ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

ひと足早いクリスマスパーティ

昨日の日曜日、久保白の山小屋に妻の仲間が集まって、

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みんなが集まる前のスケジュールチェックか、

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クリスマスの飾りつけのオーナメント作りをしていた。
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好きな形の木型を選んでおもいおもいの色を塗って、f:id:glucklich:20191224151754g:plain f:id:glucklich:20191223172011g:plain

木立と小人の家は僕がつくった。ゲームの景品にしてもらった。

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ニジマスの燻製は初めてだった。まず皮を剥いで、

白ワインがうまくなりそうだ。日本酒が合うという人がいた。

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囲炉裏にかけた鍋も時間をかけて、なんども水を足して、

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肉は暖炉の煙で5時間かけて燻製にした。僕の担当だ。

薪はリンゴの枝を使った。

妻のローストビーフもよく出来ていたことをつけ加えねば、

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シャンパンの音がして、乾杯・・・ パーティのはじまりだ。

外は冷たい雨が降って、暖炉の火が楽しそうだった。僕は写真記録係、

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ゲームがつづいて、景品が当たってうれしい人、それを見て楽しい人、

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日本の囲炉裏に、鉄鍋にじっくり煮込んだポトフが食べごろ、

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たらふく食べて、プレゼントの交換がはじまって、

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誰のが誰に、わくわくして、

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日が落ちるのは早い、後片付けはみんなで早い、

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ひと息、デザートには何という名のふわふわケーキ、僕はもう食べれない。

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 お疲れさま、おかげで僕も楽しかったです。

ありがたや、ありがたや・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、軍鶏(シャモ)を見た。

八木山の近所の知人宅に行った。

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ニジマスの燻製をもらって来た。

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シャモを何羽も育てていた。これは、まだ数か月の子供らしい。

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獰猛そうな立派なオスが沢山いた。

メスは地味で小さい。卵は烏骨鶏が温めるそうだ。

シャモのメスは卵を産むだけ育てないようだ。

 

金曜日、午前中はエッセイ教室だった。

       年越しまえの大掃除                 中村克博

 

 空はどんよりして風がなかった。十二月も中旬なのに生暖かい雨の降りそうな朝だった。こんな日は下水のニオイか、いや浄化槽の排水の状態が悪いのか、なんとも不快なニオイがかすかに漂う。思い起こせばニオイが気になりだしたのはもう随分前になる。半年か一年か、もっと前からかもしれない。どこからだろうと気にすれば余計に臭う。

 今週の日曜日十五日は家族集まって朝から年末の掃除をした。長男は電動式のブロアーで庭の落ち葉を面白そうに吹き飛ばしている。次男は小さな池から流れる小川の景観を鶴嘴を使って整備している。僕の弟は六角堂の掃除をしていた。

僕は庭に面した廊下のガラス戸の内側を拭いていた。使い古しのタオルを雑巾にしてゴシゴシしていると白いタオル地が黄色くなっていく。こんなに汚れていたのかと拭きながら外を見ると猫が三匹やって来た。我が家にノラ猫が居ついて二代か三代目になる。現在は黒のオスと白のメス、それとブチのメスの三匹だ。ガラス戸の前の沓脱石の上に猫の餌椀が三つ置いてある。ブチは硝子戸に前足をかけて大きく背伸びして欠伸をする。二匹は沓脱石の上で空の餌椀を覗いてニャーン、ニャーンと朝メシの催促している。猫好きではないのだが、作業を中断してエサをやることにした。硝子戸を開けるとブチは飛びのいたが二匹は餌椀のまわりをうろついて邪魔になる。プラスチックの餌椀で頭をコツンと叩いても離れない。仕方ない、こぼれないように用心してバラバラと粒状の餌を入れる。すぐに食べ始める。三匹とも丸々太っている。

 

お昼すぎて腹が減って掃除はやめにした。弟と次男はそれぞれの家庭に帰った。長男は自宅に帰らずに僕と南蔵院前のレストランに出かけた。このレストランのカツ丼は最近おいしくなった。なぜかと思ってお店のお姉さんに息子が聞いてみると、何とかいう相撲部屋が近くに出来たらしい。それで福岡場所になると若いお相撲さんがカツ丼を食べにくる、お相撲さんたちがうまそうに食べると、だんだんおいしくなったそうだ。 

