ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今日、第三金曜日は「きらくにエッセイ」の受講日だった。

朝、出かけるときは曇り空だったが昼過ぎから雨になった。
先日の孫娘の餅踏みを題材にした。先輩に良く出来ているとほめられた。
うれしかった。ほめられると気分がいい。


       餅ふみ                   中村克博


 今週の初めの天気のいいお昼過ぎだった。家内と出かけようと車のところへ歩いていると、息子夫婦が訪ねてくるのに出会った。ほんの少し早ければ行き違いになるところだった。二人に、すぐに戻るからと声をかけて出かけた。親子でも尋ねる場合は電話でもしてくるもんだろうに、と思ったが言わなかった。息子は数年前に家業の会社に入って現在は横浜の店を担当している。そちらに住んで二年ほどになる。その間に娘が一人できた。月日の経つのは早いもんだと思う。
近くの木工所に頼んでいる小さな家具の打ち合わせだったが用件をあたふたと済ませて引き返した。息子夫婦は母屋の台所でおばあちゃんと談笑しているところだった。明日、息子夫婦の娘の餅ふみをするらしい。おばあちゃんは餅屋に餅ふみの餅を電話で注文してくれたようだ。明日の朝、九時にそれを取りに行くのは僕の仕事になった。息子の嫁が息子に「お父さんにお願いしたら、」と言って、息子が僕に「お願いします」と言って、なぜか分からんが僕と僕の嫁が餅を取りに行くことになった。図々しい人たちだと思うが、悪い気はしないのは意外だった。むしろ息子の嫁の言い草が心地よかったほどだ。
僕は先妻に一七年前に先立たれ、長らく寂しい思いをしてきたが、縁あって今年の四月末に結婚したばかりだ。息子の嫁と僕の嫁さん、思えば我が家には嫁が二人いることになる。僕の妻は嫁に来た翌月に夫の孫娘の初誕生日の餅ふみを祝うことになった。息子夫婦と孫娘は、僕たちの住んでいる離れの座敷に移動してくつろぐことにした。僕の家内が薄めのコーヒーを入れてきた。
息子は何度も娘を僕の方に向けてハイハイさせるが、娘は三歩ほど進むと急に方向を変えて元に戻る。何度やっても元に戻った。僕が引き寄せて膝に載せようとすると泣きそうな顔になる。息子は残念そうに笑っている。そばで僕の妻と息子の嫁の二人の嫁がなにやら話している。二人はこれまで顔を合わせて挨拶を交わすことは何度かあったが話を交わすのは今日が始めてだった。孫娘は場の雰囲気に少し馴染んだようでハイハイしながら僕の嫁の方に近づいてきた。自分から膝の上に乗りかかって、それを家内が嬉しそうにだっこした。笑顔で抱かれたが、すぐに手をふりほどくように丸い卓袱台(ちゃぶだい)を伝って歩いた。みんなの目がその様子を追っている。娘は卓袱台から手を離してよたよたと父親の方に歩いた。息子は「おおっ」と言いながら娘を両手で迎えた。歓声があがった。初めて一人で立ち歩きをしたらしい。

餅屋は飯塚市内の昔からの住宅地の中にあった。狭い道に古い建物が低い軒を連ねていた。駐車場がない。まだ開店前のようで餅屋のガラス戸に洗濯まえのカーテンが引いてあった。車をその前に止めた。ガラス戸の窓枠に小さな犬がカーテンをくぐり抜けて顔を出した。家内が車から降りて戸を開けようとすると吠え出した。後ろから車がやってくるのがバックミラーで見えた。離合のために車を少し前進してやり過ごし、すぐにバックでもとの位置に戻ってきた。お店の奥から白い前掛けをした女の人が出てきてカーテンとガラス戸を開けだした。木製の古いガラス戸が引っかかりもっかかりして開いた。吠える犬の頭と同じ高さに紅白の鏡餅が入った「もろぶた」が見える。餅は柔らかそうに見える。触ってはいないがまだ暖かいのだろう。
餅のあとはアズキを買いに行った。まだ9時過ぎだったがアーケードの商店街の入口にある地元のスーパーマーケットは開店していた。アズキも都合良く買えた。アズキは母が赤飯を炊いてくれるのだろう。それにしても、つきたての鏡餅の横に犬がいて吠えるのは良くないだろうと思った。
僕は自分の子供に餅ふみの儀式をしたことはないし、その風習はどんなものかも実は知らなかった。ところが、息子の話では僕が自分の子供の餅ふみをしている写真があるらしい。不思議なことに僕自身はその写真を見たことも、そのようなことをした記憶もないのだが、いずれにしろ餅ふみでは筆や算盤や本などを置いて赤ちゃんにそれを選ばせるようだ。それで、それらのものを僕が用意することになった。筆の代わりに万年筆、ソロバンの代わりに電子計算機などを用意した。ワラジを履かせるようだがそれは用意できなかった。おばあちゃんは息子に離れの座敷でするように言ったようだが、僕は息子に母屋の仏間でおばあちゃんを正客に行うことを提案した。
仏間に、たらいに入れた紅白の鏡餅が置かれて餅ふみの用意ができた。初誕生日を迎える娘は仏壇の横にある大きな鈴を大きな撥で叩いて喜んでいる。今やめさせては機嫌を損ねそうなので、しばらくみんなで鐘の鳴り具合を楽しんでいた。強く打ったり軽く打ったり、撥を逆さまに持って叩いたりしている。これが余所様の孫ならきっと不愉快になるところだがと思っていた。
このような風習はいつの頃から始まったのだろう。先日読んだ「武士の家計簿」には記載がないか調べたがなかった。箸初め(はしぞめ)という生育儀礼があったようだ。赤ちゃんに箸で米粒を食べさせる儀式らしい。「くいぞめ」もしくは「たべぞめ」ともいうらしい。金沢では生後百日で行うところと生後百二十日で行うところがあったらしい。江戸時代の武家では子供が成人する一四歳までに多くの儀礼があったようだ。数えで二歳になると髪置。数え四歳で着袴、これは袴を着けて刀を差すらしい。数え一四歳で角入(すみいれ)、前髪に剃り込みを入れるらしい。数え一四歳で前髪を剃って元服となるようだ。そのたびに父方の伯父や母方の親族が集まって祝宴を行なったらしい。その頃の武家にとっては、かなりの出費になるようでお膳の鯛は絵に書いたものを出すことがあったらしい。なぜ、それほど大切な行事だったのだろうか、と思った。
孫娘は鉦叩きにもあいて、そのあと部屋をあちこち這いまわって少し落ち着いたようなので餅ふみを始めた。万年筆や電算機はあれこれ触りまくるが特定しないようだった。万年筆がお気に入りのように見えたが大人が危ないからとすぐに取り上げる。キャップをしてあるが長いものは危ないらしい。しゃもじを勧めるが興味がないようだ。ひょっとしたら物書きになるのかもしれない。と僕は一人で思っていた。

平成二四年六月一四日