ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

もうすぐ立冬…

昨日は午前中「きらくにエッセイ」の教室に行った。
みんなで、お昼を食べたあと「ひらひら」のキャビンで休んでいた。

メンテナンスヤードの船台にCapriceが休養中だった。
近頃暖かい日が続く、暖かいというより日中など暑い。

夕方から居合の稽古に出かけた。

摩利支天像の前で、
女性の剣士たちも休憩もせずに一心に打ち込んでいた。

真摯に指導を受ける人は上達が早い。
師範が僕に、
「違うことをいくら一所懸命やっても、やればやるほど手直しに手間取るだけです」

居合の稽古の帰り、中洲の渋滞の中で交通の一斉検問があっていた。

何事かと徐行しながら写真を撮っていたら
「申し訳ありません。免許証を…」と言われた。


この日提出したエッセイはこんなだった。

お茶の稽古で分からないこと               中村克博


秋が深まると山茶花が美しい。南天の実が赤くなり始めたのを見ながら、お茶の稽古に出かけた。居合の稽古着の袴姿だった。お茶の前に居合の稽古をしようと思ったがモタモタして時間がなくなった。この日はいつものように窓がしらむ頃には起きたのだがまだ朝ご飯を食べてもいなかった。先週の土曜日のことでまだ三日前の出来事なのに何に忙しかったのかは思い出せない。袴姿でも不都合はなかろうと思うがいちおう母にお伺いを立てた。普段の稽古だからかまわない。むしろジーンズ姿よりはいいようだ。

従兄弟の息子夫婦が母に報告していた。
「先日、妻の実家に参りまして、祖母に箱手前でお茶を差し上げました。
 茶箱は祖母にいただいていたものなので、とても喜んでくれました。」
「そうね、それは良かった。箱手前は稽古の手順から言えば早すぎるけど、
 事情を聞いたので、教えたのやけど、それはよかったね。」
「祖母とのいい時間が過ごせました。ありがとうございました。」

そう言って若い夫婦は並んで母に手をついてお辞儀していた。その横の方でこの二人の親父さんが憮然と見える表情ながら嬉しそうだった。その様子を見ていた僕は、未だにお手前は納得悪くて未熟だが、茶の湯の意味が何となく分かりかけたような気分がしていた。この夫婦は若いけど家族との心のかかわり合を大切にするのだなと思った。今日は濃茶二時間のあとさらに御薄があったが足は痛いし気も薄れていた。おぼろな頭で考えた。おかしなものだ、茶室を出れば親戚のおばあさん、話す言葉はもっと気さくで笑いも混じるのに茶室ではこんなに他人行儀なのだろう。

稽古中の写真撮影は禁止を言い渡されて随分になるが近頃はこっそり撮ることがある。スマートホンなら目に付きにくいと思っていたら音が出る。音は止められない。母は耳が遠くなっているので聞こえないかもしれないが気が引ける。それで、愛用の単焦点デジカメでサイレントに素早く撮る。そのかわり稽古には身がはいらない。そうまでしてなぜ写真を撮るのかと思う。自分のすることに理由がはっきりしない行為はいくつもあるようだ。何をしていたのか思い出せないのもこんなたぐいのことかもしれない。そもそも、お茶の稽古にしても退屈で、足が痛いし、それでもやらねばと思うのだからわからない。これも自分のすることに意味や理由のわからない事のひとつかもしれない。
 お茶の道具は高価だ。茶碗も茶入も、竹で出来た茶杓でさえ拝見して「御作は … 何か御名でも … 」と、あんなもの俺にでも作れるがと思いながら問答している。正直、はじめのうちは少し小馬鹿にしていた。今ではさすがに小馬鹿にはしていない。自分が認識できないことを否定するのは良くないことだ。それにしても、なぜあんな問答をするのかわからない。聞いてみたいが未だに聞けないでいる。

裏千家ホームページを開いてみた。以下引用
足利時代にも中ごろになると、ぜいたくではなやかな茶会はしだいに影をひそめるようになり、村田珠光 (1423〜1502)が始めた簡素で落ち着いた草庵の茶法を楽しむようになりました。それはこれまで行われていた広い部屋ではなく、四畳半のような狭い部屋での茶会となったのです。武野紹鴎 (1502〜1555)は、珠光が理想とした草庵の茶を学び、それをさらに簡素にした「わび茶」をはじめました。それは質素な中に、心から誠意をもってお客さまをもてなすという精神的な面が生かされたもので、いろりを切った農家風の建物が使われるようになりました。紹鴎のわび茶の精神を表現したものに
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家
この紹鴎のわび茶の精神を受けついだのが千利休 (1522〜1591)です。利休の茶の精神を表わすものとして次の和歌が知られています。
 花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや 藤原家隆
千利休はこの二つの歌をわびさびの基本の歌だとして座右にあったとのこと。
                              
いよいよわからない。ま、わからなくてもいい。世の中分からないことが多いのだと最近になって気がついた。祖母から孫に伝承されていくもの、家族の心から心に伝わるもの、代々続いていくしきたり、家族が思いを共有すること、それらは品物ではないが仲介するのに物が介在するようだ。茶の湯もそんなものかもしれない。そう考えれば家族共通の先祖の御霊を祀る月ごとの仏事も、お正月を祝う料理や飾り物や挨拶も、還暦や米寿の宴も、家々の言い伝えや家訓のようなものも、お祖父さんの昔話もそれぞれの家々の文化なのだろう。家々の文化の集合が国の文化になるのだろうか。国家とは何だろうと思う。それにしても、男が小便をするのにズボンを脱いで座って行う家が多くなった。困った文化が出来ているようで大きな問題だと思う。最近になって訳のわからんことが本当に多い。
 二〇一一 一一 三