ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中は「気楽にエッセイ」の教室に行った。

今日提出したエッセイはこんなだった。


      散髪に行った。                  中村克博



散髪してもらう一時間あまりは半分眠っている。すやすや眠る訳ではないが、うつらうつら、とろとろ、うとうと、している。たまに、こっくりと首を下げて目を覚ますことがあるが、びっくりするのは自分自身で、ハサミと櫛を持った美容師は予期していたのだろう、ハサミを頭から遠ざけてニッコリしているのが鏡に写っている。この美容院に散髪に来るようになって七年くらいになる。以前は床屋に行っていた。子供の頃からずっと散髪は床屋に行っていた。ずっと同じ床屋だった。小学生から中学生、高校生のときも同じ店だったが、いつの頃か床屋は木造の古い店が三階建てのビルになった。先代は隠居して、ご主人は若い二代目に代わっていた。床屋の入口の自動ドアには理髪店と書かれて、店の前には新しい三色のサインポールがくるくる回っていたのを思い出す。お店には床屋独特の椅子がいくつも並んで若い男女の理容師が生き生きと働いていた。しかし、今はもう、この散髪屋はない。二代目も年をとって、息子たちは後を継がなかったので廃業してしまったのだ。
七年くらい前、早期に定年退職した友人が美容院を経営するという。若い頃から海に関わる仕事で漁船を売る仕事をしていた。定年前はヨットハーバーなど第三セクターの湾岸施設の支配人をしていた。その海の男が、なぜ美容院なのか知らないが、僕は、ちょうど行きつけの散髪屋を探していたので、その美容院に行くことにした。初めは尻込みしたが、店に入ると気にしていたのはこちらだけで、男も普通に美容院で散髪する時代になっていたようだ。二ヶ月に一度か二度、この店に行くようになった。そういえば、街の中から男が散髪する理髪店が目立たなくなっている。きれいな店作りの美容室はあちこちにあるが赤白青のくるくる回るねじり棒の店はとんとは見かけない。なぜ男の行く床屋がなくなっていくのだろうと思う。むかし映画館で観たジョン・フォードの西部劇には理髪店の場面がよくあった。シェービング・カップにブラシを突っ込んで、かき混ぜた石鹸の白い泡を男の顔に塗りつける。窓の外には夕方の日差しに砂塵が舞っていた。 
そういえば最近のハリウッド映画には西部劇がなくなったようだ。西部劇がなくなったのと理髪店がなくなっていくのと、どうも関連がありそうだ。西部のカウボーイも保安官も髭は剃ってさっぱりしていたのだろうか、それは定かではないがジョン・ウエインの頃、男はヒゲを剃るのが嗜みだったのだろう。日本でも江戸時代の武士はもちろんだが町人も月代はきれいに整えていたようだ。ヒゲを剃るのがファッションだったのだ。ところが近頃はヒゲを剃らない、適当に伸ばしている男が見受けられる。ニューヨークヤンキースイチローも適当な長さの髭がある。天神の街にもきちんとスーツを着た若者が頬に髭を残してさっそうとして歩いているのがいる。昨今、いつの間にか適当な長さの髭はファッションになっているのだろう。西部劇ではヒゲを剃っていないのは浮浪者かお尋ね者だ。江戸時代の日本でヒゲを剃っていないのは石川島の人足寄せ場にもいなかっただろう。
髭の顔といえばキューバカストロを思い出す。共産主義者国家元首だが偶像も肖像も嫌いだったフィデル・カストロ。一九八九年の昭和天皇崩御の際には喪に服したフィデル・カストロ。その盟友、チェ・ゲバラも顔が髭だらけだった。ところが同じ共産主義の指導者でも毛沢東には髭がない。ハノイホー・チ・ミンにも髭がない。いやホーおじさんは鼻の下と顎先に長い髭をはやしていたが、しかし、どうも、髭と共産主義とは関係ないようだ。いや、そうでもないようだ。この時期はまだ共産主義が元気な頃だ。ビックス湾事件からキューバ危機が一九六二年。毛沢東の大躍進に続く文化大革命が一九六六年からだ。ソ連軍がチェコに侵攻したプラハの春が一九六八年、ベトナム戦争サイゴン陥落が一九七五年。
そうだ、思い出した。この頃からだ。ウーマンリブ運動が盛んになりだしたのは。僕の好きなヘンリー・フォンダの娘が反戦ウーマンリブの旗手の一人を演じていた。父と共演した「黄昏」は素晴らしい映画だと思うが、このウーマンリブ運動から世の中が急に変わっていた気がする。西部劇がハリウッドから無くなった。ユニセックスとかで理容と美容の区別が無くなった。男が行く散髪屋がなくなった。西部劇でタバコは付き物だが、この頃から男がタバコを吸わないで女が吸うようになった。主婦が家庭から出て就職するようになった。幼児や年老いた親を施設に預けるようになった。離婚する夫婦が増えだした。コンビニが増えた。老人の役目と居場所が無くなった。弁当屋がふえた。デパートの地下に惣菜の売り場が出来て客寄せになった。結婚する若者が少なくなっている。家族の制度がかわる。国のあり方が問われるようになるのか不安になる。
ほのぼのとした散髪の話を書こうと思っていたのにバーボンウイスキーが効きすぎたようで、なんだか訳のわからん話になってまとまりそうにない。とにかく過ぎ去ったことは戻らない。今が大切だし、今がありがたい。床屋でもいいが、綺麗な美容室で若い女性に髪を切ってもらって、うつらうつらしながら首や肩のマッサージを受けていると、もうどうでもいい気分になる。そうだ、美容室では髭は剃れないらしい。

                     平成二四年一〇月一七日


エッセイのあとハーバーに行った。

桟橋の海面に何かがうごめいていた。

ポンツーンとポンツーンの間、バースの中に小さな魚が埋まるようにいた。

ハーバーの中が小さな魚で、養殖場のようになっているようだ。