ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今年最後の山小屋パーティ

二ヶ月に一度の山小屋での高校時代同窓生の食事会

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小雪がチラッと降って、冬を思いだす天気だった。

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焚火にはいい具合の気候になった。   まずは牡蠣を焼いた。

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肉を焼いた。 冷たい風に冷たいビールがうまそうだ。

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部屋にはいって、鍋料理がつづいた。

 

先週のエッセイ教室は、

八木山のヨガ教室                 中村克博

 

 数日暖かい日が続いている。十二月に入ったのに今日も平地で日中は二〇度を超えていた。車で走っていると窓を開けねばならないほどだった。ところが今週末には日中で一〇度以下、最低気温は三度くらいになるらしい。八木山では氷点下になるのだろう。ひょっとして初雪が見られるかもしれない。

 

 母が緊急入院して十日ほどになる。部屋で転んだところにテレビが体の上から乗っかってきたらしい。折よくホームヘルパーの女性が来ていて、大声で叫ぶように僕に知らせに来た。お茶室でのんびり稽古をしていたが、あわてて母のところに駆けて行くと母はベットで目をつむって横になっていた。テレビが乗っかかってきて動けなかったと言う。たぶんテレビを伝って歩くうちにつまずいてテレビを道ずれにしたのだろう。海でおぼれる夢を見ているようだったとつぶやくように話した口元に少し笑いが見えたので大事ないと思った。それでも、市が指定する老人介護の主事病院に電話すると高齢だから骨折の心配があるので検査をするという。救急車を手配してくれた。

 救急車が間もなくやってきた。隊員が担架を持って家に入るが母の部屋にはモノがあふれていて進めない。仕方ないので母は毛布をハンモックのようにして、包まれるように運ばれていった。まるでサンタクロースの袋に入れられたようだった。僕も車で救急車の後を追って病院に向かった。僕は赤信号では止まったので救急車にはかなり遅れて着いた。

 検査の結果、主治医の判断で、骨には問題ないが痛がるのでしばらく入院看護することになった。以来毎日、病院の母を見舞いに出かけるが、何とも新しい高齢者専門の病院の設備の良さと看護の徹底ぶりには驚いた。ロビーも通路もエレベーターもホテルかと見紛うばかりだ。すれちがう看護師さんや職員の人は、皆さん若くて決まって誰もが先に目をあわせて軽くお辞儀をする。トイレで手を洗おうとすると蛇口から自動的に温かいお湯がでる。

 

入院から十日ほどして退院の許可が出た。それでは、お世話になりましたと、明日にでも、とおもったら、少々打ち合わせの会議をするとの知らせがあった。指示された日時に出向くと広々した会議室に通された。会議の参加者は私を含めて八人だった。病院から看護師が三人、ケア施設から三人の女性たちが白い長いテーブルを挟んで一時間ばかりも意見交換や申し合わせをした。一人の老人介護にこれほどの設備と人的な支援がされるのかと改めて感心した。

病院の環境と自宅の状態を出来るだけ違わないようにするようにとの要請だと解釈した。まず、ベットを取り替えること、寝て飲んだり食べたりするので、上体が持ち上がるような機能が必要で、喉につめるのを予防するためらしい。ベッドの高さを調節できるものであることも必要らしい。

ベッドについては、いろんな機能の付いているのを買おうかと思ったが、横に傾いたり上体だけでなく、足の方も上がる機能が付いたのもあるようだ。ところが、老人が操作を間違えて、横に傾け過ぎて床に転げ落ちたり、上体も足の方も上げてしまって、ベッドの中に挟まれてしまう心配もあるそうだ。それで、しばらくは病院と同じ機能のベットをリースで使ってみることにした。リール代は一月に二〇〇〇円ほどらしい。

それから、ベットのまわりは車椅子や歩行器が通りやすいように物を置かずに余裕のある動線を確保することが大切らしい。なにしろ、母の部屋は足の踏み場もないほど、いらないものであふれている。ペットボトルの蓋でも捨てさせないで困っていたが、この際、病院の指示ということで、スッカラカンにすることにした。ついでに台所のいろんな物もサッパリと整理しようと思う。湯呑も茶碗もお箸でも、使い古して痛んでも捨てないで困っていた。茶碗も湯呑も新しいものにしようと思う。

さらに、ベットのある部屋の温度と台所、トイレ、廊下、風呂場などの温度の差があまりないようにとの要請だった。とくにトイレと風呂は暖かくするようにと。八木山は冬寒い。平地よりも四度は低いだろう。病院の温度は部屋も廊下も二六度あった。動くと暑いほどだ。

病院での会議のときに、僕は「昔から冬は寒いのが当然で、厚着をすればいいと思っていたけど、皆さんは半袖なんですね」と言ったら笑われた。その笑い方が、僕の意見を本気にとらず野暮なジョークと思っての愛想笑いだったように感じた。病院関係の人たちは僕の子供よりも若い人ばかりだった。時代の変遷を寂しく感じた。

 

昨日は朝十時から八木山ヨガの日だった。毎週、火曜日に丘の上小さな木造の家屋が僕のヨガ教室だ。脳梗塞になって、リハビリのために近くのヨガ教室に通って始めたのだが、ありがたいことに脳梗塞になる前より元気になったようだ。その回復状態を知った高校時代の同窓生の数人に乞われて今度は自分流のヨガ指導を始めたのだが、すでに十年近くになった。八木山のヨガ教室でいっしょに始めた友人たちは、いまでは、いろんな人たちに入れ替わったが、効果があるのだろう、これからも続きそうだ。

元気な老後を、ヨガをつづけて、そんなことを書こうと、思っていたら、導入部分の書き出しの方が長くなった。僕のヨガはこの次にしよう。

平成三十年十二月六日