ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

昨日はエッセイ教室だった。


          八木山のアジサイ               中村克博

 今年は梅雨入りしてもそれらしい雨が降らない。それでも八木山にもアジサイが咲きはじめている。アジサイにはいろんな種類があるが原産地は日本のガクアジサイらしい。アジサイの語源ははっきりしないが『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」の字をあてているそうだ。古く日本から中国へ伝わったものが、さらにヨーロッパへと持ち込まれ多くの園芸品種が作られたらしい。ところで、アジサイが咲く田植えのころ蒸し暑い日が続くと翌日は打って変わって肌寒い日に変わる。今朝も寒くてまだ仕舞っていなかった石油ストーブに火を入れたほどだった。
 アジサイは傘をさして犬と散歩しながら道端に人の家の庭先から咲いているのを目にするのがいい。花の色はいろいろあるが、やはり青いのがいい。もう随分前になるが、雨は降っていなかった寒かった朝の散歩で、アジサイの花を撮ろうとカメラを構えていたら飼い犬のグリュックがレンズの前に来てポーズするのには、おかしいやら腹立たしいやら、カメラの向きを変えるとたちまち移動するので仕方なくシャッターを押したのを思いだした。そうだ、明日の朝、グリュックの墓にアジサイを一輪そなえてこようと思う。花の色はピンクにしよう。
 妻のやっている、いけ花教室の生徒さんが野外レッスンで八木山に埋れ木や立ち枯れた古木を探しに来る。先月から土、日曜日に五人から一〇人が敷地内の山にはいる。案内するのは僕の役目だ。先頭を歩いて、マムシやヤマカガシ、それに大きなムカデに注意しているが、そのことは言わない。不要に怖がるかもしれない。せいぜいカズラに足をとられないように、刺のある草木に気をつけて、ゆっくり歩くようにと言う。ゆっくり歩けば蛇は見つかる前に逃げるはずだ。
 山の頂上に、といっても、さっさと歩けば家から一五分ほどで行けるのだが、そこに大きな石碑と石組の祠がある。石碑には五穀豊穣と刻まれた文字が見える。左の側面には文化五年とうっすら読める。文化五年は一八〇八年だから二一〇年ほど前に建てられたようだ。石碑の横の祠には猿田彦大神が祀られている。そういえば先月も、いけ花のみなさんが自然に手を合わせていたのは印象的だった。
 今月十日の日曜日にも、いけ花教室の女性たちが山道を登って、林の中をかき分け倒木をまたいで古木を探しながらこの場所まで時間をかけて登って来た。この辺りはすでに先月随分採ったあとなので、今回はさらに気を配って探したのに、まだ目ぼしい古木は見あたらず誰もが手ぶらだった。所在なさそうに登って来ると、そこで忽然あらわれた石碑と祠を目にして生徒さんたちは、しばらく珍しそうに不思議そうにながめていた。そのうち誰からともなく一人二人と手を合わせはじめ、ほかの女性たちも一斉に手を合わせてしばらく頭を下げた。僕も、つられてか、仕方なくか、手を合わせて頭を下げた。

 そのあと意外なことが起きた。それまで見つからなかった古木が次々と生徒さんたちの目につきだした。根っこの部分が土に埋もれている背丈ほどの形のいい立ち枯れの古木があった。リーダの花いけ人が興味ありげだ。これが欲しいと言われたらどうしようと思った。掘り出すのは一苦労だ。それにスコップも鍬も持参していない。手鋸とナイフはあるが、それではどうしようもない。ところが朽ち果てて硬い芯だけになった古木をゆすってみると少し動いた。昨日の雨で山の表土が緩んでいるようだ。しばらくゆすっていると動きが大きくなって根っこが少しずつ地面から浮き出てきた。それが何とも形がいい。ついには何の苦労もなく手間も掛からずに地面から取りだせた。みんな大喜びだ。それぞれ生徒さんたちも思い思いの朽ちた古木を手にしていた。猿田彦の祠の下斜面に、倒れた大きな木に手首ほどのツタが絡まっているのが見つかった。どんな使い方をするのか知らないが、花びとの要望にこたえて指示されるとおりに切りはなした。
足場の悪い藪の中を両手いっぱいの古木を抱えて歩く若い女性たちが何ともたくましい。僕は重たい古木を抱えて山を下りながら、少し休みながら、息が切れるがすてきな女性たちに囲まれると奮い立つ本能を久しぶりに実感した。山を下る途中で肥え松の朽ちた古木が腐葉土から覗いていた。これはいい花材になるようで花びとが欲しいという。大きすぎるので鋸で三つに切り分けた。運ぶ荷物が増えていく、うれしくもあるが皆でかかっても一度では運べない量になっていた。下の家で朽木を磨いている生徒さんに援軍を要請する伝令をリーダーの花いけびとが放った。
 お昼を食べて一休みして、僕はみんなが採ってきた古木を高圧洗浄機できれいにしていた。土がとれ朽ちた木の表面が剥がされていくと硬い芯の形が出てくる。何とも自然は、アバンギャルトな彫刻家が刻み出すようなフォルム創るもんだと思う。いや自然にそんな意図はない。花いけびとの感性が朽ちた古木に美しさの創造を見出すのだ。妻がのぞきに来た。部屋で生徒さんたちが古木を使って花をいけているので見に来るようにと言う。ついて行くと壺や水盤に古木を取り合わせて花がいけられていた。どれもすばらしいらしいが、いけている生徒さんもすてきな人たちに思えてきた。こんな女性に尽くされるなら男は命にかえて守るだろう。妻や家庭を郷土や国を自分たちが継承する文化や歴史を命を懸けて守ると思う。日本は若い人たちから変わってきているのだろうかと思う。昔からの文化や祖先や先達を誇れる歴史を、山から古木を掘り出すように民族の独自性を見出しているような気がしてきた。
昔、我々世代がニュースを知るには新聞やラジオやテレビからがほとんどで、まして広範囲な世界の動きを、立ち位置の異なる時事論評を、専門の政治学者や社会思想家の意見を、取捨選択して接することなど思いのほかだった。ところが現代の若者はネットにつながっているので、ニュースは発生した時間にその場所からそこにいる人の目線で様々な角度から知ることができる。時事評論でも著名な専門家の意見を異論を交えてユーチューブで見れる。しかも講演会場に行かなくていい。最新のものから数年前の見方も再現できる。その中から自分独自の見かたや考えも出来てくるだろう。今では一方的な考えや情報操作は若者には通用しない。なんと、1951年5月3日に行われた米国議会上院の軍事外交合同委員会でのマッカーサーの証言ですらスマートホンから再現できる。そこでマッカーサーは「・・・したがって日本が戦争をしたのは自衛のため余儀なくであった。」と言った。GHQの最高司令官が東京裁判を否定している。戦後史の根底が変わる。しかし、「花いけびと」たちは論理や政治から離れた自然の中から本能的にこれからの日本の国のありようを感じてはじめているのかもしれない。
平成三十年六月十四日