ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中はエッセイ教室に行った。

若干の添削と修正の指導を受けた。
「所々」はひらがなで、「ところどころ」に。 「来た」はひらがなで、「きた」に。
「時々」はひらがなで、「ときどき」に。 「飲む時」は「飲むとき」にするほうがいいだろうと。
おにぎりは「食べる」よりも「くう」のほうがふさわしいのではないだろうか、など。
今日提出したのはこんなのだった。



枯れた梅の木の皮を剥がした。         中村克博


 今年はいつもより梅の咲くのが遅かった。それでも四月になれば、さすがにどの梅も勤めを果たして、多くは花びらを落としている。同じような白い花を咲かせる梅でも咲く時期はまちまちなようで二週間ほども後から咲くのもあるがそれらは今が見ごろのようだ。梅をこんなに注意して見たことがこれまでなかったような気がする。色も純白から薄紅色、さらに艶やかな朱を差した豊満な八重咲きなどいろいろある。
そんな梅の木の中に枝の半分ほどが枯れているのが目に留まっていた。花はおおかた散っていて赤いガクだけが枝に残っていたが枯れ枝の部分にはそのガクもなかった。梅特有の乾いたコケが樹皮を覆い尽くしている。その枝ぶりが面白い。切り取って皮を履いで磨いてみようと思った。ノコを持ってきて梅の木に登った。少し水分があれば切りやすいと思ったので、まだ生きているところの境目からノコを入れた。切り口を見ると直径は二〇センチほどだった。この梅の木には思い出がある。もう三〇年以上も前の話だ。


 父と僕は年齢差がちょうど三〇なのでその頃の父は今の僕と同じ年頃になる。老いたようでも遅咲きの梅に似て元気がいい。そんな父が僕に言いつけた。その石とあの梅の木をここに持ってきていい塩梅に配置するように。その石、と言っても高さが一メートル二〇センチほど差渡しが一メートルほどで一トン以上はありそうだ。あの梅の木、といっても三〇年あとの大きさはないが一人で運べる代物でもない。だいいち掘り出すのに、それを根巻きするのに、それに植え変える場所には大きな穴を掘らなければ、と考えると。夏の暑い盛りで昼間の太陽が頭の上から照りつけていた。朝早くから山仕事をしていたので頭も顔も汗が滴っていた。お昼に何を食べたか記憶にないが、オニギリと何か食べたのだろう。きっとおいしかったはずだ。
 僕の他に数人が山仕事をしていた。オニギリをたらふく食ったあと昼休みはなかったかもしれない。親父にはそんな習慣がない。さっそく鉄梃やチエーンブロックと三脚支柱の準備をしたと思う。梅の木を掘り出すのに小石が多くて苦労した記憶がある。根っこを傷めないようにしたが十分でなく土も落ちてしまって根巻きできずに数人で運んで行った。深く植えたので添え木はしなかったと思う。日差しは傾いて山に沈むころだった。水をたっぷりかけて土をどろどろにして髭根によくなじむようにした。大きな石を梅の枝との釣合いを見ながら根元に配置した。ほめられて嬉しかったより、ホッとした記憶がある。


 切ってきた枯れ枝はベランダの隅に置いた。グリュックが匂いを嗅いで興味なさそうにもとの場所でごろんと横になった。それから数日、雨が続いたので皮剥の作業は出来なかった。そのうちに予定していた小旅行の日がきて、出かけたので梅の枯木のことは忘れていた。旅行から帰ると枯木はすっかり乾いてもとの位置にあった。
 どうやって皮を剥がそうかと考えた。とりあえずコケを取り除くことにした。コケを取るために薄刃の鉈で凸凹の表皮ごと削り落とした。スギやヒノキは枯れると樹皮は木部から剥がれやすくなるのに梅はそうではないようだ。凸凹の表皮を剥がしても樹皮は木部と一体になるようにくっついている。長い時間この作業を続けているとだんだん要領がよくなった。
 表皮がなくなるときれいな樹皮が出てきた。硬い、爪で押しても跡がつかないほどだった。色艶もいい。明るい黄土色にところどころ赤いまだらが散らばって凸凹の皮目の跡が黒く細い線になっている。樹木を剥がさずにこのままでいいような気がした。なかなか味わいのある枯木になるようだ。しばらく眺めていた。枯木は立てた高さが一メートルほどで、そこから一段細く伸びる枝の曲がり具合もいい。切り詰めた小枝が角のように残っている。以前に切った枝の中がうろになって穴があいているのがあるが、そのひび割れた切り口の朽ち加減がまたいい。
 皮目の跡の黒い線は一様でなく幅が細くなったり広がったり、小さな穴が空いている箇所もある。よく見ているとアリがいた。さらに、もう一匹が穴からできた。さらに、もう一匹が穴から覗いている。その辺の樹皮を鉈で軽く叩いてみると、うつろな音がした。ノミを持ってきて樹皮をバリバリと剥がしてみた。中はアリの巣だった。アリが黒い塊になってうごめいている。白いゴマのような卵もたくさん見える。これでは樹皮を全部剥がさねばなるまいと思った。
 樹皮をノミで少しづつ剥がしていった。木部にできるだけ傷を付けないように注意するので手間がかかる。ノミを打つのに金槌を使っていたが力の加減がやりにくい。小さい金槌に変えてみたがこれでは力が入らない。木切れを試してみた。これは具合がいいようだ。適当な大きさの角材を持ってきて使用した。これならノミの頭もつぶれない。ときどき体を伸ばして、姿勢を変えて同じ作業を続けた。夢中になると水分補給を忘れるので近くに大きな湯呑を置いていた。飲むときにはカメムシが入っていないか確かめるのを忘れない。以前、無造作にお茶を含んだら大きなカメムシが口の中で暴れたことがある。一瞬、何が起きたかわからなかった。すぐに吐き出したが臭いまでは出ていかなかった。
 樹皮をはがし終えてワイヤーブラシを丹念にかけると、だいたいの感じがつかめるようになった。屋根裏部屋に二畳台目の茶室のようなものを作ろうと思う。そこの小さな床板に差し掛ける柱に使えないかと思う。母に手ほどきを受けたお点前でお茶をたて、この梅の枯木を見て父を偲ぶのは話ができすぎのようだが。 
                                 平成二四年四月六日