ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

一昨日前の金曜日は午前中エッセイ教室だった。

提出した原稿は、

すこし遅れた彼岸参り              中村克博


 秋のお彼岸明けから一日おいた先週の木曜日、妻の実家にすこし遅れたお参りに行った。JRの長崎本線「かもめ」に博多駅から乗った。連日降りつづいていた雨がこの日小降りになっていた。ほぼ満員の自由席だったが都合よく相席に座れた。
 曇り空の車窓は街並みが過ぎ郊外の景色に変わっていた。来週はエッセイ教室があるなぁ、なにを書こうかと思っていた。隣の席では妻が本を読んでいる。僕はショルダーバックからタブレットコンピュータを取り出した。妻がこちらを向いた。肥前鹿島に着くまでの時間、二人で最近の世情をキーワードにして思いつくままに記録しようと提案した。妻が了解したのでさっそく、豊洲市場の問題、マイナス金利、ヨーロッパの難民問題などなど、つぎつぎとキーボードに打ち込んでいった。コンビニの増加、サプリメント市場の急増と、そのあたりから言葉につまってきた。互いの認識の違いを意見交換したり、キーワードの表現にも工夫がいるようになった。そのうちに肥前鹿島に着いた。
 お昼の食事をとる合間にも時折り意見交換がつづいていた。曇っていた空から小さな雨が降っていた。二人でチャンポンを食べおえたころ実家の人が食事処まで車で迎えに来てくれた。妻はチャンポンを懐かしい味だと何度も言っていた。むかしと同じ味だといった。
 仏さんにお線香をあげて、実家の人たちと笑いのおおい会話がつづいて、オハギのはいった重箱をいただいて夕方の「つばめ」に乗った。帰りの座席も相席に座れた。キーワードはすこしずつ増えていった。博多駅に着く前にタブレットコンピュータから家の卓上パソコンにデータを送信した。
 今日は週明けの月曜日、週末はいろいろと忙しかったが昨夜パソコンを使ってデータをグループ化し終えた。妻は掃除の合間など時々顔を出して口添えしてくれた。グループごとに付ける見出しもアドバイスを参考にした。四段階目で図解は六つのクループになったが、まだまだシンプルにと最終的には三つのグループになった。これで夫婦の共通認識ができあがった。あとは叙述化するだけだが文章にするのはやめにして、図解にする経過そのままをエッセイ教室に提出することにした。 


平成二十八年十月三日



基本データーは48個だった。一回目のグルーピングをして見出しをつけた。

二度目のグルーピングと見出し、さらに三度目のグルーピングと見出しを付けた。

最終的には三つのグループになった。
より精神性を大切にする価値観が世界標準になるのがろうか
との言葉になった。