ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

散髪の前に「きらくにエッセイ」の教室にいっていた。

先日の散歩を題材にした原稿を提出した。


   秋の味わいを写真にするには、             中村克博


先週、朝の散歩に福岡から友人がやって来た。七時の出発予定だったが三十分ほど早く着いたようだ。僕がトレッキングシューズの靴ひもを結んでいる間もグリュックはお客さんに愛想を振りまいていた。柵ごしに大きな顔を出して短く切られた尻尾をピクピク左右に動かしている。訪問者はダックスとチワワが二頭、いや二匹か、それと人が三人、友人の若夫婦とそのまた友人の女性が一人だった。今日のコースは林道を登ってみることにした。この時期の林道の朝は空気が冷たくて登りを歩くには気持ちがいい。朝日は山影に隠れて、木立の中を歩く時は寒いくらだ。


ダックスのラッキーとロットワイラーのグリュックはずいぶん前から顔なじみでこれまで何度も一緒に散歩したことがある。二匹のチワワとは今日が初めてで互いに匂いを嗅ぎあって歩いていたが警戒を解くまでには時間が掛った。チワワは夫婦のようでグリュックが頭を下げてオスに鼻をくっつけるとメスのほうが怒って吠えたてる。グリュックもメスなのだ。


三十分ほどで頂上に着いた。朝日はかなり昇っていたと思うが記憶にないので青い空に浮ぶ雲に隠れていたのかもしれない。眼下は霞に少し煙っていたが盆地になった飯塚の南半分が一望できる。峠からさらに少し下って間道に入ってみた。いろんな秋の草花があちらこちらに咲いて黄金蜘蛛や小さなチョウが目に付いた。汗ばんではいないが風がひんやりして気持ちいい。石に座って少し休んだあと引き返すことにした。登るときにはまだ閉まっていたリンゴ園の扉が開くところだった。湧き水を飲んでリンゴを買った。

散歩のお客さん達が帰ってお昼過ぎ、リンゴの袋を開けると大きいアケビが二個、リンゴの上に乗っているのが見えた。リンゴ園のお上さんがオマケにくれていたようだ。アケビを写真に撮ることにした。先日買い替えたスマートフォン単焦点の高性能デジタルカメラでそれぞれに撮った。より美味しく見えるのは携帯か高性能単焦点 、どちらだろう。 


当然、高性能のデジタルカメラのほうが良く撮れるに決まっている。そう思いながら、いろんな角度から撮った。光を工夫したり、二個の並び具合を変えたり、そうして撮ったたくさんの写真を見比べた。カメラのモニター画面は小さいのでパソコンの画面いっぱいにして比較してみた。その結果どちらも良く撮れていると感心してしまう。僕の腕では違いが出にくいのだろうが、パソコンで見たりブログに掲載する写真では質感に限界があるのも確かだろう。それにしても美味しいとは口の中に入れて感じるものだが、見て感じる美味しさとはどんなことだろう・・・と思った。


写真を見比べていて、ふと思った。そうか、食べ物や飲み物は味わう前にまず目で見て美味しさを感じているのか。いやいや目で見るのに加えて、匂いも音も影響していそうだ。それに淹れてくれる人の気持ちも味のうちなのかもしれない。美味しく感じる要素はもっとありそうだがその先は考えないでお気に入りの茶碗を三つ四つ撮ることにした。


写真も撮るだけならスマートフォンの性能でいいようだが、どんな撮り方をすれば、味わいのある写真は撮れるのだろうかと思う。人には表情があるし花などは誰が見ても美しい。味わうまではいかなくても被写体としてこれは分かりやすい。ところが、たわいないものを写真にするのはむつかい。


唐津焼のコーヒーカップは焼き締めの武骨な感じをだしたい。小石原で買った高取のカフェオレボウルは薄い繊細さをだそう。ファイアーキングのエキストラヘビーマグはガラスの滑らかな質感が、それに備前の湯呑は素朴な窯変の特徴がうまく写真になればと思い三脚まで持ち出した。照明は自然光が良いだろうと窓際の位置をいろいろ工夫した。


どうにか納得いく写真が撮れたので散歩のあくる日のブログに掲載した。次の日の朝、ブログを開くとコメントが投稿されていた。一緒に散歩した友人からだった。「アケビは父が山に行った時によく採って来てくれた思い出の味です。秋を味わう木の実でしょうかね。」と書いてあった。彼にとってのアケビは秋を味わう木の実らしい。僕がさんざん工夫した写真の事にはまるで触れていなかったが、僕は、そうですね、思い出も味覚を感じる要素の一つかも知れません。とコメント欄に返事した。


そして今、思った。秋にも味があるのか、これではもう味は口の領分から出てしまう。味覚とは言葉なのか、ひょっとして味を感じるのは元々が記憶なのかもしれない。いったい味は感覚なのか、記憶なのか、言葉なのか解らなくなった。


平成二十三年十月七日