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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

昨日のエッセイ教室に「左行秀」のことを書いて提出した。


幕末の名刀、左行秀を落札した。                中村克博


刀身68.8cm、全体約101.5cm、反り約2.9cm、元幅約3.2cm 重量1.03kg、生ぶ茎、銘文表、左行秀、裏年記なし、時代拵え付き。パソコンの画面で見るネットオークションの商品説明にはそう書いてある。掲載された写真で刀身全体の姿がわかる。注意すべき傷や錆の部分は拡大されていて鮮明に確認できる。
普段から刀剣のネットのオークションは見ているが、目に留まった刀を何度も見ているといつしか趣が深まって自分がすでに手にした気分になる。この刀、定寸には少し短いが居合の稽古では程よい長さだ。刃紋は直ぐ刃、地肌は分からない。かなり錆がある。小さな刃こぼれもあるようだ。しかし品のいい元反りで姿がうつくしい。左行秀といえば幕末の文久、元治、慶応、土佐藩お抱えの有名な刀工だが出自は黒田藩でこの地ゆかりの左文字を引き継いだらしい。幕末の時期は反りの少ない長寸の刀が多いのに太刀反りで二尺三寸を切るのはめずらしい。 
入札の終了時間は九月四日の日曜日で夜の九時に設定されていた。明日の夜だ。僕はこの日、朝から来客があって三日ほど家を留守にする。パソコンをひらく時間はないようだ。実際にこの刀を落札する気はないのだが、とりあえず届きそうもない値段で入札しておいた。そうすれば少しばかり本腰になって作者や時代などを調べるからだ。そのときの現在価格が10万円ほどだったので18万円で入札しておいた。たぶん30万円は超えるだろうと思っていた。もしこれが健全な状態の本物ならそんな値段ではありえない。   

三日後、久しぶりにパソコンを開いた。どうなっているだろうとオークションの結果をみて「あれれっ・・・」と思った。左行秀は僕が落札したことになっている。18万円で入れておいたら10万円2千円で落ちていた。自動入札だったので10万2千円までの応札しかなかったのだろう。思いもよらないパソコンの画面をしばし眺めていた。少し戸惑ったが困ったとは思わないことにした。欲しい刀には違いないし、それに信じられないほどに破格に安い。きっと締め切りが天気のいい日曜日で参加する人が少なかったのだろう。
 
落札してから商品が届くまで数日かかる。当日、遅しと待っていた宅急便が届くと箱を開けるのがもどかしかった。梱包材で巻かれたままの刀を箱から取りだした。意外と軽く感じた。刀袋は黒い木綿で簡素な作りだった。紐を解いた。刀身を鞘から抜くとき鍔の収まり具合が良くない。がたつきが気になった。さらに刀身を明かりにかざして、がっかりした。切っ先の帽子にある錆はいいとしても中ほどにある刃こぼれは大きく錆は広くて深い。鞘は当て傷、擦り傷、傷だらけ、合わせはひび割れて栗形が欠落している。何たることだと思った。 

次の日は居合の稽古日だった。休息時にこのことを刀に詳しい先輩に話した。
「ほう、さのゆきひで・・・ 本物ならすごいですな・・・」
「さのと読むのですか・・・ 僕はひだり行秀と読んでいました」
「遊び心の、低い価額で入札して、これでは落ちるはずはない、と・・・
安心していたら、何とそれ以下で、何とも安い値段で僕に落ちました。」
「はっは、はぁ、そんな値段では・・・ ありまっせんな・・・
中ほどに打ち傷ですか!!、ふむ、受け傷ですな・・誉れ傷ですたい。
でなければ、よほど打ち込んで切ったのでっしょうな・・・
いずれにしても、いい傷ですばい。取らんがよござっしょ。
登録はいつになっとりますな・・・
ほう、昭和26年・・・ 大名登録ですな・・・ それは面白い・・・」
先輩の話を聞いていると、なんとなくいい刀に思えてきた。
 
この居合の稽古日、福岡市内は蒸し暑かった。道場のある福岡市立武道館は空気が淀んで更に暑かった。稽古着は汗と熱気でべとついていた。居合の稽古が終って帰宅したのは夜遅くになっていた。夕食は途中簡単に済ませていたが風呂に入ると十一時を過ぎていた。まだ寝る気にはならない。やはり佐行秀を出してきた。
ナカゴの銘文は左行秀の3文字のみ、裏年記はない。と言うことは、もし本物なら製作時に献上刀か奉納刀だったことになる。登録は文化財保護委員会で番号は四七九の三桁、ひょっとしたら本物かもしれないが、「いや、そげんこたぁ、なかでっしょ」と言われそうだ。

装具の品質は良さそうで鍔を外すと銘文が切ってあった。越前住、記内作と書いてある。鉄鍔で錆具合はまずまず、葉っぱを上下に一枚づつ毛彫りして、金象嵌が残っている。いい作りだと思う。この作の鍔をネットで調べると本物なら数十万円するようだ。自分の物になってからの真贋は問わないがこの刀には合わない。手持ちの肥後のナマコ鍔に変えてみた。丸い鉄鍔で左右が大きく抜いてあるだけ、装飾は何もない変哲のない鍔だが気にいっていた。それがほとんど手を加えずこの佐行秀にぴたりと納まった。具合がいい。

それから数日たった。思いつけば日に何度も取り出して振っている。扱いやすい。重さも元反りのバランスもいい。何度も打ち粉をふったり丁子油で拭いたりしていると錆もめだたなくなった。正中一文字に切りおろす。横一文字に払ってみる。刃音が心地いい。そんな時にはいつも袴の稽古着に着かえて粛として作法通りに稽古を始める。反りの深さが鎌倉か南北朝の太刀姿を復古させて鏡の自分が当時の武者に成りきっているのに気付くと人が見てなくて良かったとおもう。
問題は鞘だが、栗型は水牛のを手配して復元した。鞘の割れは接着をやり直して、鯉口付近の握り手の当たるところに細糸を丹念に巻いて補強した。塗装は紙やすりで剥がして黒く全体を塗り直した。ホームセンターで買ってきたラッカーだが漆塗りの絽の黒さと見間違うほどだ。ただ、いくつもの当たり傷の後が残ってデコボコしているので石目の塗料を多めに吹きかけよう。出来上がったら、例の先輩に見てもらおうと思っている。
「ひょっとしたら・・、本物かもしれませんなぁ」と言われるかもしれない。

 平成二十三年九月十六日