ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

青い空に枝垂れ梅がはえる。

天気はいいが風が冷たい。
早朝の気温は1度だった。

桜はまだ小さな蕾だが、枝垂れ梅が満開だ。

昨日はエッセイ教室だった。
前回に続いて、八木山のことを書いた。



       山清水 流れて寒き 八木山の                  中村克博


 日の出前に窓の外を見ると梅の枝がピンクになっていた。雲ひとつない日差しが何日か続いて八木山にも春が来たようだ。いけばなの花材にと、枝を切りに脚立を持って出かけた。見上げるとメジロが数羽、枝を飛び跳ねていた。満開だった。花材には少し遅すぎた感がある。
 枝を高いところから手鋸で切り落とそうとするのだが、小枝には刺があるし入り乱れて伸びているのでからまって落ちない。無理に引っ張ると花がパラパラと落ちてしまう。面倒なので大きな枝ごと切って落とした。逆さに落ちると細い先の枝が都合よくクッションになって花の損傷が少なくて済むようだ。妻が教室で使う一日の花材には多すぎるようだが、梅は切らぬと馬鹿と言われるそうだから手あたり次第にどっさり切った。
 とりあえず見てもらおうと、妻を呼びに行った。すでに朝日が山の上に出ていた。
「こんなに切ってどうするのですか」
「多すぎたね」
「今日は花市場での買い物が多いので、時間があまりありません」
 これから、切った枝の長さをそろえて形を整えてビニールシートで包まねばならない。花が落ちないように気づかいながらの作業なので時間がかかる。急がねば・・・
 軽トラックの音がして誰かやって来た。早朝に誰だろうとおもったら、山のおじいさんだった。いや、僕と同年輩なのでおやじさんと言いたい。
「おらっしゃったな」
「はい、梅の枝を切っとります」
「切り花には、少し遅かろう」
 白い髭が胸まで長く、朝日に光っていた。荷台に大きな切り株と古い時代の木こりの道具が目に付いた。寝起き姿の妻はいつの間にかいなかった。
「あんたに、おもしろい本を持ってきた」
 表紙に、「ふるさといいづか、歴史のさんぽみち」と見える。
「八木山の歴史がのっとる」
 百ページほどの小冊子だが手に取ってページをめくると、明星寺跡の遺跡、山伏塚、高取焼初代八山の墓跡、八木山千人塚、竜王神社、八木山峠の石だたみ、八木山峠石坂の牛像、伝説女郎の墓、建花寺の六地蔵、僕の知りたいことが次々と目につく。嶋田光一という飯塚の郷土史家が長年調べたようだ。
「これには、のっとらんが、うちの山には秋月が大友の兵をさらし首にして引き上げた跡がある」
「ほう、そうですか」
「四百人の生首をさらしたげな」
「いろんな歴史が蘇りますね」
「石がこづんであるんで祠にしたと」
 柳原白蓮の歌がのっていた。

山清水 流れて寒き 八木山の
        峠を越えて 福岡にゆく

この短歌は伊藤伝右衛門と再婚した白蓮が福岡市にいく途中に、八木山で詠んだものです。と書いてあった。さらに読み進むと、大正十年、白蓮は「まったくの愛と理解を欠いていた」という理由で、夫伝右衛門に別れを告げ、宮崎龍介のもとに走ります。このときの離縁状は「朝日新聞」に公開され当時大反響をよびました。とある。

昨今の「朝日新聞」による森友学園事件のスクープ記事から政治が混迷している様相と何だか重なるから面白い。この白蓮事件を解決するため伊藤家の介添人として麻生太郎のおじいさんの麻生太吉が上京した。柳原家は当主の義光と除エ子の姉婿・入江為守らが出席し、奥平昌恭伯爵が仲介役となった。
 すこし、話が脱線した。山のおじさんは軽トラックの荷台にある品物を下して並べはじめた。滑車や鎖、クサビや斧など、むかし木こりさんが使っていた道具類で興味が引かれる。今では貴重なものだった。これは写真に収めねばと思って、あわてて部屋にカメラを取りに走った。
山のおじいさんは道具の説明をしてくれた。
「この斧は刃が薄うしてある。鋸を入れる前に使うと」
「ほう、軽いですね」
「倒す方に切り込みを入れるとに使うと」
「このクサビは・・・」
「追い口に鋸を入れたら打ち込むったい」
 切った溝に鋸の刃が挟まれんように隙間を開くためらしい。
「この環のついたクサビは・・・」
「これな、これは、おもしろかばい」
山のおじさんは、環のついたクサビの束を重そうに持ち上げて、
「大きな丸太を牛に曳かせるとき、切り口に打ち込んで環にロープを通して引くと」
「こんな小さな短いクサビで、抜けんですかね」
「そいが、山ん中で曳いてくさ、抜けんったい」
「なんでかね〜」
「そうたい、そいがくさ、終わって抜くとき、頭をチョンと打ったらスッポンと抜けるきな〜」
 おじいさんは昔の光景を思い出しているように白い髭の中でニンマリと笑っている。今ではユンボで吊り下げて運ぶようだが、それも、まれなことで多くの伐採され木は枝を落とし、短く切られてその場所に放置される。山は荒れている。この季節になると遠くの山が黄色く煙るほどスギやヒノキが花粉を撒き散らすが、きっと手入れされず粗末にされて反乱を起こしているのだ。
「この滑車は車の溝が大きいですね」
「細いワイヤーがないとき、太い麻のロープで引いたとやろな」
「これは何に使いますか」
 槍の穂先が曲がったような長い道具を指さした。
「落とした枝も集めるときにこげんして」
 おじさんは先の曲がった槍を手にして仕草を真似た。それからまだまだ、いろんな道具の説明が続いた。木を切りだすにも昔は人の手が多くかかった。運び出すにもいろんな工夫をしたのだろう。木にはそのつど人の思いが入ったはずだ。それに、代を経て使われ続けた道具は形がうつくしいのは不思議だ。そんな地元で育った木を使って大工さんが昔からの技術で建てた家はいろんな人の心がこもっていて、なんだか住み心地がいいような気がする。
平成三十年三月十五日