ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

エッセイ教室に行った

今回はちょっと変わったことを思いついて、やってみたら
大変なことになった。エッセイは日常の実際にあったことだが、
物語風に想像で書くと調べる時間がかかって、筆は進まないのがわかった。



         前回のエッセイ教室で                  中村克博

 前回のエッセイ教室で「茶道 そろりあるき」という題の作品が篠田さんから提出されていた。僕はこの日「鎮西八郎為朝と二八騎」という題で提出していた。それで、あることが思いついた。「茶道 そろりあるき」でのお茶事の様子を「鎮西八郎と二八騎」の流れで平安時代の末期を背景にして書いてみようと考えた。


 桶にはお湯が少したしてあった。あがり框に腰を下ろし脚絆をといて、わらじを脱いだ足を入れている。凍えた足が痛いほどに気持ちいい。目を細めてしばらく動かなかった。両手はかるく印を結ぶようにあわせ膝の上にのせている。
「禅師さま、お湯をも少したしましょうか」
傍らに、手渡した荷物を抱えた若い女が笑顔で見ている。
「いや、いい加減じゃ、ありがたい」
栄西は旅の手甲を両手からはずして桶の中の足をもむように洗った。ゆっくりした動きだが桶の水がはねて、たたきの土をわずかに濡らした。
「禅師さま、わたくしがお洗いします。つとめでございます」
「いや、かたじけない」
栄西はほほえんで女を見上げて、傍らに置かれていた足ふき布をとって足をぬぐいはじめた。指のあいだ一つ一つまで丹念にぬぐった。
「去年まいったのは秋の蝉がなくころだったな。少しふくよかになられた」
 女ははじらい、手にしていた栄西のかぶり笠で顔の半分をかくした。
栄西は足をふき終わると外をみた。玄関の引き違いは開けられたままで朝の日差しが土間の奥までとどいていた。
「部屋に火がはいっております」 
女は荷物を手にしたまま裾をからげて履物をぬごうとしていた。左手で裾をつかもうとするが包みを持つ手が難儀していた。栄西は先に立って寄り付きの襖を開き一段高くなった板張りに左足からはいった。すぐあとに荷物をかかえた女が続いた。女は向きを変えて膝を突いた。荷物を置いて両手を使って襖を静かに閉めた。この部屋は天井がひくい。中の間になっていて薄暗い。瓶掛けの炭が赤く見える。栄西は旅装をといて持参した法衣に着かえた。女は器に湯をそそいで薬缶の水をくわえた。湯冷ましが用意してあったが使わなかった。部屋はあたたかかった。 
「幾つになられた」ふいに栄西がたずねた。
「この正月で十四になりました」
栄西はうなずいた。火のそばに蒲の葉で編んだ円座に座って湯を口にはこんだ。少し熱かった。口をすぼめて息を吹きかけ、もう一口のんだ。
「禅師さまはお幾つになられました」女は栄西の着かえたものをたたみながらたずねた。
「五十五になります」と応えたあと、押し板の花に目をうつした。
「今年は建久六年、万年寺の虚庵さまにお別れしてもう五年になる」とつぶやくようにつづけた。
 女は手をやすめて栄西を見た。万年寺は宋の国のどこにあるのですかと、たずねたかったが、たたみおえた衣類を手に、表の部屋の用意ができているのをことわって部屋を出た。庭は朝日でまぶしかった。英彦山にかくれて遅い日の出だが、それでも朝日は中岳より高く青い空に輝いていた。若い武士が二人しゃがんで庭の鳥の親子にえさをやって楽しんでいる。栄西にお供してきた添田に土着する豪族の郎党たちだ。そりの高い刀を差さずに佩いている。女にきづくと太刀の鍔に指をかけて立ち上がってお辞儀をした。
 栄西は部屋を出た。廊下の障子は閉じられていたが明るかった。障子を少しあけて外をみた。庭ごしに目をおとすと川辺が広がって一面に枯れたすすきの穂がゆれてる。その先の川づらがきららかに光ってみえる。日差しがあたたかい。濡れ縁にでて、しばらく景色をながめていた。
 部屋の障子を開くと囲炉裏のむこうに定秀が足を組んで座っていた。栄西をみると、いずまいを少しなおしたがすぐに口元がゆるんだ。
「よくおいでいただきました」と定秀はゆかに手をついて頭を下げた。
栄西は「おひさしぶりです」とこたえて後ろ手で障子を閉めた。部屋はまだ煙の匂いが残って囲炉裏には熾火(おきび)が赤々と燃えていた。薪を炊いて部屋を温めておいたのだろう。天井はなく大きな松梁が組まれた屋根裏が黒く見えた。
栄西は軸のかかった床を背にした座をさけて、定秀と囲炉裏をはさんで正座した。手を膝にそろえて頭を下げ、あらためて新年の口上をのべた。軸を見上げた。「独来独去、無一随者」と書いてあった。栄西は無表情に何も言わずに頭を下げた。軸のある床に花はなかったが、明るい障子のわきに目をうつすと唐金の壺に梅と黄色い草花が活けてあった。
「ほう、梅が少し開いておりますな。香椎からの道すがら日和がよくて、このたびも添田にとまりましたが、この近くの梅はまだ固いつぼみでしたな」
 この梅は自分の訪れをみはからって、まえもって切ったものだろう。温かい明るい部屋に十日ほども入れておくと梅のつぼみは早くふくらむようだと栄西はおもった。
「きいろの花は大根ですな。畑に残った大根があちこちで見られました」
 花の器の横にかなまじりの短冊がぞんざいを装うように置かれていた。
「ほう、好語説き尽くすべからず、ですか」と声に出しにんまりと笑った。
