ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

カニさんをさがして小川を歩いた。

小さな小川には両岸から草が生い茂っていた。

刺のつるをよけて蜘蛛の巣をくぐって進んだ。

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水の中を注意して見ながら石をひっくり返してカニさんをさがした。

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台所からピッチャーを持ってきていた。見つけたカニさんを入れるためだ。

藪の小川をのぼってクモやカタツムリや蜂の巣やアメンボとであった。

足を滑らせ腰まで深みにはまってピッチャーが流れた。

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二時間ほど探したがカニさんは見つからなかった。

小川から這い上がると草藪だった。

小さな黒い蚊がまわりに見えた。腰の蚊取り線香が濡れて消えていた。

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汗だくだった。ホースの水を頭からかけた。水が体にしみるように飲んだ。 

カニは見つからなかったが、2時間ほどの探検はおもしろかった。

おもしろいピザ釜で家族パーティをした。

暑い日の夕方、日が落ちて風が涼しくなるころ。

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次男の嫁の実家に歩いて行くと、めずらしいピザ釜が用意してあった。

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木質ペレットを燃やして500度までの火力が得られるらしい。

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釜の温度が適当になるとピザを入れて、あとは待つだけ、

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スモーキーな匂いは暖炉の熾火で作るのとも違う不思議なおいしさだった。

ピザ以外に、いろんなオーブン料理がつづいて、夜が更けるのが速かった。

 

 

先週の金曜日はエッセイ教室だった。

濡れ場の書き方に苦労して何度も何度も書き直してやっと書いたけど、

教室で朗読を終わって感想を述べるとき、その場面には誰も触れなかった。

 

貝原益軒を書こう 九                      中村克博

 小笠原藩の関船から大方の武士たちが降りて終日つづいていた雨も止んでいた。ゆっくり流れる薄雲に月がときおり隠れる鞆の浦だった。船に残った久兵衛は夕餉を終え場所を変えて小笠原藩の近習たちと車座になっていた。

航海中の夕餉は素朴だが、この日は鞆の浦に停泊しているためか天婦羅に新鮮な刺身もついていた。清水に魚や野菜、それに地酒は藩指定の宿からの差し入れだ。関船には艪の漕ぎ手だけでも四十人は乗っている。それに帆走の作業につく水主たち、警固の武士たちを含めるとかなりの人が船に残留している。交代でとる食事のあいだ船内はざわついて人を呼ぶ声や物をとり落とす音などが聞こえていたが今は静かになって船べりを打つ波の音がかすかに響いていた。

近習の一人が久兵衛に大きな徳利から両手で酒を注ぎながら、

「先ほどの天婦羅はうまかったですね。瀬戸内の魚は初めてでした」

「長崎、福岡、小倉、福山と土地が変われば魚の種類も変わりますね」

 近習の侍は五人乗っていたが一人は頭の毛が薄い壮年で、

「我らは、上さま直々のお品を江戸藩邸に届ける役目があって、大坂に着くまで船を下りることは叶いませんが貝原殿は鞆の浦を見られてはどうですか」

「はい、私もそうしたいのはやまやまなのですが、何分にも上さまの怒りに触れ、浪人の身になっておりますので、はばかられます」

 頭の毛が薄い壮年の近習は久兵衛の応えに釈然としないのだが、他家の事情なので深いかかわりを避けて黙った。

 別の近習が、

「そうですか、しかし我らにとっては貝原様の話が聞けて好都合です」

 壮年の近習が、茶碗の酒をがぶりと飲んで、

「我らが江戸までお届けするお品は小倉から積み込んだ他に、ここ鞆の浦奄美からの黒糖を積むことになっております。その品がまだ鞆の浦に届いておらんのです」

 久兵衛は茶碗に注がれた酒をすすり、

「そうですか、黒糖なら大坂でも整えられるでしょうに・・・」

「いや、江戸の藩邸で使う特別な黒糖、というより、黒糖を使った羊羹です」

「甘葛でなく黒糖を使う羊羹ですか、私はどちらも食べたことがありません」

 壮年の近習がもう一口飲んで、

「私もありません。江戸で徳川家やほかの大名家への贈答品に使います」

奄美大島琉球王国に属していたのですが、薩摩藩琉球を支配してから奄美の黒糖を専売として藩で最大の収入源になるのですね」

 壮年の近習は大徳利から酒を注がれながら、

「それで、このたび薩摩から運ばれる船には薩摩の武士が大勢乗っております」

 大徳利から酒を注いだ若い近習が、

「ところが、その船から抜け荷がおきて、弓削島で大風を避けている折に・・・」

 久兵衛が驚いたように壮年の近習に目をやった。

近習は酒を流し込むように飲んで、大徳利の者を見ながら、

「さよう、薩摩が琉球から仕立てたジャンク船なので乗組員はほとんど琉球人で奄美からも黒糖の生産者も乗っておったのです。嵐の夜に警固の薩摩武士の目を盗んで、かなりの量の黒糖を艀に移し替えて弓削島に降ろしたのです」

