ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

祭日だが、エッセイ教室があった。

今回は改行に工夫してみた。
地図と船の図を印刷して添付した。

栄西と為朝と定秀                       中村克博


 青い空に高い雲がつぎつぎと飛ぶように流れていた。
二艘の小早船は、東からの強い追い風で大きなうねりを押し分けて進んでいた。
筵帆がはち切れるように、ふくらんでいた。 
甲板は波で洗われ舳先で砕かれた波しぶきが、ときたま桶の水をかえしたように頭の上から降っ
てきた。
左舷に的山大島(あづちおおしま)の断崖に打ち寄せる大波が潮を噴き上げるのが見える。
船頭が為朝に声をかけた。
「昼前ですが、早めに飯にしますか」
 舳先が波頭を打った音がして船が左舷にかしいだ。
「わしは、いらぬが」
為朝の顔に波しぶきがかかった。
「水夫(かこ)たちも、いつもは昼を食べませんから」
「好きにしたらよい」
舳先が波をたたく音がして、飛沫(しぶき)が飛んだ。
「この時化ですし」
船頭は飛沫をよけるために顔だけ下にさげた。
「塩と酢でしめた鯖と酢飯ですから日持ちします」
「京にも若狭から運ばれる塩鯖で同じようなものがあったな」

 的山大島が過ぎ生月島(いきつきしま)の北端にさしかかった。その南に平戸の島が見える。
「日暮れまでこのまま風が変わらねばいいのですが」
「そうだな」
生月島の奥、平戸の島は松浦水軍の根拠地である。
船頭は潮のしたたる烏帽子を傾けて平戸の北端を見ている。
「平戸の北に、大風を避けるための入り江があります」
「薄香(うすか)の浦だな。松浦党の根城から近いな」
「嵐を避けるためなら相身互いです。昔からのならいです」
生月島の東は、うねりはないが強い東風で波がしらが白く泡立っていた。
「白波が走ると、ほんとに白兎が跳ね回っているようだな」

生月島が後ろに見えるころには、前方に動きの速い雨雲が広がっていた。
「うねりが少しおさまったようだな」
「平戸の島が東からのうねりを、さえぎっております」
「櫓が使えそうだな」
「はい、支度にかかります」
 小雨が降り始めていた。
水夫たちが総がかりで櫓を準備して、櫓棚に据え付ける作業をはじめた。
船が揺れて波をかぶりながらも水夫たちは手慣れた動きを続けていた。
ほどなくして両舷に四人ずつの漕ぎ手が掛け声を合わせていた。

命綱はつけない。櫓棚から落ちると、このような時化た海では助けようがなかった。波にもまれて
綱に引かれて、いたずらに苦しむばかりだ。
「追い波にかわりました」 
「そのようだな」
船はおだやかに進んで、為朝は艫屋形の欄干に手を置いている。
 船頭は大声で両舷八人の漕ぎ手に叫んだ。
「追い波に乗れ、波に合わせて漕げ」
 船頭が合図の大声をあげると、八人の漕ぎ手が一斉にこたえて櫓を漕いだ。
「そおぉ〜れっ、いまだ、こげや、こげ」
 それに合わせて
エイサー、エイサー、エイサー
 船は波に押し上げられて、帆は大きくはらんだ。
 漕ぐ櫓の動きは軽やかで、
船は帆をはらみ、下る波に乗って風とともに進んだ。
宇久島はすぐだ。そおぉ〜れっ、いまだ、こげや、こげ」 
エイサー、エイサー、エイサー
漕ぎ手は手順よく何度か交代して、かろやかな走りが続いた。
 
