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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今日は午前中エッセイ教室だった。

先日の大濠の能楽堂に行ったことを書いた。


生まれて初めて能舞台で観劇した。           中村克博


先月二八日の土曜日、大濠の能楽堂に出かけた。異常に暑い日だったが妻は着物を着ていた。僕も麻のジャケットを持たされたが丸めて後部座席に置いていたら皺だらけになっていた。僕は大濠の能楽堂に行くのは初めてだった。そもそも能を鑑賞するのが初めてだった。車のナビどおりに能楽堂の駐車場に入れたら関係者以外使用禁止だった。妻が「だから、ここはダメだと言っているのに…」とつぶやいた。
 
大濠公園能楽堂は一九八六年に建設された。独立した本格的な能楽専用の公立施設としては石川県立能楽堂国立能楽堂に次いで全国三番目の開設らしい。 
能舞台は八方正面といわれ同じ演目でも見る場所を変えることで、正面近くから能役者の衣装や能面を観る、舞台の脇で橋掛かりの役者の動きや横の動きに注目する、遠くから舞台全体を見渡すなど違った発見があるのが能舞台であり能のおもしろいところでもあるそうな。
インターネットで調べると、
能舞台は、本舞台、橋掛がり、後座、地謡座からなっています。本舞台は三間四方の正方形で、その中で演者の舞が行われます。観客席(見所)と舞台の間に緞帳も幕もなく、極度に簡略化された空間です。もともと、能舞台は野外にありました。能楽堂に収められた現在も、舞台に屋根がついていたり、欄干のある渡り廊下が伸びたり、松ノ木が立っていたり、というのは、野外の能の舞台を再現するためであり、さまざまな工夫がなされています。
たとえば、橋掛かりに植えられている一ノ松から三ノ松は、手前から次第に小ぶりになりますが、これは遠近法を用いた工夫です。照明も自然光と同様の状態を作り出すため控えめになっています。
そして、音響上の工夫も成されています。能舞台の床下や橋掛がりの下に、大きな甕(かめ)を据える場合があります。これは、適度な吸音効果をもたらし、足で踏む拍子の響きをよくするばかりではなく、笛や太鼓といった囃子の音、謡の声にも影響するといわれています。(国立能楽堂の舞台にはありません)
能舞台は檜で作られています。舞台中央の後方に「鏡板」。舞台前方に「階(きざはし)」。向かって左に「橋掛かり」、その奥に幕があります。この形式が確立したのは、織田信長の活躍した時代より少し前だろうと推測されています。現在の構造になった最古のものは秀吉が作らせたという西本願寺の北能舞台で、能舞台では唯一国宝に指定されているそうです。
世阿弥は、夢幻能と呼ばれる能を生みだしました。今でも能の多くは夢幻能の構成を受け継いでいます。夢幻能には、「この世のものではない亡霊」が登場します。既に亡くなっている人物が、ありし日の姿で現れ過去の経験や悲しみ、栄光を語り、舞い、そして去っていくという展開です。つまり、能の多くは「あの世の人がこの世の人に出会い語る」というスタイルをとっています。そして、その舞台である能舞台が「あの世とこの世の境目」と呼ばれるのです。
能楽は、そもそも寺社の勧進つまり、寄付を集めるための興行として演じられてきました。そのため、お寺、神社と縁が深く、安芸の宮島西本願寺などには古い能舞台が伝わっています。
また、江戸時代には能が武士の芸能として定着したことから大名屋敷やお城には能舞台が必ず作られていました。古い能舞台は、屋外に作られ、舞台には屋根がついているものの観客が見る部分は野天という構造でした。現代では、屋外にあると不都合が多いため能楽堂として、建物の内部に舞台を作るようになりました。演出の上でも、あの世の人は橋掛かりを通って登場し、一通り舞い終わると橋掛かりを通って帰っていきます。橋掛かりはこの世とあの世の境目を結ぶ橋のように見えるのです。

 なるほど、能舞台の建築構造だけでも、おいそれとは理解できない。さらに役者の着ている衣装についても、冠っている能面についても知識があった方が鑑賞しやすくなるのだろうと思ったがこれさえも大変な知識がいりそうだ。それに演者のしゃべる言葉が何を言っているのか分からない。舞台の右手に十人近くの裃紋服袴が横向きで二列に正坐している。登場人物の役者(シテ・ワキなど)以外の演者たちの演技を第三者側から説明しているようだ。叙情、叙景ばかりではなく、登場人物の台詞(せりふ)の代弁、心理描写の説明もしているようだが何を言っているのか想像はするが、さっぱり理解できない。
 演目は第一部が能「巴」、第二部が狂言「泣尼」仕舞が「誓願寺」と「融」第三部が能「望月」だった。十二時半の開演で十五分の休憩が二回、終演がいつだったか忘れたが四時間くらいは椅子に座っていたと思う。途中で少しは居眠りしたかもしれないが退屈はしなかった。というより面白かった。ときどき感激もした。見て良かったと思った。これからも時々は能楽を鑑賞したい。いいもんだ。
料理は食べて見んと分からんし、旅行は街を歩いてみんとわからん。テレビの映像を見ても、本で読んでも実際に体験して感じた事とはちがう。能舞台の構造も能衣装のことも、能面の知識もないが、それに肝心の台詞も何を言っているのか理解できないけれど能舞台の前で演者をみながら訳がわからない台詞を聞いていると不思議と物語が理解できたような感じがするのはなぜだろうかと思う。居眠りして頭が空になっていたとき、かもしれないが能面の中に自分が入っているような錯覚をすることがあった。それに狂言を見ていて演者の台詞は分からなくても、思わず声を出して笑ってしまい気をとりなおして姿勢を正したこともあった。後で知ったのだが狂言で笑ってもいいらしい。
拍手については、いろんな意見があるようだが井伊直弼は茶湯一会集で、客が退出した途端に大声で話し始めたり、扉をばたばたと閉めたり、急いで中に戻ってさっさと片付け始めたりすべきではないと諭している。主客は帰っていく客が見えなくなるまで、その客が見えない場合でも、ずっと見送る。その後、主客は一人静かに茶室に戻って茶をたて、今日と同じ出会いは二度と起こらない(一期一会)ことを噛みしめる。この作法が主客の名残惜しさの表現、余情残心であると述べている。
 能の観劇に拍手は無用と解した。
平成三十年八月九日