 久兵衛は酒の茶碗を両手に持ったままで、

「その知らせはいつ知ったのですか、それで下手人はどうなったのですか」

「わしらの船が伊予松山領の大三島で嵐を避けていた折に船番所からの知らせがありました。大三島へは弓削島から小早船が嵐の中まいったようです」

 久兵衛は聞きながら茶碗の酒をゴクンと飲んで、

「伊予松山の松平定行公は権現様とは伯父甥であらせられ、またご正室薩摩藩初代の島津忠恒公の養女、島津朝久様のご息女であります。さらには、弓削島は今治藩に属しまして藩主は松平定房公、松平定行公の弟君になります」

先ほどから話を黙って聞いていた年若い近習がポツリと、

「と言うことは、薩摩の抜け荷が今治藩の弓削島であった。それを兄である松山藩に知らせてきた。松山藩薩摩藩は親戚関係なのですね」

 壮年の近習が酒が回りおぼつかない口調で、

「ややこしいことは、もういい。ようするにだ。黒糖の抜け荷など大した問題ではないのだ。それよりもジャンク船には明国の品も、南方の品も長崎を通さないご禁制の交易品がたんと積んである。それをとがめられると・・・、わしらの船に積み替えて江戸まで警固するのは黒糖羊羹だけではない」

 もう一人、ぽっちゃり顔をした近習が、

「黒糖だけなら薩摩藩での抜け荷、ですが、ご禁制の交易品の抜け荷となれば幕府との問題になりませんか、我らが切腹しても間に合いません」

 久兵衛は茶碗の酒をゴクンと飲んで、

「それで、下手人はどうなったのですか」

「盗まれた黒糖は回収して奄美の者たちはあらかた召し取ったが首謀者は逃げたようで、薩摩の武士が目ぼしい島に手分けして追及しておるらしい」

 さらに話を続け壮年の近習はろれつが回らないがおおむね次のような話をした。

薩摩は石高七十万石ほどと言われるが実際はその半分もない。土地が火山灰で水が抜け米はできない。そのため武士にも芋栽培を奨励して芋ばかり食べている。薩摩は琉球を支配して奄美の黒糖が有力な財源になり藩の専売とした。奄美では懸命に黒糖を作るが人は舐めただけでも罰せられる。奄美は芋すら食えないで蘇鉄まで食べている。  

そして無体なことに幕府は外国との交易を長崎に限って独占したので薩摩は琉球を介しての外国交易まで禁止され、ますます藩の財政は困窮するばかりだ。ところが、今より十年ほど前の寛永十八年に薩摩藩は長野村で有望な金鉱脈を発見した。佐渡の金山より産出量が多く、藩の重要な資金源になった。これで救われると安堵したが産金量の多さに驚いた幕府が薩摩藩の強大化を警戒して採掘開始から一年たらずで一方的に採掘中止を命じた。こうなっては薩摩が密貿易に活路を見つけるのは死活のことになる。

 

 そのころ、根岸は一人で遊郭が軒を争う有磯町から少し離れた揚屋の狭い部屋で年増の遊女と交接していた。行燈の小さな障子を開いて火皿が見え部屋は明るかった。年増と言っても根岸とは同じ年頃で三十路には届かない。女は仰向けで両足を上げ膝をたたんでいる。根岸は上に乗らずに女の折り曲げた膝をつかんで開いている。根岸は眼差しを上げて女の顔を見た。火皿の炎がゆれている。ゆっくりと深く、そして浅く、女の表情を確かめながら律動をつづけた。女の吐く息が途切れ途切れに聞こえた。柔らかいほっそりした指が根岸の手に重なってきた。根岸はやさしく指をからめ少し腰を落とした。  

                                  令和元年八月八日

 

久しぶりにお茶の稽古をした。

梅雨が明けて茶室に入ると部屋の中はカビだらけ掃除が大変だった。

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アルコールをかけてふき取った。病院の匂いと同じだ。部屋は使わないとカビが生える。

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茶庭が手入されずに草ぼうぼう、蹲のそばにウバユリが咲いている。

稽古が終わって茶室の前で、相棒の従兄弟が蜂に12か所も刺されて病院に行った。

電柱の建て替え工事があっていた。

国道から我が家まで配電線の付け替え工事で交通禁止だった。

朝9時から夕方3時ころまで、車の侵入ができない。

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梅雨明けの暑い日だった。作業車が5台来て一斉に作業をしていた。

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専用の重機があるので作業効率はいいが、この日照りでは熱いだろう。

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電線の張り替え中も停電しないように仮設の送電がされていた。

