ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

先日の金曜日はエッセイ教室だった。

夕方から居合の稽古に行った。

気に入りのナイフを失くした               中村克博


 先週の晴れた日、裏山で愛用のナイフを落とした。スギやヒノキを伐採した後の斜面に日が射すようになってから、それを待っていたようにタケノコが幾つも日々伸びてくるので手鋸で切り倒しながら歩いていた。倒れて重なっているスギの丸太の上を歩いたり跨いでいたら何度も転んだ。足場が悪くて滑るし小枝や蔓に足をとられて尻もちをついたり、つんのめったりしていた。ふと腰のベルトに目をやるとナイフケースの中が空になっている。先ほど頭から転んだ時に藪の中に体がはまり込んで小枝や刺のある葛草から這い出るのに四苦八苦した。きっとあのときに鞘から抜け落ちたのだろうと思った。

 この山のスギやヒノキの林は数年前に専門の業者が間伐していた。間伐は森林組合が国の費用でやってくれた。育ちの良くない木は間引かれ木の間隔が広がって山がスッキリなっていた。それから数年して今回は木立が伸びて建物に日が当たらないのと風通しが良くないので、かなりの量を木こりさんに頼んで伐採した。樹齢が五〇年ほどだろうか、もう立派に建築材料として使えそうに育っていた。寄り付きのいい道路のそばなので森林組合が見に来てくれたが原木を山から出して運搬して製材すると製品にしても採算がとれないという。それでスギやヒノキは切り倒したまま、虫や微生物に長年かけて分解してもらうことになった。スギやヒノキのなくなった山にこれから雑木が自然に生えてくれればいい。できれば落葉樹で大きく育てば秋には紅葉して、春には若葉が新緑を重ねてくれるだろう。
 今年の冬は部屋の暖房に薪ストーブか暖炉が使えるようにしたいものだ。燃料になる木材は無尽蔵にある。薪を山から住いする家にまで集めてくるは一苦労だろう。それから適当な大きさに切りそろえるのにもかなりの時間と体力がいる。おもしろそうだ。おかげで山はきれいになるし、体はいろんな動きをして骨も筋も筋肉も溌溂となりそうだ。それに運動が競争でなく、時間の制約もなく、気分にまかせて適度にやれるのがいい。これは年取ってから健康に年を重ねるためには、日々の過ごし方の一つに良さそうだ。
 空想は広がって…、そうだ、現役を引退する団塊の世代といわれる高齢者は全国でどれくらいの人数になるのだろう。ネットで見ると、
    厚生労働省は、その白書において「団塊の世代」ではなく、「団塊世代」は「団塊世代(一九四七年(昭和二二年)〜一九四九年(昭和二四年)生まれ)」としている。日本の医療制度上は、前期高齢者(六五〜七四歳)に該当する世代である。
この三年間の年間出生数は二六〇万人を超えている。一九四七年(昭和二二年)生まれは二百六十七万八千七百九十二人、一九四八年(昭和二三年)生まれは二百六十八万千六百二十四人、一九四九年(昭和二四年)生まれは二百六十九万六千六百三十八人であり、三年間の合計出生数は約八百六万人にのぼる(厚生労働省の統計)。
 もし、これらの時間にゆとりのある人たちが冬の暖房に薪を使うようになったらどんなことがおきるだろう。なにしろ、団塊世代三年間で合計出生数は約八百六万人だそうだ。半分が男だとして四百三十万人になる。元気に生活している人は四百万人はいると仮定して、それらの人が山にはいって燃料用の薪を集めてまわったらすごいことがおきそうだ。世界有数の森林国日本、その国土面積の約七割が森林、そして、 その約三割に当たる七五八万ヘクタールが「国有林野」らしい。それに郊外の山林には入会地が何世代も手入れされずに放置状態だ。  
まず法律の改正が必要だが、日本の山がもっときれいになる。高齢者の体力や機能が向上してもっと元気になって国の医療費負担が削減できる。建築材に使われないスギやヒノキが伐採されてスギ花粉の被害が減るだろう。花粉症には国民の三割が罹患しているそうだ。これによって国内の生産性が二兆円ほど下がっているとの試算がある。薬や医療費、マスクなどの花粉関連グッズが一〇〇〇億円の市場になっているらしい。
花粉症がなくなれば女性がマスクをしなくなって若い男性がイキイキしてくる。山に落葉樹が植えられれば秋の景色にも彩りができる。ドングリやヤマモモなどの木の実が山に多くなってイノシシやシカが山奥にもどってくれる。そうすれば村中の田畑を囲んでいる害獣避けの金網が取られて風景がよくなる。電気、ガス、灯油の消費が減って高齢者の使えるお金がふえる。冬の夜には暖炉の薪が燃えるそばで本が読める。クリスマスの夜が楽しくなりそうだ。

失くしたナイフを探してまわった。何度か転んだ場所にもどって枝をかき分けてメガネをかけなおして屈みこんで注意して見つけようとしたがとうとう目にすることができなかった。使いやすくて手に馴染んで山仕事にはいつも腰に吊るして長年愛用していた。昔マタギが使っていたという同じ形で片刃の小刀で素朴な木の柄がついていた。失くすと余計に不便を感じる。荷づくり紐を適当な長さで切るとき、宅配で届いた箱のガムテープを切り開くとき、シュロの繊維質が包んだ皮を切り取るとき、それよりも山を歩くときに腰に何もないと寂しいもんだ。
フィンランド大統領だった スヴィンヒューブド(一九三〇年代)は、「ナイフ は男の服装の一部である」と日ごろから言っていたそうだ。大統領の腰にはいつも銀製の イーサッキを下げて愛用していたと言われている。イーサッキとは、北欧最古の歴史を誇る一八七九年創立の会社。創立者の彼の名前が、そのまま会社名となっている。一八九四年にロシア皇帝 ニコライ二世と皇后 アレクサンドラにナイフを献上し、以来「皇帝御用達」の名が与えられることとなりました、そうだ。

僕は三日前、イーサッキと同じフィンランドのマルティーニ社の新商品、「折りたたみ式プッコ」をネットの通販で注文した。ハンドルにカーリーバーチ(白樺の瘤材)を使用し、全体的な形状は伝統的なプッコの佇まいを継承している。プッコは語源的に「突刺す」という意味を持っている。フィンランドの伝統的なフィンランド様式、スカンジナビア様式のナイフ。木工、釣、料理などの道具として使われるほか、武器としても使われる。 
平成三〇年五月三〇日