ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

エッセイ教室には鳥の巣箱のことを題材にした。


 鳥の巣箱を作っている                中村克博
 
先月の中ほど、ふと思いついてリンゴの木で鳥の巣箱を作りはじめた。そのための丸太は2年前からすでに用意していた。近くのリンゴ園が冬になると伸びすぎたリンゴの枝を剪定する。鉛筆ほどの細い枝から湯呑ほどの太い枝まで、時には間伐した大きな幹を筒切りにしたものもある。この時期になるとリンゴ園の主人から、「リンゴの枝を寄せていますからいつでも取りに来てください」と声がかかる。僕はトラックを手配して二屯車の荷載せ一杯にリンゴの枝を積んで帰る。二度三度と往復することもある。それらの枝は一年乾かして翌年の冬の焚き火に使用する。囲炉裏や暖炉の薪にすると火保ちがいい、はぜて火の粉が飛ぶこともない。炎の姿や色が穏やかで長く見ていて飽きることがない。燻製に使うとほのかに甘い香りが肉に移る。

そのような薪の中から程よい大きさの幹に都合良く節穴が空いているのを見つけていた。幹の中が空洞になっていればいいのだがそうではなかった。リンゴの木は乾くとなんとも硬い。薪にすると火持ちがいいし炎がチロチロと穏やかに燃えるのだが木工細工には向かないようだ。石のように硬いのを掘り抜かねばならない。ドリルの歯が立たない。熱で煙が出て刃がダメになる。水で熱を下げながらやってもだめだ。ノミを出してきたが埒があかない。腰が痛くなった。ベランダで潰れたノミの刃先を研ぎながら気づいた。砥石の刃先に神経を集中して、いつまでも研いでいると気分が爽やかになる。一点を見つめて、同じ動作を長く続けていると無心になっている。天気がいい。日差しが心地いい。横で居眠りしているグリュックも無心のようだ。

 刃の立たないリンゴの幹を車の座席に乗せて近所の木工所に出かけた。木工所のオヤジはくわえたタバコの煙をよけながら湯沸しポットほどの輪切りの幹を眺めていた。出してきたドリルの刃先を取り替えて無造作に突き立てると簡単に穴が空いた。こんなことなら早く相談すればよかった。ドリルの刃が合っていなかったのだ。親切なオヤジはついでにもっと穴を開けそうな気配だったが、「あ、いや自分でするのが楽しいから、分かった、もういいよ」と言った。「それならこのドリルを使えばいい、持って行くといい」というが、「いや自分のが今後もいるので、ありがとう…」と街のホームセンターに車を走らせた。

 幹が空洞になれば後は屋根を付けると今回の工作は終になるのだが、よく切れるドリルの刃が幹の横腹を突き抜けた。「あ〜ぁ、」と思ったがもう遅い。それを二ヶ所もやってしまった。どうやってその穴を埋めようかと思案したが無理だと分かった。それで穴を埋めるのはやめにして、そこは窓にすることにした。四角い小さな戸板の窓は半開きに、もう一つはアーチのはめ殺しにした。そこにはめ込んだ無色のすりガラスは音楽CDのジャケットをくり抜いた。

作っているうちに楽しくなった。小鳥が出入りする節穴は形良く空いているのだが、それとは別に下の方に玄関の扉をつけた。この扉は小さなちょうつがいを付けて開け閉めできるようにした。さらに扉の周りに錆びたブリキの缶を細く切って鉄枠のようにめぐらした。こうなるとドアにはドアノブなる取っ手がつきものだ。ドアを開け閉めして中を覗いていたら建物を三層にしようと思った。階段も付けよう。台所は一階に、二階はリビング。寝室は三階の屋根裏がいいが明かりとりの天窓がほしい。いつの間にか森の小人になったような気分でいた。玄関までは幹に沿って、リンゴの小枝を剥き出しにしたスロープをつけた。歩きやすいように神代楡の短冊板を敷き詰めた。豪華なアプローができあがった。

いよいよ屋根を取り付ける作業に入る。はじめの計画では杉の板を貼る予定だった。傾斜のきつい屋根の平面はスッキリと直線的になるはずだった。しかし、それではこれまでのデザインの変更とは不釣合いになる。考えを変えて垂木にはリンゴの小枝をそのまま使うことにした。小枝は大きさがまちまちで真っ直ぐなのはない。それで屋根葺きは波打ったように凹凸になる。軒先も長くなったり短くなったりする。面白い趣になりそうだ。垂木の上には木舞板を貼って瓦は桧皮か板葺にしよう。

天気がいい日には建てかけの小屋を縁側の日だまりに持ってきて作業をしている。木枯らしが吹くまでには完成させようと思っていたが数日前から八木山の畑には霜が降りるようになった。制作に取り組めない日もあるが、作り始めてすでに半月になる。屋根組みの構造は出来上がって、一昨日前に木舞板を半分ほど貼り終えたところだ。できれば今月中には完成させたい。そうすればクリスマスまで自分の部屋に飾って楽しめる。ところが、いつの間にか、じつはこの鳥の巣箱、いや森の小人の小屋をクリスマスのプレゼントにしようと思うようになった。手渡すときに真面目な顔をして「ここで一緒に暮らそうか」などと言葉を添えようかと思う。 いやそれよりも、「この小屋で二人で暮らしてくれますか」と言うほうがいいだろう。
しかし、こんなことを事前にエッセイにしては身も蓋もない。エッセイの結びには面白いだろうと思うのだが。
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