 定秀は恥ずかしそうに頭に手をやった。「いらぬことを言うなと、いらぬことを書きよりましたな。いや、はずかしい。今年六五になって、まだまだでございます」定秀はしどろもどろに応えて、更に、いらん言を重ねていた。囲炉裏に竃子(くどこ)がはいり、熾と灰がととのえられて炭がつがれている。そのあいだに白湯がだされた。炉縁がはき清められて茶釜がすえられた。
「炉縁をかえられましたな」
「去年の風で倒れた柿の古木で作りました」
「その茶釜は先年わたくしがお持ちしたものですな」
「さようです。もっぱら、湯相の音がいいこの釜をつかっております」
「釜肌の色合いも良くなりましたな。栂尾の明恵さまにも茶の種といっしょに芦屋の茶釜をお届けしております」
 釜の湯が煮えるのをまつあいだに懐石がふるまわれた。飯椀と汁椀と向付けがのった膳がはこばれ、盃器がでて酒がつがれた。それから煮物椀、近くの渓流でとれた焼き魚と続いた。膳がひかれたあと主菓子がだされた。
「ほう、これはおいしいですな」
「蒸し栗の実をつぶして蜂の蜜をねりこんでおります。薬味などに宿坊で工夫をこらし、このあたりの百姓の農閑かせぎになっております。横流しを禁じ、すべてを英彦山で買い付けます」
「秘伝の主菓子の幾つかは草薬についでの財源になりそうですかな」
「いや、いや、むりでしょう。日もちがしません。それに手間がかかっていけませぬ。それよりも、茶の栽培がさかんになっております。薬効だけでなく近ごろでは博多でも人々の日ごろの楽しみになっておるようで、栄西さまのおはたらきです」
 前座は終わった。栄西と定秀はつれだって縁から庭にでた。日は高くなっていた。遠くから規則正しい鉄を鍛える槌の音が聞こえてくる。二ヶ所、三ヶ所、もっと多い。庭下駄のまま二人は川岸にまでおりていった。栄西は後ろから警護の武士がついてきているのに気づいていた。
「鍛冶場の数がずいぶんふえたようですな」
香椎宮から矢の催促で、急がせております」
「春の強い風がおさまれば宋船について香椎の持ち船もでますのでな。宋の国で人気になっております。軽いし、折れず、まがらず、よく切れる。それに形が美しい」
 川面の流れのゆるい淵には鴨が数羽うかんでいた。枯れすすきは風にゆれていたが、蒲の穂はくずれ落ちていた。定秀は枯れた蒲の葉を一枚、節くれた大きな指で強く何度もしごいていた。
ボーン、ボーン …… と鳴りものの音が流れてきた。
 表の部屋はしつらえが変えられていた。先ほどの床の軸ははずされ「且坐喫茶」の文字にかわり、床の壁からは結び柳が下がって紅白の椿が青磁の壺に差してあった。栄西の席の横に桐箱に入った茶壷としふくに入った茶いれがおかれていた。
「さあ、茶にしますかな、香椎の葉を挽いてきました。同じ種でも背振の葉とは味わいが違います」栄西は桐箱から茶壷をとりだして茶いれに小分けした。定秀は湯を茶碗にそそぎ、こぼしにあけ麻布でふいた。茶碗を置いて麻布をもどし、茶入をとると左の手にのせた。
「唐物ですか、かたちも大きさもいい」ふたをとってのぞいている。
「景徳鎮の今様で薬味入れにつかうようです。いくつかお持ちしました。おつかいください」
 定秀は茶杓を手にすると小さな壺から抹茶を茶碗にいれ、お湯をそそいだ。
「おふく加減はいかがですか」
「けっこうですな。この茶碗は備前ですか」
「いや、備前をまねて、わたくしが鍛冶場の近くで焼かしております。近頃はかなりいい焼き締めが作れるようになりましたが、海が遠いのではけぐちが限られます」
 定秀はべつの茶碗をとり自分のために抹茶をいれた。小壺を逆さに回して残らずだした。茶を練ったあと湯を柄杓から茶筅におとしていて、うっかり茶碗がころんとひっくり返った。緑色のすじが板張りにながれた。庭の方から具足の音がかすかにして障子の明かりに人の気配がみえた。
「それは、過日、私がしんぜた茶碗ですな。天目山の禅寺で日ごろに使われている黒釉ですがよく転ぶ。宋では立ったままで茶を立てるから、それでよくわれる」と栄西は声を出して笑った。   
定秀は懐紙を出してこぼれた茶をふいて、残った濃茶を音をたててすすった。
「博多の聖福寺の創建は順調なようですが、それにしても銭がかかるもんですな。」
「世の中は変わる。まつりごとがそのままでは救われません。国をおさめる人たちの心が変らねばなりません。あるものを変えるのはむつかしいがひとつにならねば国はわれる。京ははずして博多と鎌倉からです。忙しいのはいいのだが、かえようとすればうとまれもする」
「薄茶は離れの部屋に用意しております。先ほどおつきでございます。おまちでございます」
 栄西はうなずいて腰をうかした。
「伊豆をのがれ熊野にはいられたとは聞いていたが、まさか英彦山においでとは」
上皇の白河北殿が焼け落ちるなかを八郎さまに従ったのは三騎ほどでした。血路を開くうち私は右肩に深手をうけ、はぐれて気がつくと奈良の東大寺にいました。仏門に帰依し、十年ほど千手院で鍛刀の伝法を学びました。八郎様は近江の坂田で矢傷を湯治中に捕らえられ京で首をさらされるところを熊野のとりなしもあり伊豆の大島に流されました」
 これまで、なんども話したいきさつだが、栄西は「ほう、ほう」とこたえながら聞いていた。渡り廊下から下腹巻をつけた修験者が五人ほど目についた。定秀をみてかるく頭をさげた。
                               平成二五年二月二七日