 

昨日は午前中エッセイ教室だった。

 

 

        貝原益軒を書こう 8                 中村克博

 

 

 小笠原藩の関船は鞆の浦に入ると左舷に舵を切り、さらに右舷にまわり込むように、ゆっくりと櫓を使って大波止の近くで錨を入れた。雨は小降りで風もあったが港の中の波は静かだった。船が停まると船の中がしだいに騒がしくなった。船員の作業や掛け声にまじって小笠原藩の武士たちが下船するためにぞろぞろと船室から手荷物を持って出て来ている。

 狭間から外をのぞくと一丁艪の艀舟が数艘こちらに向かっている。小舟には屋形はなくて漕ぎ手はどれも編笠をかぶって蓑をまとっている。後からも次々と雨の中を小舟がゆらゆらと漕ぎ出してきた。

 根岸は腕組みをして外を見ながら、

「あの艀では陸に上がるまでにはずぶ濡れになるな」

 久兵衛はしばらく黙っていた。小雨に濡れた街の屋根を見たまま、

「合羽はお持ちでしょう。雨笠は船にも用意されておるようですよ」と気のない口調で言った。

「カッパは荷物の奥の方にあるし、なんとなく億劫になってきたな」

鞆の浦には数日とどまるようですから、明日もあります」

「宿に上がれば湯も使えるし、魚もうまいだろうな」

「水も清くて、床は地について動きませんしね」

「手足を伸ばして心地よく眠れそうだ」

小さな艀舟が客を乗せ小雨に煙りながら列をなして湊に向かっている。狭い舟に丸い雨笠がひしめき合って揺れていたが艀舟はほどなくして次々と岸壁に接岸した。

「湊の岸壁は石が階段のように出来ているのだな」

「潮の干満の大きい瀬戸内海では石階段の船着場が造られ、「雁木(がんぎ)」と呼ばれるようです」

「岸壁が階段なら、潮の干満の差に関係なしに、いつでも艀が着けられるな」

「東の丘の上に船番所が見えます。当番の武士が雨の中こちらを見ています」

「ほう、三、四人も雨に濡れて見張っているな。さすがに大坂冬・夏の陣で武勇に秀でた荻野新右衛門重富の家臣だな、律儀なもんだ」 

「荻原様は初代の鞆奉行だそうですね」

「船番所の近くが有磯町の遊郭の立ち並ぶ界隈だ。船着き場からすぐそこだな」

 

 岸壁に着いた艀から武士たちがすべて上陸して人影は見えない。艀も船溜まりに移動したようで階段状の岸壁は白い波に洗われていた。波の音が聞こえる。

湊の奥から屋形船がこちらに近づいてくる。船尾の左右に艪が二つずつの四丁掛だ。帆柱があるので揺れが少ないようで船足が早く、すぐに関船に接舷した。

 下の船室から十人ほどの武士が出てきた。それぞれ雨合羽をはおり家紋の入った陣笠を手に持っていた。初老の一人が岸根を認めて声をかけた。

「根岸殿、それに貝原殿も、いかがなされた。船を下りる支度がないようですが」

「は、これは水上様、雨が降っておりますので、明日にしようかと」

「そうですか、よろしければ、私共と一緒に、この屋形船をお使いください。支度ができるまで待っていますよ。急ぐことはありません」

 根岸は顔には出さないが、こまったと思った。小笠原藩の上級武士と一緒に藩指定の定宿に泊まっては勝手に出歩くこともできない。しかし断る理由も見つからない。

「は、かたじけなく存じます。支度はいりません。では、このままお供させていただきます」

 根岸は久兵衛に目をあわせ軽くお辞儀をして、十人ほどの武士の最後に従った。久兵衛はその様子を見送った。根岸の気持を想像すると気の毒でもあるが滑稽でもあった。

狭間から見ていると屋形船は岸壁に着いて、手すりの付いた渡り板を掛ける作業がされていた。その作業が終わるのを待っているように番傘をさした人が三人ほどいる。番傘に屋号が見えるので小笠原藩定宿の出迎えのようだ。

 

京の遊女はうつくしいそうだが、水が清いことが大切かもしれない。久兵衛は外を見てはいるが景色はぼんやりと目に映っているだけだった。遊女の事を考えている。

少女のころから生まれついているものに、さらに顔は湯気で蒸して、指には手袋、足には足袋を履かせて寝させて、髪はさねかずらの雫ですいて、身を洗うには米ぬか、小豆、緑豆の粉をもちいるという。二度の食事には美容第一に気づかい、さらに、どこへ出しても恥ずかしくないように諸芸教養を一通り教え込む。肌には木綿物を着せずというから、美しい肌を保つために絹の肌着を付けるのであろうか、このようにして京の遊女は作り上げるのだろう、生まれ付いたそのままでは京の遊女はできないものらしい。

