ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

まだ稲刈りのすんでいない田んぼが大変だ。

金曜日、午前中はエッセイ教室、
夕方は居合の稽古日だが雨がひどくなったので休みにした。
家で居合の稽古をしようとしたら近くで雷が鳴りだした。
刀を振り回していたら危険だ。稽古は取りやめた。


今日のエッセイ教室に提出したのは「栄西と為朝と定秀」の続き。


         栄西と為朝と定秀                 中村克博


北西からのうねりは一〇尺(三メートルあまり)ほどになっていたが、船は西に向かって順調に走っていた。先ほどから風はさらに強くなって白い波が目立つが、帆を二枚とも開いて風を逃がしているので船の傾きはない。雲は天日を覆っているが薄墨色の空は暗くはなかった。   
栄西様、そろそろ右舷に小呂島が見えるころです」
「風が強くなって、空のかすみは消えたかもしれませんね」
栄西は丁国安の言葉にうれしそうにこたえて閉じた扉の外をみつめた。
「為朝様、外に出ませんか、心地よい北風ですよ」
「そうですね。私も小呂島を見てみたい」
 為朝は腰掛から体を浮かして芦辺のちかに茶碗を手渡した。
 外に出ると前方に小さな島が見えていた。その先には壱岐の島が平たく広がっている。右舷の方、北に顔の向きを変えると海はまだ少しかすんでいたが、それでも彼方に小呂島がくっきり見えた。帆柱から張られた船首索や帆綱などの風を切る音が小さく聞え、ひんやりとした北風が頬にふれて風の音とかさなって心地よかった。
為朝の家来の武士たちが軽くお辞儀をして、そのうちの二人は上の船楼甲板に持ち場を変えた。残った武士は為朝たちから離れ左舷の手すりに一人たたずんで前方を見ていた。船は島の風下を通過するようだ。 
「前に見える島は烏帽子といいます」
「なるほど、島のかたちが被りものに似ておりますね」
 為朝は丁国安の説明を聞きながら、前方からだんだんに右舷の方に近づいてくる島を見ていた。栄西は、いくたびも通った海域なので烏帽子の方でなく、右舷水平線上の小呂島を見つめていたが、少し左に目をうつし、その先にかすんで見えている対馬の遠い島影を見つめているようであった。何か深く思いにふけるように甲板の手すりに身をあずけて眼をほそめていた。対馬の先には高麗の国がある。対馬の北端から晴れた日には対岸に高麗が見える。帆風がよければ日の出前に船を出すと昼すぎには高麗の港には入れるほど近い。
烏帽子が右舷のすぐ横に近づいていた。島に打ち寄せる波の音が聞こえて栄西は彼方への眼差しを、目の前のごつごつした�眦い岩肌にうつして島を見上げた。 
丁国安が為朝に近づき体を寄せるようにして風の音にまさる声で話しかけた。   
「北の彼方に見えるのが小呂島でございます」
「この距離ならひと時(二時間)ほどで届くようですね」 
「そうですね。南よりの風で、うねりがなければ、そうですね」
 丁国安の妻と芦辺のちかが船室から出てきた。まぶしそうだった。二人とも髪をきつく後ろに結び布で包んでいた。船の上で風に対処する女性の身づくろいであった。時おり、うねりにあおられ舳先が大きく上下して船は左舷にかしぐが、二人は落ち着いた足の運びで右舷の手すりに身をゆだねた。二人は振り返って、左舷側の手すりにいる武士に軽く頭を下げて目礼した。為朝が、その若い武士をよんで栄西に引き合わせた。 
栄西様、これは私の縁につながる者です。私とは叔父、甥のあいだがらです」
「行忠です。ふつつか者ですが、よろしくお見知りおきください」と頭をさげた。
「行忠様ですね。お父上は、先の熊野新宮別当、行範様ですね」
 栄西はにこやかに、うなづいた。
横にいた丁国安が軽く咳払いをして、行忠に体を向けて自己紹介をはじめた。
「私は丁国安ともうします。箱崎に住まいする船主です。父の代から住んでいます」
時おり、うねりで船が傾くので丁国安は左手で手すりを握ったままだった。風の音は一段と強くなって白い波はさらに目立っていた。  
「熊野新宮の行忠ともうします。壱岐までお供します」
 行忠は腰に下げた太刀の鍔に左手の親指をかけているので手すりを持つ手がない。うねりが右舷の船べりを押し上げたとき、行忠はとっさひざを曲げ、腰を落として右手を大きく前に伸ばした。無言だったが「おっとっと」という顔をした。
 丁国安の女房たえと芦辺のちかはこの様子をほほえましく見ていた。為朝が行忠に右舷の手すりに行くよう、うながした。行忠は右舷に移動した。そこには丁国安の妻と芦辺のちかがいた。右舷の前の手すりには栄西、為朝、丁国安の三つの笑顔が行忠を見ていた。
「私は、丁国安の妻です。たえ、と申します」
「私は、壱岐の島、芦辺のちか、と申します。よろしくお願いいたします」
「行忠です。豊前英彦山から為朝様にしたがって参りました」
英彦山修験道の行場と聞いておりますが、山深いのでしょうね。私は宗像で育ちましたので子供のころから神域の島々や船には親しんでおります。海が好きで、それで今は宋の船主の女房です。行忠様、船は初めてですか」
「いえ、以前は熊野で海に出ておりました。宗像の神域の島々は女人禁制なのでは・・・」
「そうですか、熊野の海では、ふな戦ですか」と問いかけて女人禁制には答えない。
