ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中、エッセイ教室に、夕方から居合に行った。

エッセイ教室に提出した原稿は、


    居合について書きはじめたが、            中村克博


 日本刀はいつのころから片刃で反りのある形になったのだろう。飛鳥、白鳳、天平の時代は両刃の直刀だったようだ。聖徳太子と言われる画像にも吉備真備銅像にも腰に下げているのは諸刃の剣だ。坂上田村麻呂征夷大将軍として蝦夷を攻めた平安時代の始め、そのころも諸刃の剣だったのだろう。
蝦夷の兵士が使っていたのは蕨手刀といわれる。蕨手刀は柄頭が蕨の若芽のように、くるりと巻いているのでその名がついた。反りのある短い刀で馬上から片手で打ち下ろす。
 京都・神護寺蔵の国宝で、頼朝とされる人物と一緒に描かれているのは毛抜き型の太刀といわれる。毛抜き型の太刀は蝦夷の兵士が使っていた蕨手刀から発展した。反りが深くて長い。毛抜き形の太刀は柄の握りに透かしが入って両手で使うことができる。この細長い隙間によって敵を切りつけたとき自分の手への衝撃を和らげることができる。
剣の短いものに長い棒状の柄を付けたものが鉾だが、このころはまだ槍はなかったらしい。集団戦闘で槍が使われだしたのは鎌倉時代も終わりのころだそうだ。南北朝時代になって南朝の九州宮方の中心勢力となった菊池の騎馬軍団がめっぽう強かったのは日本初の槍騎兵の集団突撃によるものだった。信長の時代になると火縄銃が出現する。いよいよ刀の出番はなくなるのだが。


そもそも刀はどんな使われ方をしていたのか。ヤフーの知恵袋を覗くと、平安時代鎌倉時代の合戦について、次のような設問があった。


平安時代鎌倉時代はまだ、馬上の武士同士が一騎打ちをして勝敗を決する時代だったと思うのですが、
いくつか疑問があります。

対一の一騎打ちで合戦が進行していくのなら、一万人中の50人の精鋭を集めて 結成した部隊で戦をしたほうがいいのではないでしょうか?

このころの武士は剣術を習っていたのでしょうか?習っていたとしても、馬上で戦うのですから、必要じゃないと思うのですが…。
それとも、平安時代鎌倉時代には馬上で戦う為に考案され、始まった剣術の流派があったのでしょうか。

一騎討ちの際は槍や太刀を使って戦う距離まで互いに接近したら、ほとんど馬は動
かさずに、ただ敵の突きを避け、太刀で斬って、避けられ、また敵の突きを避け、太刀で斬って、、、、と繰り返すのでしょうか。
それとも互いに馬を走らせ、すれ違う瞬間に斬るのでしょうか。


ベストアンサーに選ばれた回答
この時代 合戦の主流は弓で、両軍の矢合わせから始まり両軍がぶつかります。この時両軍の名ある武将が一騎打ちをしますが、徒歩武者や足軽クラスの兵も戦っているので、一騎打ちだけで勝敗が決まる物ではなく、総大将ともなれば一騎打ちなど応じる事はありませんし、廻がさせません。(大将が討ち死にすれば合戦は負けになりますから)
剣術は習っていません、馬の上から弓を射る 騎射が中心で刀は「打ち物」と言って補助的な武器でした。両軍の将校クラスの武将が名乗りを上げ馬を接近させ お互い輪乗り(ワノリ、馬が小さく円を描くように走らせる走法です)をしながら弓を射る戦法で、矢が尽きた時は太刀を抜いて斬り合いますが、この太刀は馬上刀と言って 馬の上から歩兵の頭を斬ることが出来るほど長い刀です、それでも決着がつかないときは「いざ組まん」と組討(クミウチ)に入り相手を組み伏せて、鎧通し(ヨロイトウシ・九寸五分とも言う)と言う小さな刀を抜いて相手の鎧の隙間に突き刺してし止めます。
この時代 槍はまだ使用されておらず、奈良時代は矛が使用されましたが、騎射が中心となったため廃れました。その代わり歩兵が馬の足を斬ることが出来る薙刀(ナギナタ)や長巻(ナガマキ・刀の柄が1mぐらいある物)が使われました。槍が出てくるのは、南北朝時代短刀を使った菊池槍あたりからで 戦国時代のように侍大将が馬上で振り回す事はなかったようです。
大将は弓を使う(今川義元徳川家康は街道一の弓取りと言われたのもこの辺から来ています)のが当たり前で、剣術は歩卒(足軽などの意味)の技とされた時代です。剣術じたい1400年代、室町中期に念阿弥慈恩の念流や飯塚長威斉の天真正
伝香取神道流などが出てくるまで、体系だった剣術はありませんでした。


   ヤフーの知恵袋に以上の回答があった。原文のまま引用した。


江戸時代の後期、平戸藩弟九代藩主で随筆家でもある松浦静山心形刀流の居合を修めていたそうだが自著の「剣談」に居合について述べている。
  居合とは読んで字のごとく、剣を抜くことにあらず、敵と居座り向かい合うとき、「心機に応じて発するところを勝つ神気」をいうのである。その習いの要訣にいわく、抜きて斬る者はその斬ること「鞘の内」にあり、と。敵のチラッと動くや即ち鞘の内にあってこれを斬る、という心づもりをおしえるものである。
また、「宮田流極意」という伝書には、
居というは一心の儀なり。一心居所に居ざれば万事をしること難し。依って、変に合わざるなり。一心居る所に居て変に応ずるを居合といい…。云々と。


居合というものを言葉にするのは難しそうだ。かえって訳がわからんようになる。
平成二十九年十一月十六日