ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

前回、エッセイ教室を休んだが、こんなのを書きかけていた。

名前の呼び方について調べて、少し考えてみた。

母から蹲(つくばい)の導水竹の取り換えを言われていた。
延び延びになったが、夕方、材料を加工した。明日組み立てる。


エッセイは、こんなだった。


名前の呼び方                       中村克博



 為朝と栄西と定秀を題材にして小説を書いているが、鎌倉時代の始めころ人を呼ぶとき、どのように言っていたのだろう。
源鎮西八郎為朝のことを「為朝さま」とは口にしなかったらしい。
禅宗の僧、明庵栄西を「栄西さま」とは呼ばなかったようだ。僕の書く小説には沙羅と言う名の定秀の娘がでてくるが、
人はもちろん父親でさえ沙羅とは言わないようだ。小説には「ちか」という壱岐島の豪族の娘も登場するが人は「姫さま」
とは口にしても名前を呼ぶなど、はばかられて途方もないことだったらしい。女性はほかにも、宗像一群を神領とする豪族
宗像氏の娘「たえ」が南宋の貿易商である博多の綱首(ごうしゅ)丁国安の妻になっているが、当時、人の妻を他人が
「たえどの」などと呼べば博多の町で物議をかもしたのだろう。

鎌倉幕府の初代将軍の源頼朝は鎌倉殿とも言われたそうだが、その正妻だった北条政子はどんな名前だったか実は
現在もわからないらしい。伊豆国の豪族、北条時政の長女で、子には二代鎌倉殿の頼家、三代鎌倉殿の実朝、それに大姫がいる。
兄弟姉妹には宗時、義時、時房、阿波局、時子などがいるが、その人たちが、どのように呼ばれていたのかは知らない。
政子は、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所、頼朝が死んでからは尼御台(あまみだい)といわれ、法名
安養院(あんにょういん)といった。頼朝亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、
京から迎えた藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称されたが、どのように呼ばれていたのだろう。
「政子」の名は建保六年に朝廷から従三位に叙された際に、父・時政の名から一字取って命名されたもので、それ以前の名前は
不明とあった。

先日、居合の道場で道着に着かえながら箱島さんと話していた。
「為朝さまとは呼べんのですね。女性の名前も呼べんのですね」
そういえば万葉集の一番最初は雄略天皇の歌で、若菜つみ女に呼びかける歌でしたな。といって、
「籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 
名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそませ 
われこそは 告(の)らめ 家をも名をも」と訳のわからない言葉をのたまわれた。
「へぇ〜、どんな意味ですか」
「ご存じなかですか。そこの娘さん、あなたの名前を教えてくれませんか、ですたい」
「そうですか、天皇が菜つみ娘に名前をですか」
「あの時代、女性に名前を聞くことは・・・ですたい」
「そうなんですね。それにしても、おおらかな時代ですね」
女性が男性に名前を告げるということは、求愛を受け入れることらしい。現代では自己紹介で互いに名前を知らせるのは
当たり前だが求愛現象とは関係ない。
もうずいぶん前になるが居合の道場で友人の先輩に名前で呼びかけた。すると、それを耳にした清水師範が、
「中村さん、藤田さんは師範です。道場では先生と言ってください」
「はぁ、そうですか」
言われてみればそうだ。と思った。それからは、清水師範の近くで藤田さんの名を呼ぶときには「藤田師範」と名前の後に
「師範をつけることにした。もちろん清水さんにも「清水先生」とか「清水師範」と言うようにしている。そういえば宗家のことを
「長岡さん」とはいわない。初めて会ったときから「宗家」といっている。

先月の二三日、オバマ大統領が来日した。オバマ大統領は安倍総理のことを「シンゾウ」と呼び、安倍総理オバマ大統領のことを
「バラク」といって寿司屋でお迎えしたそうだ。あくる日の共同記者会見では安倍総理が「バラク」と言ったのは九回で、
オバマ大統領が「シンゾウ」と言ったのは一回だけで、あとは「プライムミニスター・アベ」を使ったらしい。
これに気づいてか安倍総理は途中から「プレジデント・オバマ」に変えたそうだ。このような場合でも名前の呼び方には意味があり、
国民も気になるようだ。
二か月ほどまえ、「ウォルト・ディズニーの約束」を中洲の映画館で観た。トム・ハンクスの演じるウォルト・ディズニー
エマ・トンプソンの演じるパメラ・L・トラヴァースの会話を思い出した。彼女はミュージカル映画メリー・ポピンズ」の原作者で
オーストラリア生まれのイギリス人らしい。
二人の初対面で彼女が「ディズニーさん」と言うと、ウォルト・ディズニーは「ウォルト」と呼んでくれと笑顔で親しげに言った。
彼のほうはパメラどころか、初対面から「パム」と勝手な愛称で呼んで、自分を「ウォルト」と呼んでくれと、しきりにのぞむが、
彼女のほうは一貫して「ディズニーさん」と呼び続ける。「パメラ」と呼ばれると彼女は怒ったように「トラヴァース夫人」
と言うように強く抗議していた。

もう二年になるが、次男の結婚式の、お開きになる前の挨拶のなかで僕はこんな話をした。
「これからは息子のこと『尚ちゃん』ではなく『尚義くん』とか『尚義さん』と呼ぶようにします。名前の呼び方は、今後、
彼の人生に及ぶ影響が大きいからです」
このとき、参列者にうなずく人もいたが、多くは笑っていた。しかし、このことはこれから家族を守っていく本人の自覚だけではない。
上司や同僚や部下になる人たちが口にするに言葉に宿る霊威だと思う。
日に幾度か月に幾度か、一年では十年では、どれだけ多くの意識づけが重ねられるのか、五十になっても、上司から同僚から部下から
「ちゃん」づけで呼ばれている様子を想像するといい。男子たるもの、断じて「ちゃん」などと呼ばしてはならない。
親しく思ってくれるのなら、そうなって欲しいなら、敬意とか尊厳を先に与えてくれるといいが。
                             平成二六年五月五日