食事の後、福岡の東区の方にドライブすることにした。あてもなく走る車の中では気楽にいろんな話ができる。ドライブしながらの話はいいもんだ。往復二時間ほど、いろんな話をした。しかし、あとで考えると難しい話題もあった。概念としての「家」を継承するとは、どんなことだろう・・・。できれば物の見方や考え方、価値観や倫理観があまり違わない方がいい。そのためには家族は会う機会がいる。そのための行事がいる。家族でいっしょに掃除をするのはいいもんだ。法事に御祝い事、家族で誕生日などのパーティをするのは大切だ。いっしょに時間をすごすから家族だろう。そのための場所が建物としての「家」なのか、そこを、みんなで時々大掃除する。家族でする行事はいろいろあるといい。しかし、それは規範や義務にも制度にもつながりそうだ。おそらく、このことは、イギリスのEUから離脱するブレクジットにもつながる。グローバリズムからナショナリズムへの回帰現象、国際金融資本の動きの露呈とそれへの反発などにつながりそうだ。食後のドライブで、話がいつしかあらぬ方向にいってしまった。 

 

夕方、長男が帰って、しばらくして僕が住んでいる離れのベランダに出だ。何とはなしに階下に降りた。物置の方から嫌なニオイがかすかにする。ふと、思いあたった。ベランダの床下に近づくと、臭い。ニオイの根源はベランダの床下のようだ。アルミの梯子を持ってきて床下を覗くと、こんもりした物がアチコチに連なっている。薄明りの中に見える範囲だけでも大層な量だ。いやな予感がした。これはまさしく猫のウンコだ。それが愕然とするほど堆積している。どうしようと思った。今日はもう暗くなる。明日は朝から掃除しなければ、これは大仕事になると思った。

猫のウンコが気になって布団に入っても寝付けない。どうやって片付けようか。床の高さは低くて五、六十センチほどしかない。幅は三、四メーターほど、長さは十メートルほどある。臭い。屈んでは入れない。スコップだけではすくえない。かき板がいる。それも柄の長いのがいる。バケツがいるだろう。梯子に上って、かき板でスコップに集めて、どうやってバケツに入れよう。ウンコを片付けたあとに消毒しなければ、クレゾール液がどれくらいいるだろう。その前に水で洗わないといけないが、どうやって低い床下を・・・。洗い終わって、消毒して、そうだ、二度とは入れないように網を張らなければいけない。臭いし、古くなったウンコは粉になって舞うかもしれない、マスクがいるようだ。そんなこと考えていたら興奮していつまでも目が冴えて眠れないでいた。

 

目がさめると窓が明るくなっていた。どうも、猫のウンコとの想定戦をしながら、いつの間にか眠っていたようだ。食事をしてホームセンターに必要な道具を買いに行った。買い物はすぐに終わった。ホームセンターでいろんなものを見て歩くのは楽しい。木工機械の売り場を歩いていると、以前から欲しかった電動糸鋸盤が展示処分で四割引になっていた。妻の了解を得る時間はない。レジに下げていった。

家に帰って、さっそくウンコ掃除をはじめた。床下を覗くと朝日が入っていた。猫のウンコは古いのから、まだ生々しいのまで、気が遠くなるほど見える。臭い。居ついたノラ猫が何代にもため込んだウンコの山だ。近くにあるウンコはスコップの柄が長くてすくえないので、まず、かき板で遠くに押し出す。かき板の柄の先がウンコに触れてしまった。半分以上は数年前のもので土のようになっている。こんどは、奥のウンコを、かき板で引き寄せる。肘が床に触れてジャンバーが汚れた。ウンコに砂がまじっている。猫は砂も食べるのだろうか、湿気のある場所のウンコはアンモニアの匂いがする。目まいがしそうだ。作業していると息が苦しくなるしメガネが曇って見えない。マスクをはずした。ニオイが鼻に直接はいって来た。涙が出たが手ではぬぐえない。しばらくすると臭い匂いに慣れてきた。スコップを注意して持って梯子を下りた。それでも猫のウンコの乾いたのがパラパラとズボンや靴に落ちてきた。バケツは使わなかった。一回一回スコップの荷物を運んで捨てる運動が無限に思えた。掃除が終わったのはお昼も食べずに夕方になっていた。作業服をそのまま洗濯機に入れる訳にはいかない。プラスチック水槽で洗っていると、なんだか、罰が当たることでもしたのだろうかと思った。きっとそうなんだろうと思う。

令和元年十二月十九日

 

昨日は大掃除だった。

ガラスを高圧洗浄機で洗った。昔は手で一枚一枚ふいていた。

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ベランダも同じように洗った。夕方日が暮れるころまで続けたが、

まだ半分も終わっていない。クタクタで居合の稽古を休んでしまった。

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きょうは午前中はお茶の稽古だった。花がにぎやかすぎた。

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きょうがお茶の稽古 納めだった。

午後からは土曜日のヨガの教室だった。

 

クリスマス用のオーナメント作り

妻にたのまれてクリスマスの飾りを作っている。

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庭の枯れ木の枝を工夫してみた。枝組で表情がおもしろくなる。

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作るほどに作品が変わって来た。小人の小屋を作ってみた。

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木の上の小屋は子供のころからの空想だ。

いつか実物を作りたいと思っている。

 

