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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

きのう、唐津くんち、に出かけた。

今日のエッセイ教室にもそのことを書いた。



      「唐津くんち」に出かけた。        中村克博


朝ご飯を食べて終えパソコンに向かった。今日は昼から「唐津くんち」を見に出かける計画だ。明日はエッセイ教室があるのだがまだ何を書いていいのか決まっていない。文化の日で祭日だから休みだと思っていたのだが、いつもの通り第一金曜日なので開催されるそうだ。うかつだった。近ごろ貝原益軒のこと、と言うより益軒が生きていた日本の社会の様子に興味が沸いて、そのころの著作や資料を目がかすみ腰が痛くなるほど読みふける日が続いている。今回のエッセイにはそのことを書こうと思ったが、これは調べながら書くので時間がかかりすぎる。無理すればエッセイでなく資料のつぎはぎになる。それを「コピペ」というらしい。

それでもやはり益軒のことから書きはじめよう。徳川家では家光が三代将軍を継いで、黒田家は長政の跡を継いだ忠之の時代に益軒は幼少期をすごす。貝原家の知行地があった八木山で四、五年暮らしたそうだが、この地の加藤田氏より平家物語を借用して読んだとある。近いうちに村内のどこの加藤さんか近所のおばあちゃんにでも聞いてみようと思う。
益軒は当時としては長寿で八五歳まで元気に生きていたようだ。元禄をはさんむ徳川綱吉の時代はいろんな出来事があった。参勤交代の制定、島原の乱鎖国令の徹底、寛永の大飢饉、中国大陸では明が滅亡して満州族の清が進出、キリシタンに対しては非常に苛烈な弾圧政策、明暦の大火(振袖火事)、生類憐みの令、赤穂浪士事件、深堀事件、伊藤小左衛門事件、富士山噴火、江島生島事件などなど、家光の代までの武断政治から綱吉に始まる文治政治への移行期で文藝、絵画、演劇なども盛んになった。綱吉は「能狂」と言われるほどの執着ぶりだった。おもしろい人物としては、和算の大家、関孝和がいる。漂着したヨーロッパ人にエンゲルベルト・ケンペルがいる。いまは、この二人について本を読んで勉強しているところだ。しかし、椅子に長く座っていると腰が痛くなる。
それで、昨日と一昨日は庭のカシの木の枝切をした。いい運動になる。秋の半ばをすぎて、日差しはいいし風は清々しい。枝のとっぺんまで十メーター以上あるが、もう四、五年も剪定をしていないので登っていっても木の中は枝が生い茂って高みにいる気がしないほどだ。片手用のノコギリで枝を落としていくと少しづつ見晴らしが良くなる。遠くの畑から煙が上っている。その向こうに色づいた山なみが見える。晴れた空に雲が高くて気分がいい。ふと下を見ると高いところにいる枝の上の足元が眼に入り不安になった。一瞬、枝に巻いた左腕の力がぬける気がして頭がもや〜とした。もうやめて下に降りることにした。落とした枝をトラックに積んで焼却する場所に運んだ。雨の降りそうな曇り空で風のない日を選んで火をつけることになる。あまり火が大きくならないように分けて燃やすが、この作業は楽しい。焚火はなぜか心が落ち着く、頭の中が空っぽになるようだ。カシの木は一回に二時間ほど二回にわけて二日がかりで枝を落としたが、危険を感じる高い枝は残したままだ。前回のときは用心して天辺まで切れたのに残念だがしかたない。

ここまで書いてパソコンを閉じた。もうすぐ、お昼になる。つづきは唐津から帰って書くことになる。唐津に出かける準備をしなければならない。妻が軽いお昼を運んできた。餅をかるく炙って干し海苔を巻いたものだ。沢庵と交互に食べて茶を飲んだ。
唐津までの道のり、車がすいていて一時間半ほどだった。天気がいい。都市高速の上から博多湾を横目でながめた。ヨットは出ていないようだ。しばらく山の中を走って唐津湾が見えてきた。沖に姫島がくっきり浮かんでいる。海はいいな〜、と思う。しかしヨットは木の上より危険だ。未練だ。恥じねばならぬ、と頭で思った。
娘夫婦の自宅に着いた。ちょうど四時だった。お土産に、出がけに買ってきた八木山の新米5?と八木山の農家手作りの味噌を喜んでくれた。婿殿は仕事でまだ帰っていない。妻と娘の話をしばらく聞いていることになった。そのうち話題が僕のことになった。娘が子供のころから、如何に、どれだけ無理解な親であったか、それに妻が同調して今でもそうだと言う。楽しそうに話す二人の会話を聞いていると、なるほど、そうだったのかと思い当たる節に気づかされた。二人についてではなく、年老いた母に対して僕がいかに無理解だったのか、いや今の現在でもそうなんだと気づかされた。僕をネタに会話する二人には少々腹立たしいが、よかったと思った。人の話は聞くもんだ。もっと昔に聞く耳を持って気づいていたら良かったのにと思った。
七時ころ、婿殿がにこにこして帰ってきた。僕ら三人はすでに娘の手作りの夕食を済ませていたが、一人、そそくさと食事を済ませて祭りでにぎわう唐津に街に四人で出かけた。僕は唐津くんちは初めて、妻は二度目、娘は三度めらしい。娘夫婦は来年は転勤になりそうで唐津を離れるようだ。秋田なら「ねぶた祭り」が見れる。秋田は寒いよ。名古屋がいいね。名古屋にはどんな祭りがあるのかね。山車の通る道には人がいっぱいで歩けないほどだった。人をかき分け歩いた。人の流れに押されて歩いた。次々と山車がやって来た。大勢の子供に太い綱で引かれてにぎやかな囃子の太鼓や笛の音にのってやって来た。   
平成二十九年十一月二日、いやもう三日の二時だ。