福岡から二時間半ほど、平戸大橋を渡って松浦家の歴史資料博物館に着いた。
現在の歴史資料博物館は旧藩主松浦家の住居だった建物らしい。
「閑雲亭」で濃茶がふるまわれた。
この草庵は明治26年に松浦氏の邸宅の敷地内に建てられたそうだ。
茶懐石は江戸時代の資料を読み解いて、食材をそろえて料理方法を研究して、
板前さんたちと宗家ご夫妻が、さまざま工夫して当時の味を再現したらしい。
器も膳も松浦家に伝わる当時のもの。宗家の奥方から丁寧な説明があった。
お椀の蓋をとると膳の右横に重ねて置くらしい。僕は知らなかったので膳のまわりに置いている。
閑雲亭では松浦宗家の興味ぶかいおもしろい話が聞けた。
むかし、茶道は武士の心得だった。
補足的であるが茶道は武道との精神の均衡をとる大切な要素だった。
僕の幼稚な質問にも気さくにていねいに応えてくださった。
おも菓子も江戸時代に用いられたものが同じように出された。
ほんとうに貴重な体験をさせてもらった。妻について行ったおかげだ。
『宗及茶湯日記』が展示してあった。 この茶会記は、堺の豪商天王寺屋津田宗達、
宗達の嫡子宗及、宗及の子宗凡と江月宗 玩の三代にわたる茶会記録だが、
単なる茶会記録としてばかりでなく、織田信長から豊臣秀 吉に至る桃山期の
歴史的事実を探るうえでも貴重な資料となっているそうだ。
祖先から伝わる日本の文化は、
物や立ち居や精神を今の生活の中に受け継いでいくことで生きている。
ウイリアム・アダムス(三浦按針)の住居跡がお菓子屋さんになっていた。
松浦家の御用菓子司を務める蔦屋は日本で最初の洋菓子を作って五百年。
ウイリアム・アダムスは徳川家康の外交顧問、三浦に領地を持つ幕臣旗本になった。
平戸の交易にも参画して、老後は平戸で暮らしたらしい。
我国で初めて、オランダ商館やイギリス商館をたてヨーロッパとの交易を
始めたのは平戸の松浦家だった。そのころ長崎にはまだ出島はなかった。
茶会が終わって小さな乾物屋で飛び魚の干物の「あごだし」を買った。