生月島から宇久島まで中ほどの位置だった。
遠く山の木々が見えるほどではないが、もう一刻もせずに宇久の港にはいれる。 
しかし東の風は乱れて、あえぐように吹きはじめていた。
三角波が立って、船は、けわしく上下して左右に揺れ、風と波に翻弄された。 
西にかたむいた夕日は、あつい雲に隠れて見えない。
激しい雨が水夫たちの顔を打って、海は暗かった。
漕ぎ手は船の揺れと引き波、寄せ波で櫓先と海面の高さが不規則に変わるのに難儀していた。
掛け声が合せられずに八丁の櫓の動きは、まばらで、ばらばらだった。
風は息をするように、弱くなり、またすぐに強くなった。
風を強く受けると、ゆるんでいた帆が音を立ててふくらんだ。
船足はすこしずつ落ちていた。
「風の向きが変わりはじめたようです」
「そのようだな」

 東の風が南寄りの向かい風にかわった。帆が裏帆になった。
「帆をおろせ」
 水夫たちはすでに降帆の手筈をしていた。
船頭の声と同時に帆がおろされ、手際よくたたまれ綱をかけて収納された。
「こげ、こげ、島影に入るまで、こげ、こげ」
 船頭の声は、かすれていたが、漕ぎ手は目をむいて、それにこたえた。
エイサー、エイサー、エイサー
「こげ、こげ、そぉ〜れっ、こげ、こげ」
エイサー、エイサー、エイサー

船は進まなかった。いや、じりじり後退していた。
帆柱が強風を受けて唸り、帆柱の先から舳先に引かれている筈緒や、船尾に引かれている二本の身
縄が風を斬る鋭い音をだして激しく揺れた。
前から横殴りの雨が水夫たちの顔に吹きつけ目が見えない。
八丁の櫓をいくら漕いでも意味がなかった。
巧みな舵取りの動きが、かろうじて船の進路を保っていたが船は風の力で押し戻されていた。
船頭が為朝の後ろから声をかけた。
「無理です。船をもどします」
為朝は横顔を見せてうなずいた。
右手で梶棒を持っていた船頭は、梶棒の左に移動して体ごと梶棒を押した。
「かいと〜おっ、かいとう、回頭するぞっ」
 船頭の叫び声とともに船は右舷に回頭を始めた。
僚船の小早船も同じ動きをして本船の後ろについた。
「櫓をしまえ」
船頭の指示を待つのも、もどかしいように櫓が回収された。
為朝配下の武士たちも手伝い、八丁の櫓を仕舞い込んだ。
「帆を上げよ、宿帆、半開」
 筵帆が帆柱の半分だけ上げられた。
帆の下半分は、きつくたたまれて綱で強く張られた。

生月島(いきつきしま)と平戸のあいだ、辰の瀬戸を抜けます」
為朝は前方を見たままで、大きくうなづいた。
日没まで間があるが、厚い雲でおおわれ海は暗かった。
二隻の小早船は、強い追い風と波に乗って、韋駄天のごとく走った。
「このような走りは初めてじゃ」
 為朝があかるく言った。
「私もです。まもなく、島が近くなると風がかわります」
船頭は右舷に障テくうかぶ平戸の山なみを見ていた。
山では風が唸り、障テい雲が低く飛んでいた。
平戸の西岸にあたる波が打ち返して三角波をたて、その波がしらが吹き飛んでいる。
前方には生月島とのせまい海峡が潮煙(しおけぶり)をたてていた。
そのとき宿帆して半分だけ上げていた帆が、バタバタと、はたたいて上がりだして、屋形の前、帆
柱に近い水夫たちが、慌てて動きはじめた。
水夫は、両舷でそれぞれ風が変わるのに合わせて帆の向きを調整していたが、帆桁を引く手縄がゆ
るんだすきに帆が強風にあおられて昇った。右舷についていた水夫は懸命に滑車(せみ)の手縄を
引くが帆が昇る力が強くて引き負ける。
強く握った手から麻縄が鋭く抜け、ずるりと指の皮をはいで血が流れていた。麻の手縄を持つ手が
滑車(せみ)の中に引きこまれそうになった。
すぐに二人の水夫が加勢して手縄の後ろを引いた。
三人がかりで手縄は少しだけ引かれ帆桁が下がりだした。
平成二六年三月二十日