった。

「手出しは無用に」と柳生の武士が言った。月の明りで白髪が目についた。

 公家方の武士が構えを八双にかえた。それと同時に根岸の右手が一瞬、弾けるように前に出された。手裏剣が飛んで右の胸に刺さった。真上に上げていた切っ先が右に傾いた、そのとき柳生の武士が飛び込んで左の脇腹に鍔元をたたきつけるように深く横に払った。ガッチと妙な音がして、胴を払われた体は蹲るように倒れ込んだ。柳生の武士は止めを刺さずに、そのまま公家に向かって走った。根岸が近づいた。刀を持つ右手を踏みつけ、屈みこんで手裏剣を抜こうとした。鎖帷子を着けていることがわかった。六寸もある槍の穂先のような手裏剣はなかなか引き抜けない。体の中で手裏剣が動くたびに苦しそうな声を出している。まだ息がある。柳生の放った横一文字は鎖が受けて致命傷にならなかったのだ。根岸は手裏剣を懐紙でていねいにぬぐった。下から清んだ目でこちらを見ている。まだ若くて、端正な顔をしていた。根岸は若者の右手の刀をとって踏みつけていた足をはずした。

「いい残すことがあれば・・・」と言いかけてやめた。

 若者は謝するようにうなずいて目を閉じた。根岸は左手で鎖帷子の襟を持ち上げ首筋に切っ先を近づけて鎖骨との間からスーッと刀を半分ほど胸の中に差し込んだ。血は出ない。少し引き出し、もう一度こんどは探るように差しこんだ。 

令和二年十月十六日