昨日は居合の道場おさめ、今朝はお茶の稽古おさめ、
僕はいつもの薄茶と濃茶のけいこ。従兄弟は流し立て、
ナンテンの実が赤くなっている。
ダイダイの実が黄色くなっている。
昨日は今年最後のエッセイ教室があった。
家じゅうの不要な物を捨てる 中村克博
母が入院してから一ヶ月近くなる。もうすっかり元気なのだが退院は来週の火曜日になった。この際にと、家じゅうの不用品の整理を始めた。母の孫たちはこのひと月のうち土曜日を二日ほどそれに当ててくれた。妻は毎週二、三日を、僕は三、四日ほどを朝から夕方まで埃まみれで働きつめた。おかげでほぼ家じゅうが片付いた。
いろんなものを整理して、と言うより長年の間にたまりにたまった使い道のない物やゴミを捨てた。燃えないゴミは飯塚市の指定する緑色のビニール袋に入れた。不燃ゴミの回収車は月に一度しかやってこない。小屋の中に積み上げて小山のようになっている。燃えるゴミは黄色のゴミ袋に入れる。こちらはほぼ毎日回収に来るので溜まらないが回収作業に来た人が緑の袋の山を見て、
「この量は、二十六日に来る一車だけでは積みきれんでしょうな」と言う。
「そら、こまったですね」
僕は黄色のビニール袋を回収車の回転板に投げ込んだ。
「あ、いいですよ。手伝わんでよかです」
感じのいい青年が笑顔で言った。
「専用の運搬車を手配しますか、有料になりますが・・・」
凄みのあるおやじの方が言った。
「有料ならいいです。残りは来年になりますね」
僕は二個目の黄色のビニール袋を回転板に投げ込んだ。
「年内がいいですよね。何とか考えてみまっしょ」
凄みのおやじは口元をほころばせて運転席に乗り込んだ。
「そうですか、よろしくお願いします」
飯塚市のゴミ袋は一枚七五円もする。ゴミ袋の山を数えてはいないが、一〇個で七五〇円、一〇〇個で七千五百円になる。
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家じゅうのいらなくなった物を捨てるのは家の中が整頓されてきれいに清潔になるだけではないようだ。体を使うのでいい運動になる。熱中して来ると頭の中は何も考えずに空っぽになる。とくに家族でいっしょの作業をするのはいいもんだ。いっしょに食べる昼食がうまい。いろんな物を捨てながら共通の思い出を話しながらゴミ袋に入れたり、ゴミ焼き場に運んだり、物は捨てるのだが思い出は蘇ってくるようだ。
いらなくなった箪笥や鏡台、食器棚やテーブルなどが捨てられた部屋は広々として心地がいい。残された食器棚には必要な湯呑や茶碗やお皿が整然と並んでいる。物置のようになっていた食卓テーブルの上に今は何もない。小さな花瓶に花を、それとキャンドルでもあればと思うほどだ。
長男が僕に言った。
「物置小屋になっていた離れを取り壊そうと思います」
「そう、それがいいね」
ぼくは、うれしくなった。
「それから、蔵も解体しようと思いますが・・・」
「う、蔵もか・・・」
「造りも良いものではないし、かなり老朽化してますし・・・」
断捨離という言葉がある。山下英子が著書「断捨離」を発表して、この言葉は登録商標になっているそうだ。ヨガの行法で断行・捨行・離行と言うものがあるそうだ。「断」は、入ってくるいらない物を断つ。「捨」は、家にずっとあるいらない物を捨てる。「離」は、物への執着から離れる。として不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。とある。長年ヨガをやっているが知らなかった。
平成三十年十二月十三日