ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

きょう、午前中はエッセイ教室、


きょう提出した原稿は、


福岡市民劇場「島」の公演を観に行った。      中村克博


 一瞬の光で命を失うことのないように
 吸った空気で命を失うことのないように、とは原作者、堀田清美の言葉らしい。

あらすじを劇場の会報から拾えば、
   一九五一年、瀬戸内海の小島。二十歳のときに原爆に遭い、九死に一生を得た栗原学は、故郷の島へ戻り教師をしている。島は、前年に始まった朝鮮戦争の特需によって支えられ、学の妹・史はアメリ進駐軍の臨時雇いで働き、叔父の大浦は、?魚雷ばらし?で儲けている。学の教え子である川下家の次男・邦夫は高校への入学が決まっており、かっての教え子・玲子も学を慕い、よく家にやって来る。のんびりした発動機船の音とハンマーの音が交差する島に、ある日、東京から学の同級生・清水が現れて…

終戦から6年が過ぎていた。朝鮮戦争の特需に支えられている瀬戸内海の島。呉に近い小さな島が舞台になっている。呉は広島から三〇キロ余り、当時のバスでも一時間はかからない距離だろう。青年教師・学は、二十歳のとき広島で被爆していた。いまは母のゆう、妹の史とともに暮している。そんなある日、東京で働く同級生・清水が訪ねて来たことをきっかけに、平穏な暮らしに変化が始まる。
学は切なく恋している教え子・木戸玲子との将来を考えて?島?を出たいと思いはじめていた。もちろん、母や嫁入り前の妹への思い、長男としての責任も自覚している。そこに、被爆のため時折り体調がすぐれない苛立ち、被爆者への差別、GHQと政府の被曝実態の隠蔽と将来への危惧が重なって悩んでいる。そんな折、隣人で親しくしている、にぎやかな川島キンさんが白血病で急死した。被爆から七年目、このころから白血病で亡くなる人が急に増えていたが国民には放射能汚染や原爆症についての実相は公表されなかった。

 僕はこの演劇を観るまで、広島や長崎の原子爆弾投下による被害について詳しい知識はなかった。調べてみようとも思わなかった。毎年、八月になるとテレビの関連する映像を見るくらいだ。この日は防災放送の大きなマイクが黙とうの呼びかけをするので、折がよければ起立して一分間ほど目をつむって頭を下げている。しかし原爆について考えたことは無かった。第二次世界大戦で日本が戦った大東亜戦争とか太平洋戦争とかで起きた出来事の一つだと思っていた。

第二次世界大戦の人的被害をみると、戦死者は、いろんな統計があるのだが連合国側で、ソ連が二千万人、中国が九百三十万人、ポーランドが五百四十万人、ユーゴスラビアが二百三十万人、インドが二百万人、イギリスが六十八万人、フランスが六十万人、アメリカが四十万人、ギリシャが三十万人、オランダが二十万人。枢軸国側で、ドイツが六百三十万人、日本が二百九十万人、ルーマニアが八十万人、イタリアが六十一万人、ハンガリーが六十万八千人、チェコスロバキアが二十万人、フィンランドが十一万七千人、タイが八万千人、ヴィシーフランスが一万人、全世界の推定では、軍人が二千三百万人、民間人が三千万人となるらしい。
一九三一年(昭和六年)の満州事変、一九三七年(昭和一二年)の盧溝橋事件と第二次上海事変から南京攻略戦の日中戦争へ、そして、一九四一年(昭和一六年)の真珠湾奇襲から太平洋でのアメリカとの戦争、シンガポールインドネシアビルマでのイギリス・オランダとの戦争(オランダもフランスもドイツが占領していた)、それらの大東亜戦争や太平洋戦争についての東京裁判史観のまやかしは、アメリカやイギリスなどの当事者から、それまでとは違う情報が出始めてこれまでの定説が変わりつつある(なぜこの時期にと勘ぐれば彼らの思惑は想像できるのだが)。それよりも近年のインターネットの進化と普及によって、いろんな情報が誰でも手に入ることが歴史の真実を暴きだす手助けになっている。新聞やテレビに依らないでも、自分で情報分析と判断ができるのだ。政府による情報操作もプロパガンダもできにくい世界になっている。

僕は福岡の百道パレスで演劇「島」を観ながら、福島の原発事故のことが頭に浮かんでいた。そういえば、二〇一一年三月一一日に起きたあの事故も七年目にはいった。
家に帰って、福島原発事故についてインターネットで調べてみた。
福島県は二〇一六年七月五日までに、東日本大震災東京電力福島第1原子力発電所事故による県内外への避難者数が九万人を下回り、八万九千三百二十三人になったと発表した。
福島原発事故によって福島県内に拡散した放射性物質を除染した際に発生した除染廃棄物は福島県だけでも最大で二二〇〇万立方メートル…これは東京ドーム約十八杯分にもなる膨大な量、二〇一六年六月三十日は福島県内の放射能に汚染された除染土を日本全国に分散し、道路や防潮堤の下に埋める方針を正式に決定した。
   第一原発の原子炉建屋には大量の地下水が流れ込んでおり、一日約四百トンの汚染水が発生している。東電は放射性物質を除去する多核種除去装置「ALPS」を使い、汚染水を浄化しているが放射性トリチウム三重水素)は除去できず残る。東電はこの処理水を敷地内のタンク約一〇〇〇基に保管しているが、汚染水の総量はすでに八〇ンを超えるという。
   
児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長の、衆議院厚生労働委員会での発言や日本記者クラブでの質疑の様子をユーチューブで長い時間みていたが、話は難しく僕にはよく理解できなかった。放射能放射線についての専門的な知識がないし、まして、それが及ぼす人体への影響は医学的なその分野での知識がないと、判断ができない。
二〇一五年三月一三日付の? 報道するラジオ“「東日本大震災4年〜福島と原発のいま」という映像がユーチューブにあった。京都大学原子炉実験所の助教小出裕章という人が聞いてびっくりするような話をしていた。
「原子炉が壊れてしまっている訳で、格納容器という放射能を閉じ込めるための最後の防壁も、多分あちこちで穴が開いてしまっていまして、水を入れてもみんな漏れてきてしまうという状態ですので、今でも放射性物質は大気中、あるいは汚染水としてあちこちに漏れています」
「これまでに福島第一原発事故で放出されたセシウムの量というのは、今までの物と合わせるとどれぐらいになるんでしょう?」
「はい。えー、どこまで正確かよく分からないのですが、日本国政府IAEA国際原子力機関という原子力を推進する団体に提出した報告書があります。それによりますと、1.5×10の16乗ベクレルという数字が書かれていまして、それは広島原爆がまき散らしたセシウム137に比較すると、168発分に相当しています」

 このあとも、解決のめどが立たない現状の説明がつづいていた。このようなことが事実なら、一体全体、我々はどうするのだろうか。
平成二十九年四月二十日