ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今年初めてのエッセイ教室に出かけたら、開講は来週だった。

昨日の夜遅くまでかかって書いたのに、あ〜ぁ、と思った。
それで、提出はしなかったが、こんなのだった。


         おせち料理                中村克博


 今日はもう一〇日だから松の内はとっくに過ぎて世間では仕事も始まって普段の営みに戻っている。妻に頼まれて正月飾りを取り外しに行った。ベランダにグリュックが敷物の上で薄目を開けて遠くの柿の木を見ている。曇り空だが日差しがときおり雲間からのぞいて気持ちよさそうだ。昨年の暮れには久しぶりに年賀状を書いた。もう二〇年ほども年賀状を書かなかったら受け取るはがきが年々少なくなって知人友人の住所がわからないものが多かった。今年の正月のおせち料理は家で女性たちが手分けして一緒に作っていた。ありがたいことだと思う。母屋の台所では母が黒豆を煮て、僕たちが住んでいる離れでは妻と次男の若奥さんが賑やかに何やら作っていた。クリスマスのあと次男夫婦は新婚旅行からそのまま僕の家に帰ってきて、一緒に新年を迎えようとしていた。大晦日には仕事納の済んだ娘も、こちらは例年通りに帰省して、今年は母屋と離れを行き来して手伝っていた。年越しの除夜の鐘を聞くころに次男夫婦は村神様の境内に年越しソバの振る舞いを受けに出かけ、娘はおばあちゃんのいる母屋で眠り、僕たち夫婦はこの一年を振り返る時間も惜しむように床についた。あわただしい年の瀬だったが、こんなに賑々しく過ごしたのは久しぶりだった。家族がそろって年越しをするのはこんなにいいものだったのかと思って眠りについた。 
 目が覚めると元旦の朝日はとっくに上がっていた。妻とグリュックの散歩に出かけることにした。座敷に眠っている次男夫婦を起こさないように静かにグリュックを起こした。曇り空だったがそれほど寒くはなく穏やかな元旦の朝だった。ラルのところに行くとラルはすでに散歩を終わっていたが、飼い主夫婦がちょっと上がって屠蘇を飲んで行けと招いてくれるのでお邪魔した。ちょっとのつもりがシャンペンまで開けて長居してしまった。家に帰るとすぐに、おせち料理の盛りつけが始まった。年老いた母も大儀を押して母屋から杖をついてやって来た。床の間に手を揃えて正月の生け花を拝見している。お茶室以外で母のこんな風景はあまり見ない。母もこの正月を喜んでいる様子だった。そういえば床の間に正月の生け花が活けてあるのを見るのは二〇年ぶりなのかもしれない。しばらくして、母は疲れるからと、そそくさと母屋の自分の部屋に帰っていった。まもなくして座敷に料理が出揃うのを見計るように長男夫婦が小さな娘を抱っこして嫁の実家からやってきた。年末は仕事を終えてそのまま嫁の実家に帰ったようだ。車から降りるとすぐに親子で台所の勝手口から上がっていくのが窓越しに見える。おばあちゃんのところに新年のご挨拶にいったようだ。母のところで一時間ちかく過ごした長男夫婦が娘をつれて離れにやってきた。それと行き違いに母の五男家族が母屋を訪れたので母は孫たちの相手をしているようだ。僕の長男は座敷に通って用意の整った席をながめて床の間を背にして座った。立ったままの自分の嫁に自分の横に座るように指し示している。長男の嫁が少し怯むようにみえたが言われるまま床を背にして畏まって正座した。
みんなが顔を合わせた座敷で少し時間の静寂があった。グリュックが無表情な石仏のような顔をしてベランダのガラス戸を右の前足でカチカチとノックしている。このとき、ふと思ったのだが、次男の嫁が新年のご挨拶でお兄さんに「おはようございます」、そのあと「いらっしゃいませ」などと言ったらどうなんだろうと思った。長男夫婦がお客さんのようにしているのに次男の嫁が台所で切り盛りしているのは、はばかられると次男の嫁は気遣いしているのではないだろうかとも考えた。親の膝から離れた小さな僕の孫娘が屈託なく動き回るのが場を和ませた。僕は、「席はどうでもいいよ。みんな座ろう」と言った。次男夫婦が長男夫婦の前に座って、その角に次男のお姉さん、つまり僕の娘が座った。僕と妻はそれを挟む形で相対して座った。おばあちゃんは母屋で孫たちのもてなしをして忙しそうだが、僕の新しい家族が一つの部屋で一緒に食事をするのは結婚式の日を除けば今日が初めてだった。和やかな食事と談笑が一時間ほど続いた。
僕は四九歳のときに前の妻を病で亡くしたが、その数年前から今年のような正月は久しく迎えていなかった。とは言っても別に淋しい正月を送った記憶はないが、昨年の四月に僕は再婚した。そして次男は一一月にお嫁さんをもらった。同じ村内のラルの飼い主の家からだ。我が家に嫁が一度に二人増えたようだ。その前に長男が結婚して僕には孫が出来ていた。みんなで作ったおせち料理を和やかに囲むのは久しぶりの出来事だった。本当にありがたいと思った。
 来年からは新しい我が家の行事が芽生えて育って行くのだろうと思う。仕来り、とか社会の規範などといえば片苦しい気もするが、お茶の稽古で煩わしい作法を身に付けたり、法事に昔からの習わしに従うのも人との関係をギクシャクさせない社会の知恵なのだろう。もともと他人への心遣いからできたことなのだろう。これを書いていてふと気づいた。元旦の日、僕たちが離れの座敷で食事をしているあいだ年老いた母は訪ねてくれた孫たちとその家族を相手しながら、いろいろと気配りしていたのではないだろうか。離れでの我々の様子も、そして、まだ挨拶に出てこない他の息子や孫たちのことなど、いずれにしろ来年の正月にはそれぞれ家族の役割やおのおのめいめい居場所が無理なく定まってくれればありがたいことだと思う。  
平成二五年一月十日