貝原益軒を書こう 8 中村克博
小笠原藩の関船は鞆の浦に入ると左舷に舵を切り、さらに右舷にまわり込むように、ゆっくりと櫓を使って大波止の近くで錨を入れた。雨は小降りで風もあったが港の中の波は静かだった。船が停まると船の中がしだいに騒がしくなった。船員の作業や掛け声にまじって小笠原藩の武士たちが下船するためにぞろぞろと船室から手荷物を持って出て来ている。
狭間から外をのぞくと一丁艪の艀舟が数艘こちらに向かっている。小舟には屋形はなくて漕ぎ手はどれも編笠をかぶって蓑をまとっている。後からも次々と雨の中を小舟がゆらゆらと漕ぎ出してきた。
根岸は腕組みをして外を見ながら、
「あの艀では陸に上がるまでにはずぶ濡れになるな」
久兵衛はしばらく黙っていた。小雨に濡れた街の屋根を見たまま、
「合羽はお持ちでしょう。雨笠は船にも用意されておるようですよ」と気のない口調で言った。
「カッパは荷物の奥の方にあるし、なんとなく億劫になってきたな」
「鞆の浦には数日とどまるようですから、明日もあります」
「宿に上がれば湯も使えるし、魚もうまいだろうな」
「水も清くて、床は地について動きませんしね」
「手足を伸ばして心地よく眠れそうだ」
小さな艀舟が客を乗せ小雨に煙りながら列をなして湊に向かっている。狭い舟に丸い雨笠がひしめき合って揺れていたが艀舟はほどなくして次々と岸壁に接岸した。
「湊の岸壁は石が階段のように出来ているのだな」
「潮の干満の大きい瀬戸内海では石階段の船着場が造られ、「雁木(がんぎ)」と呼ばれるようです」
「岸壁が階段なら、潮の干満の差に関係なしに、いつでも艀が着けられるな」
「東の丘の上に船番所が見えます。当番の武士が雨の中こちらを見ています」
「ほう、三、四人も雨に濡れて見張っているな。さすがに大坂冬・夏の陣で武勇に秀でた荻野新右衛門重富の家臣だな、律儀なもんだ」
「荻原様は初代の鞆奉行だそうですね」
「船番所の近くが有磯町の遊郭の立ち並ぶ界隈だ。船着き場からすぐそこだな」
岸壁に着いた艀から武士たちがすべて上陸して人影は見えない。艀も船溜まりに移動したようで階段状の岸壁は白い波に洗われていた。波の音が聞こえる。
湊の奥から屋形船がこちらに近づいてくる。船尾の左右に艪が二つずつの四丁掛だ。帆柱があるので揺れが少ないようで船足が早く、すぐに関船に接舷した。
下の船室から十人ほどの武士が出てきた。それぞれ雨合羽をはおり家紋の入った陣笠を手に持っていた。初老の一人が岸根を認めて声をかけた。
「根岸殿、それに貝原殿も、いかがなされた。船を下りる支度がないようですが」
「は、これは水上様、雨が降っておりますので、明日にしようかと」
「そうですか、よろしければ、私共と一緒に、この屋形船をお使いください。支度ができるまで待っていますよ。急ぐことはありません」
根岸は顔には出さないが、こまったと思った。小笠原藩の上級武士と一緒に藩指定の定宿に泊まっては勝手に出歩くこともできない。しかし断る理由も見つからない。
「は、かたじけなく存じます。支度はいりません。では、このままお供させていただきます」
根岸は久兵衛に目をあわせ軽くお辞儀をして、十人ほどの武士の最後に従った。久兵衛はその様子を見送った。根岸の気持を想像すると気の毒でもあるが滑稽でもあった。
狭間から見ていると屋形船は岸壁に着いて、手すりの付いた渡り板を掛ける作業がされていた。その作業が終わるのを待っているように番傘をさした人が三人ほどいる。番傘に屋号が見えるので小笠原藩定宿の出迎えのようだ。
京の遊女はうつくしいそうだが、水が清いことが大切かもしれない。久兵衛は外を見てはいるが景色はぼんやりと目に映っているだけだった。遊女の事を考えている。
少女のころから生まれついているものに、さらに顔は湯気で蒸して、指には手袋、足には足袋を履かせて寝させて、髪はさねかずらの雫ですいて、身を洗うには米ぬか、小豆、緑豆の粉をもちいるという。二度の食事には美容第一に気づかい、さらに、どこへ出しても恥ずかしくないように諸芸教養を一通り教え込む。肌には木綿物を着せずというから、美しい肌を保つために絹の肌着を付けるのであろうか、このようにして京の遊女は作り上げるのだろう、生まれ付いたそのままでは京の遊女はできないものらしい。
久兵衛は狭間から向きなおって静かになった船内を見ている。京に行けばそのような遊女を見ることが出来るのだろうか、いや、できないだろう。何しろそのような遊女は太夫というからには公家や大名、大身の旗本か大商いの町人、人気の歌舞伎役者が相手にするのだろう。それでは鞆の浦の遊女はどのような女たちだろう。と思う。
人の気配がして若い武士が二人やってきた。久兵衛にお辞儀して声をかけた。
「貝原様ではありませんか、陸には上がられなかったのですか」
先日、小倉城で進講したおりの近習の武士たちだったが名前は分からない。
「やあ! 先日はお世話になりました」
「いや、私どもこそ、かたじけないお話をたまわりました」
「とくに、ポルトガルのたくらみもよくわかりました」
「そうですか、まだまだ話し足りないことが多かったのですが」
「船旅はこれからも続きますので、よろしければ拝聴したいものです」
「はい、夜、酒でも飲みながらやりましょうか、ところで、おふた方は鞆の浦には上陸しないのですか」
「はい、私どもは江戸藩邸までの荷物を警固する任務があります」
令和元年七月十八日