ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中はエッセイ教室に出かけた。

先月は第5週に受講したので今日のエッセイは二週連続だった。
一昨日の五日に運転免許の更新をしたことを題材にした。




運転免許証を更新した           中村克博



 三週間ほど前に「運転免許証更新のお知らせ」という表題の郵便はがきが届いていた。三つ折にして圧着されたはがきを開くと片面が三ページで両面六ページに懇切丁寧な必要事項が分かりやすく記載されている。このはがきの差出人は福岡県公安委員会となっている。最終ページの末尾に、事務受託者、福岡県交通安全協会との記載がある。
 いま、ふと思ったのだが、これまで運転免許証の更新は十数回行ってきたが一体どこの誰が交付しているのか気にしたことがなかった。問われれば、福岡県警だろうと答えていたかもしれない。エッセイの題材にするなら確認しようと思った。それでインターネットで公安委員会を検索するとウイッキペディアに詳しく説明があった。
抜粋すれば、運転免許証は各都道府県公安委員会が交付するが、実際の業務は警視庁及び各道府県警察本部交通部に委任されている。とある。さらに、都道府県公安委員会は都道府県警察の運営を管理する権限を有する。その他、法令の規定に基づいて、運転免許、交通規制、風俗営業の許可、デモ行進の届出受理などの事務を行う。そうだ。そうだったのか、これまで福岡県公安委員会から運転の許可をもらって自動車の操縦をしていたのか、「ふぅ〜ん」と理解した。そういえば、このはがきの他にもう一通、運転免許証の更新を案内するはがきが交通安全協会からも届いていた。丁寧なことだ。

 更新手続きの受付は地元の試験場で午後の部が一三時から一四時となっていた。お昼過ぎに着いたので待合場所のベンチで本を読みながら待っていた。床置き式の大型空調機が唸り声を上げているが衿首から汗が滲んできて蒸し暑い。かなり古そうな空調機のようだが性能のせいではなさそうだ。温度設定を高めにしているのだろうと思った。前のベンチに一人いる背中のふくよかな女性はブラウスの前をつまんでパタパタ扇いでいる。僕は眠くて、うつらうつらしていた。文庫本の活字は眺めているが読んではいなかった。お昼に食べたロースカツ定食の大きすぎたトンカツを思い出していた。騒がしいので目を開けると大勢の人が二列に並んで長い列を作っていた。案内ハガキには一三時からとなっていたが一二時五〇分から窓口が開いたようだ。
 二番窓口でもらった用紙に簡単な書き込みをして三番窓口へ、更新手数料二五〇〇円と講習手数料一五〇〇円の印紙は係りの人が用紙に貼って手渡しながら次の流れの説明をしてくれる。次々に何度も何度も同じ説明を毎日毎日くり返して、大変なことだと思った。チャップリンのモダンタイムスの場面が浮かんできた。
「次は右に真っ直ぐに、八番で目の検査を受けてください」と言われた通りに「八番、八番」と復唱しながら大きな検査機械の行列にくわわった。八番と言われていたが六番の行列が短いので、そちらの後ろに列んだ。ところが、この列は一向に進まない。横の列の人が段々に前にいってしまう。どうしているのだろうと前の方を覗くと検査の人の席に誰もいない。しばらくして、二分くらいしてだろう、中年を過ぎた感じの小柄な係官が背中をかがめてハンカチで禿げ上がった額の汗を拭きながら椅子に座ったのが見えた。程なく僕の順番がきた。「初めはメガネをかけずに裸眼で見てください」と係の人が言うが、声が小さくて聞きづらい。この人、元気がない。腹の具合でも悪いのかと、そのときは思った。しかし、いま思えば、それは僕の考え違いで音量を落としていたのは聴力の検査を兼ねていたのだと気づいた。ではあのとき、席を外していたのはなぜだろうと思う。ま、今となってはどうでもいいことだ。
次は写真を撮る場所に移動する。椅子に座ると、これまでは「顎を引いてください」といつも同じことを言われていた。背中を丸めていて顎だけ引いていては、おかしな姿勢になるのに、言われるまま、そうしていた。それで今回は工夫して仙骨を真っ直ぐに立てて背骨を引き上げるように伸ばしていた。そうすれば自然に顎は引ける。すると思った通り、写真を撮る係りの人は「はい結構です」と言って器械のスイッチを入れた。
写真を撮り終えて通路に出ると「次はこちらです。交通安全協会です。入会の手続きをお願いします」と女性二人とひょろっと背の高い男性が手招きするように呼びかけている。前回まで、何も考えずに流れるように窓口でお金を払っていたが、今回は、済まないようにして、少しの笑顔で頭を下げて通り過ごした。向こうの3人の人たちは、残念そうに、申し訳ないような、きまり悪そうな笑顔を返してくれたように僕は感じた。
次は講義なので教室でしばらく待っていたが、先ほどの行為を、これでいいのだ、と自分で何度か反芻した。この教室では高齢者特別講習が行われた。いつからこのような講義をするようになったのだろうか、少し腹立たしかった。講師も高齢者と言われるのに該当する男性だった。自分で何度も弁解するようにそのことを言っていた。過去一〇年間で六五歳以上の事故件数が三五%増加したそうだ。団塊の世代がこの年齢帯に入ってくればもっとこの数字は多くなるのだろう。なるほどと、うつらうつらしながら認識していた。体の機能の低下は以前から自分でも気づいていた。山仕事を長時間したりする時に昔との違いを思い知らされている。車の運転ではむしろ運動機能の低下に気づかないでいるが、そのことが尚さらに危険なのだろうと思うようになった。運転中に「はっと」したことを家に帰ってくつろいでいるときに、あぁ、あの時は危なかった。と思いだすことがある。講習内容は無駄ではなかった。
次も講習だった。教室を変わって二階の大きな教室で受けた。先程と違って今度は大勢の若者に混じっていたが、席は一番後ろの出入り口に近い椅子が用意してあった。二時間のところ先ほどの一時間を考慮して半分の一時間での退席が許可されていたので、途中の休息時間に出ていった。この一時間もほとんど、うつらうつら、していたが、目はつむらないように心がけていた。
                          平成二四年九月六日