「いえ、船で戦をしたことはありません。模擬戦は何度か体験いたしました」
「船戦(ふないくさ)ごっこですか」とまじめな顔で聞きただした。
「そうですね。潮の流れを見たり、風を予測する心の働きが鍛えられます。それに、船に乗り込む者たちの気もちが一つになります」
「そうなのですか」
「はい、そうなれば船は一つの生き物のように動き出します」
「武芸は為朝様から仕込まれたのですか」
「いえ、兵書の講義は孫子六韜三略など、我が国の戦闘経など学びましたが、剣術や弓の技については、まだまだいたりません」
 話が弾んで楽しそうだ。芦辺のちかは、そのようすを興味ぶかそうにみていた。たえ、はさらに高ぶるようにたずねた。
「では、行忠様は人を斬ったことは、斬りあったことはないのですか」
「いえ、はい、人を斬ったことも、斬りあったことも、ありません。ところで、船の上では太刀を佩いていては動きづらいですね。たえ様のように腰帯に差していた方が具合がよさそうですね」行忠は話の流れを変えたいようだった。
「熊野では刀を身に着けて船に乗るのですか、宋の交易船では刀は普段もちません」
「そうですか・・・」行忠は多く話す自分にたじろいでいた。
「私は、父にいただいたもので、少し長めですが、お守り刀として差しています。」
「ちか様のは、合口拵えに見えますが鍔がありますね」行忠はちかに問いかけた。
 大きなうねりが右舷の船端(ふなばた)を激しく打って波しぶきが船楼まで吹き上がってきた。行忠は右手を伸ばして手すりを持って身を支えた。左手の親指は太刀の鍔にかけている。たえも、ちかも、髪が濡れて顔から海の水がしたたっていた。三人は笑って互いを見た。行忠の右横に、丁国安の妻たえがいた。その向こうに芦辺のちかが両手を手すりにかけていた。ちかは顔を、たえからのぞかして先ほどの話をつづけた。
「はい、祖父が愛用していた前差しです。父から頂戴いたしました」
たえは手巾を取り出して、ちかの髪を拭きながら、ちかに代わって話をついだ。
「拵えが美しい彫金で、海老があしらってありますよ。後ほどごらんください」
 船は壱岐の島の南に入った。うねりはもうない。北風を島が受けるので風はおだやかになっていた。先方に、高くはないが木々がこんもりした島が見える「妻が島」という。この島の南を回りこんで印通寺の浦に入ろうとしていた。静かな海面にさざ波がみえる。水夫頭の声が轟いて帆が船と平行になるほど引き込まれた。舳先は北を向いた。水夫たちは二枚の帆を小まめに操作して船はゆっくり進んだ。   
「陽気の変わりやすいこの時期に雨にもあわず、いい船旅でした」と栄西がつぶやいた。
壱岐の間近になって、波をかぶって申し訳ありません」と船長の丁国安がいった。
「いや、久しぶりに海に出て気分が晴れ晴れとしました」と為朝が礼を述べた。
 船の帆がときおり音を立てて、しばたいた。壱岐の島を降りてくる風はみだれて妻が島にあたって変わりやすい。水夫頭の落ち着いた声がする。宋の言葉だが、船の動きでその意味は何となくわかる。舵取りは落ち着いた声に従って進路を少し左にふったり、もどしたりしている。ほどなく前の帆の向こうに印通寺の港のようすが見えてきた。
 行忠は今日一日をふりかえろうとして、同時に英彦山のようすが脳裏に浮かんでいた。二か所の記憶が重なり合って頭をかけめぐる。今朝、夜明け前に香椎の浜から小早船で博多湾を渡って唐泊までの情景を思うと、英彦山では定秀や熊野からの仲間たちは朝飯のころだと考える。熊野を去って豊後から為朝がいる英彦山に移って以来、初めての海だったが、定秀の娘の沙羅はどうしているだろう、と思う。唐泊からは宋の外洋船に乗り換えて博多湾を出た。玄界灘を西へ進んだ。身にしみて心に感じる海だった。すると、大友から送られた大神の刺客の生き残りは今ごろどうしているだろう、と思う。一日が瞬く間に過ぎていった。今日はこれから空にまだ日があるうちに宿泊場所の神社まで騎馬で移動するらしい。
「港の岸辺に馬がたくさんいます。月読神社まで、あの馬で駆けるのですね」
 丁国安の妻は馬に乗れることがうれしそうだった。 
「つくよみ、神妙なひびきですね」と行忠がいった。
「月を司る、航海の神様だと聞いております」と芦辺のちかが言った。
 よこで聞いていた丁国安の妻たえが話をついだ。
「月の満ち欠けを日ごとに数えて、田畑を耕し、種をまく時期を知らせる神でもあります。読(よみ)は数えること、日を数えることを日読(かよみ)、これは暦(こよみ)につながります」
「はぁ、そうなのですか」と行忠は聞いていた。

夕日が西の空に傾いて木々の影を深くしていた。港から丘陵につながる道の左右には代掻きのすんだ田に水が引かれ田植えを待っていた。なだらかな傾斜地の棚田は一枚ごとの区画は小さくはない。馬上から右手を見下ろすと緩やかな階段状の田地は遠く海辺の近くにまで広がっていた。左手を見上げれば棚田ごとに夕日が輝いて山や木々は鄢い影絵のように見えた。荷車の轍(わだち)の跡が深い登り道を騎馬の列が続いていた。先導する二騎は芦辺からの武士で、その後に弓を携えた行忠の騎馬姿が見える。その後ろに二騎、為朝配下の武士が続いていた。空は晴れ間が多くなっていたが吹きおろしの風は木枯らしの季節と同じように冷たかった。
                               平成二五年八月二九日