久兵衛は狭間から向きなおって静かになった船内を見ている。京に行けばそのような遊女を見ることが出来るのだろうか、いや、できないだろう。何しろそのような遊女は太夫というからには公家や大名、大身の旗本か大商いの町人、人気の歌舞伎役者が相手にするのだろう。それでは鞆の浦の遊女はどのような女たちだろう。と思う。

 

人の気配がして若い武士が二人やってきた。久兵衛にお辞儀して声をかけた。

「貝原様ではありませんか、陸には上がられなかったのですか」

 先日、小倉城で進講したおりの近習の武士たちだったが名前は分からない。

「やあ! 先日はお世話になりました」

「いや、私どもこそ、かたじけないお話をたまわりました」

「とくに、ポルトガルのたくらみもよくわかりました」

「そうですか、まだまだ話し足りないことが多かったのですが」

「船旅はこれからも続きますので、よろしければ拝聴したいものです」

「はい、夜、酒でも飲みながらやりましょうか、ところで、おふた方は鞆の浦には上陸しないのですか」

「はい、私どもは江戸藩邸までの荷物を警固する任務があります」

令和元年七月十八日

 

ドイツから若者が居合の見学に来た。

台風が近づいていて雨が降り蒸し暑い天気だったが

柳心会で用意した紋付き袴に着かえて、刀の装着から体験していた。

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まずは基本的な刀の抜き方を教わった。

実際の抜刀の仕方は無限自在にあるのだろうが、最初は安全第一に。

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正中一文字の基本刀法の体験、この技、簡単のようでむつかしい。

僕など十年もやっていて、まだまだ出来ていないことに気が付くときがある。

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マイク師範からの親切な指導で、すこし日本武士の精神に触れただろうか。

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アメリカ人のマイク師範がドイツからの若者に

日本古来の居合を教えるのはおもしろい。独自の伝統文化が国際的になっていく。

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刀を鞘に収める納刀のとき、鯉口を指で包み込むことを宗家が教えていた。

刀身が指に触れるので危ないようだが、これが安全で確実な刀の納め方の基本だ。

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体験の後は記念写真を撮った。ドイツに帰ってどのように体験を語るだろう。

そういえば、オイゲン・ヘリゲルというドイツの哲学者が記述した

「にっぽんの弓術」という本がある。

昭和の初めに日本で弓術の修業をした体験をベルリンで講演したときの原稿が

原文らしいが、そのなかに、「的にあてることを考えるな、ただ弓を引き矢が

離れるのを待って射あてるのだ」という師範の言葉に当惑しながら・・・とある。

居合なら、さしずめ「斬ることを考えるな・・・」ということになる。

考えさせられる・・・

 

久保白の山小屋で、藤蔓の籠作り講習があった。

妻の花教室が企画した野外講習会。


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事前に用意していた藤蔓から思い思いに材料を選ぶことから始まる。

これだけの藤カズラを集めるのは一苦労だったようだ。

八木山の森の中、久保白の藪をかき分け、上川君の奥さんには世話になった。

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籠の底の部分から編みこんでいく、はじめは力のいる作業だ。

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しだいに思い思いの形が出来てきた。

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完成した作品を皆で 見せ合って意見の交換をする。

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この作品は誰のですか、はあ~い私のです。よく出来ていますね。

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みなさん、思ったより作品の完成度が高いようで、指導の先生も一安心です。

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この生徒さんは独創のポーチを作っていた。腰につけたり、肩から下げたり、

天神か心斎橋か銀座を歩くとセンスの良さに、流行り出すかもしれない。

いや、それよりもニューヨークの五番街かロンドンのピカデリーサーカスを歩けば

どこで買えるのかと問われるだろう。

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山を歩いて、藤蔓が大きな木や竹に絡みつく生態を観察しながら、

水かさが落ちた水辺を通って、いざバーベキュー会場へ、

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雨上がりの森の中でバーベキューパーティのはじまり。

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思い思いに作品を仕上げたあと、仲間が集まって過ごすなごやかな時間。

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花教室の生徒さんが、久保白で野外パーティをするのは初めての試みだった。

大きなキノコが生えていた。ネットで調べた人がいた。食べない方がいいらしい。

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指導してくださった上川君の奥さんに生徒の皆さんから帽子のプレゼントがあった。

藤カズラを探して、山にはいって林をかき分け蔓の見分け方から教わった。

材料の準備が大切で苦労がいる。材料がそろえば作品作りは楽しい。

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飲んで、食べて、おしゃべりして、女性のバーベキューパーティはにぎやかだ。

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夕方、すべてが無事に終わって、お別れの名残惜しいひと時、

今回の講習会に定員締め切りで参加できなかった人たちは次回、秋に計画するそうだ。

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近くのJR駅までお見送り・・・