ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

先日、ももちパレスに舞台演劇を観にいった。

その様子を書いて、今日のエッセイ教室に提出した。


福岡市民劇場に行った           中村克博

 朝から雨が降っていた。昼から、ももちパレスの市民劇場に観劇に行くのだが午前中は夫婦それぞれに違う用事があった。九時すぎ、妻を近くのJRの駅まで車で送って自宅に帰ると、すでに訪問者が来ていた。次々と来訪者は定刻までには集まり毎月定例の会議は難なく終了したが時計の針は一二時をすぎていた。いつもなら福岡までは高速道路は使わないが都市高速のゲートを通過したときは一二時半を過ぎていた。
幸いに車は渋滞もせずスムーズに走って百道の出口を下りた。雨は小降りになっていた。会場の駐車場はいつも満車なので歩いて一〇分ほどの百円パーキングに停めた。ももちパレスに着くと劇場の前には観劇者の長い列が出来ていた。妻から電話があった。場内に入らずに待っているように、いまコンビニでパンを買っているという。一時からだと思っていたら、開演まで三十分ほど時間があるらしい。屋上のベンチに二人で座って激しくなる雨を見ながら僕は大きなあんパンを食べた。

今月の演題は「はい、奥田製作所」だった。席はF席の中ほど、妻がいい席でありがたいね、ここならキャストの表情も良く見える。と小さく言った。僕はそうやね、と言ったが熱演者のツバキも飛んで来ない距離もある。とは言わなかった。スマートフォオンの着信音をオフにしたのを確かめて左の席を見ると、エッセー教室の先輩の篠田さんが座っていた。驚いて挨拶した。この人の文章は妻も好きなので憧れの人に会ったようにドギマギしていたようだ。

劇団銅鑼のホームページで見ると、
上演時間二時間(休憩なし) 
キャスト二〇名  
スタッフ八名
あらすじ
東京は大田区の町工場。ある日、頑固一徹の社長(親父)が倒れた!!
後を継いだ息子は、工場の再建を目指して、大改革を宣言。
しかし、従業員たちは猛反発。。。。。さて、その先に見えてきたものは!?
“働くこと”“生きること”の意味を問いかけ、現代を生きるすべての人々に贈る熱いエールです。
二〇〇八年、劇団創立三五周年記念公演として俳優座劇場にて初演。

 開演前の舞台を見ると、緞帳はなくて誰もいない舞台セットが照明されている。奥田製作所と名前の書かれた町工場の外観があり、屋根の下に事務所の様子が設営されている。舞台の左手は事務所の出入り口になって、引違の木枠のガラス戸がある。そこを入ってすぐに、なぜか旧式の旋盤の機械が置かれている。ロッカーや工具置き場や事務机もあるが、炊事場も大きなテーブルもある。事務所の右手には経営者の二階建ての住いがあり、この事務所の奥に小さな工場がある想定になっている。


会場のざわめきが静かになって時間がくると、舞台の照明も観客席の明りも消えて、少しの間、暗闇になった。そして再び、明かりがつくと舞台には人がいて奥田製作所の日常が始まっていた。この物語の時代背景は現在進行中の日本の町工場、そこで起きる親から子への事業の継承の様子を描いているのだが戦後七〇年になる日本の社会全体の縮図でもあるのだろう。
大きな会社ならセブンイレブンや出光興産、ロッテ、大塚家具のようにニュースにもなるが、上場していない企業や商家にも同様の問題はごまんと起きている。しかし、これらはニュースにはならない、せいぜい地元や業界での噂になるくらいだ。この事業継承問題の解決はビジネスなるようで大手の会計事務所にも証券会社にも事業継承専門の部署がある。もちろん都市銀行にも生保の会社も専門のスタッフをそろえ有望な収益部門になっているほどだ。

舞台の「奥田製作所」は小さな町工場だが、今そこで起きている問題は経営上の世代間の物の見方や考え方の違いからくるいざこざだ。二〇までに自由主義者でなければ情熱が足りない四〇までに保守主義者でなければ知能が足らない、とはチャーチルの言葉らしい。このような保守主義進歩主義のような関係は、いつの時代でも、どの世界でも起きるのだろう。
さらに昨今の日本、この問題がこれまでになく難しくなっている。その原因の一つはコンピュータとインターネットによる産業構造の急速な変化で、これは一八世紀後半のイギリスに始まる産業革命をしのぐ激しさと速さがあるらしい。それと、もう一つは戦後七〇年のあいだ変わり続けた家族のありようとか、親らしさ、先生らしさ、男らしさ、医者らしさ、(…らしさ)の消滅だろう。これは責任と権威の消滅にもつながり、神聖とか尊さとか信頼の消滅であるような気がする。それに代わって自由と自己責任、生産性とか効率、数値分析とセグメント、単純化とか標準化など、ボーダレス、区別しない、がもてはやされている。
ところが、皮肉なことにインターネットの社会浸透で、それが人間の機能の一部のようになったパソコンやスマートフォンが若者の社会意識を変えはじめた。国の歴史を見直しはじめ、固有の風土や習慣を意識し、人とのかかわり方を見直しはじめた。大切なものは何か、自分が守るものは何なのかを、垣根なく自由に取れる情報の中から見つけ出したようだ。そんな広がる思考を誘い出すような奥田製作所の改革だった。    
舞台が終わって、緞帳はないので幕は下りて来ないが出演者全員が、と言うよりも奥田製作所の皆さんが観客に向かってお礼の挨拶をはじめた。拍手がおきて、僕も手が痛くなるほど、いつまでも目の前で両手を打ち続けていた。

平成二十八年七月十四日