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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

昨日の金曜日は「気楽にエッセイ」の日だった。

コスモス畑を題材にした。


散歩道のコスモス畑               中村克博


 いつもの散歩道の休耕田にコスモスが咲いている。コスモスに混じってエノコログサやヒメスイバなどの雑草も生えている。ススキも混じっている。その中で今年はエノコログサの勢力が強いようだ。この日の朝は曇っていて空の明かりはコスモス畑の景色をフランスの印象派の風景画のように明るく澄んだ中間色にしていた。よく見ていると、エノコログサのたくましさは華やぐような躍動を感じて、染められた京友禅の花柄模様のようにもみえてくる。その様子をいろんなアングルで角度を変えて写真に撮った。夕方、部屋のパソコンでその写真を見ていると、赤い戦列歩兵の中にエノコログサの竜騎兵が襲いかかったようにみえた。
コスモスが咲くこの場所は以前、田圃だった。この区画が田植えをされなくなったのは、ずいぶん前だった。田植えはしなくても田を起こして、あらかき、はしていた。そのあとの水を張る代かき、はしなかった。田おこし、と、あらかき、という言葉がある。その違いは知らないが田んぼを耕運機で掘り返して草や枯葉を鋤き込んだ状態にして土地をならしていく、秋と春に二回それをやるとそのあとに雑草が生い茂る。夏にはやぶ蚊がいるがバッタやイナゴもたくさん増える。冬が近くなれば枯れた草薮に火がついて燃え出して消防車がけたたましいサイレンを鳴らして駆けつけることもあった。
そして五年ほど前にこの休耕田はコスモス畑になった。秋になると赤、白、ピンクの花が咲く。緑の茎と葉を背景に赤、白、ピンクはよく映える。コスモスの種は一度まいたあとは自然に毎年芽を出すのだろうか、それとも毎年、新しい種をまくのかは知らない。天気がいい日、秋空の青や浮かぶ雲ともコスモスは相性がいい、一面のコスモスは心を晴々とさせる。そんなコスモス畑に年々、いろんな雑草が混じるようになった。セイタカアワダチソウエノコログサ、ヒメスイバ、あとは分からないが雑草が増えるほどコスモスはまばらになる。今年はとうとうエノコログサが一斉に勢力を広げだした。整然とした陣容のコスモスにエノコログサの一団が突撃して赤い軍団の戦列が一つ二つと中央突破される。それを遠巻きに黄色いセイタカアワダチソウが見守っているようだ。
セイタカアワダチソウは北アメリカ原産、明治時代末期に園芸目的で持ち込まれ、昭和の初めには既に自生して帰化したことが確認されたらしい。コスモスは秋桜とも書く、室町の頃から日本にあるのかと思っていたら、コスモスはメキシコ原産で日本にはやはり明治時代にきたらしい。コスモスも、黄色い外来種も日本原生の狗尾草(エノコログサ)も久しく八木山の朝に馴染んで美しい。自然とは何だろうかと考える。コスモス畑にエノコログサがはびこってセイタカアワダチソウがもっと生えてくると来年あたり環境保全のために雑草は駆除されてコスモスの新しい種がまかれるのかもしれない。生態系とは何だろうかと考える。もともとこのコスモス畑は水田だった。
八木山峠を上ると狭い高原に川が流れている。川幅は一〇メートルほど両岸をコンクリートの石垣で整えられて用水路のようだ。昔は、この川は地形に沿って蛇行していた。川原の広くなった場所には芦が茂って川面には大きな岩が出ていた。曲がりくねった川の両岸には田んぼが作られていたが、田んぼは一枚一枚が小さくて直線ではなかった。段差の大きい場所は丸い石で石垣が組まれていた。秋になると田んぼや畑の畦道の斜面には赤い彼岸花が並んで咲いて、秋が深まれば田んぼ道の所々に柿の木や櫨の木の葉が色づいていた。農林水産省や県の公共事業として行われる圃場整備で川幅がどこも同じになり蛇行していたのは、まっすぐになった。田んぼの段差もなくなって一枚一枚が大きく四角い直線になった。柿の木やハゼの木は山のふもとにしか見られないが、まっすぐ流れる川の両岸には、しだれ桜が延々と植えられて八木山の新しい風物になりそうだ。そんな田園風景の田んぼの区画が所々、いつの頃からか休耕田になって、野菜畑やそばの畑に変わっていった。エノコログサに襲われるコスモス畑もそのうちの一画だ。
自然の意味が、人が生活の便宜から改造の手を加えていないもの、人為の加わらないさま、であるなら八木山はとうの昔に、田んぼも畑も山や川でさえ自然なものは何もないということになる。自然や生態系を守るとは、人がそれらに手を加えないということ、であればコスモス畑にエノコログサが繁殖するままにしておくことになるのだが。いや、その前に、コスモスを咲かせたことからして、そもそも人の都合であった。いや、もっと昔、江戸時代か、そのまた昔に人は生きるために田んぼに籾を蒔いたのだ。すでに、その時から自然ではなくなり生態系は変化していたことになる。そう考えると八木山に自然はないし、生態系は太古の昔から変わり続けるもの、ということになる。
自然を守ろうとか、生態系を維持しよう、と言われるのだが、それは、どういう事なんだろうかと思う。人間が、自分たちが美しいと感じる形や、自分たちの心地いい状態など、自分たちの生活に便利な環境を良いことだとして、それを守ろうとしているのなら、それは人の住む土地や、国ごとに、国でも地域ごとに、人が置かれている地位や状況でも、人それぞれに違ってくるはずだ。地球の上で人の手の入らないところが残っているのだろうか、それどころか月や火星にまで手を伸ばそうとしている。我々は何のために何を求めているのだろうか、いまだにわからない。コスモスの話がカオスになりそうだ。
                     
平成二四年十一月一日