今年最後のバーベキュー

昨日の日曜日、高校時代の友人たちと久保白の山小屋に集まった。

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天気がいい12月の野外は焚火が楽しい。

 

 

先週の金曜日はエッセイ教室だった。そのあと、忘年会だった。

土曜日は居合の忘年会だった。

貝原益軒を書こうは、16回目になった。

貝原益軒を書こう 十六            中村克博  

 

 

 小笠原藩の大坂蔵屋敷に行く途中に川べりの船着き場が幾つかあるが、どこも接岸を待つ船でいっぱいだった。それでは藩の蔵屋敷に行くしかないと思っていたところに都合よく伝馬船の空船が近くに来た。小笠原の藩士が掛け合ってくれ、久兵衛と根岸はそちらに移ることになった。

 二人は急ぎ船を下りることになって別れの挨拶は互いの船が接舷して離れるわずかな時間に軽くお辞儀を交わすだけになった。伝馬船は船尾の一丁艪をねじり鉢巻をした船頭がゆっくりと漕ぎはじめた。小笠原の船は再び帆を上げて先に進んでいった。久兵衛は座って岸辺に見える蔵屋敷や商家の家並みを珍しげに見ている。伝馬船は艪の動きに合わせるように揺れていた。根岸は見え隠れする小笠原の帆影を立ったままで見ている。左手を刀の笄に置き親指を鍔にかけて舟の揺れと一つになっていた。小笠原の船は行き交う船の帆影に隠れてまもなく見えなくなった。

 根岸が久兵衛の横に腰をかがめて、

「夕方になるのに、にぎやかなもんだな」

「このようなにぎやかさは初めてです」 

 久兵衛は胡坐をかいて刀の鐺(コジリ)を床につけているので鞘が腰から飛び出して柄が顔の高さになっていた。根岸は蹲踞に座り、刀を水平に閂に差して少し前に出した。久兵衛はそれを見て、刀を腰から外して胸の前で抱えるように持ちかえた。

 

 遠くに難波橋が見えてきた。左手に中之島蔵屋敷を見ながら肥後細川家の橋から筑前黒田家のかけた橋、それに越中橋、淀屋橋、などいくつもの橋をくぐってきたが難波橋はけた違いに大きくみえた。その両脇には幾千件の問丸が甍を並べ連なっている。白壁が夕日に照らされてまばゆいほどだった。積み上げられた俵物が山にも見え次々と移りすぎていき、人や馬、荷車の地響きが凄まじかった。

 遠くを見ていた根岸が久兵衛を見て、

「橋桁に大きな反りがある橋だな」

「船の帆柱が届かないように、反り高は二間あるそうですよ」

 後ろから船頭の声がした。

「橋の長さは百二十八間、幅は三間あります。徳川様直轄のご公儀橋でございます。浪華の三大橋といえば、この難波橋天満橋、天神橋のことでございますよ」

船頭はいつの間にかタバコを吸っていようだ。櫓を持つ手にキセルが見える。いらぬ口をはさみまして、というようにぺこりと頭を下げて、キセルをくわえ両手で大きく櫓を漕ぎはじめた。

茶船の数が多くなった。中之島で二手に分かれていた河は一つになって河幅が広くなり難波橋から上流は京の都につながる。この当時の大坂の人口は二十二万人ほど、江戸と京都はともに四十三万人ほどだった。茶船とよばれる小型の川船は十石積で諸国からの物産を小分けして蔵屋敷に運ぶ。それより大きな船は二十石積で上船とよばれた。

 

何事か、船頭が何度も飛び上がりながら大きな声を出した。両手を口に当てて叫びだした。行き違う茶船がこちらに気づかないようだ。覆いかぶさるように進んでくる。風にはらんだ帆が前方を遮って伝馬船を見逃しているようだ。船頭は叫ぶのをやめて、両手で櫓を体ごと押して船の向きを変えようと必死になっている。久兵衛と根岸はなすすべもなく呆然と立ちすくんでいた。茶船の方も伝馬船に気づいたようで舳先が左に振れたが船尾のほうが伝馬船に当たってすれ違った。激突はまぬがれたが久兵衛は刀を抱えて舟の床に転がっていた。船頭は大事なキセルがどこかに飛んだようで艪を持ったままキョロキョロしていた。根岸は足元に転がっている船頭のキセルを拾って、「探し物はあったよ」と手渡した。

「あっ、どうもすいません」

「驚いたな、どうなることかと思ったよ」

難波橋から下るところで川幅がせもうなって、船が混雑します」

「それに、この時刻は夕日を真っ向から受けるでな」

「それにしても、お武家様は衝突したおりにも体が動かずに立っておられた」

「はは、船頭さんも、チャンと前を見ておったようだ」

 久兵衛は起き上がって着物のゴミを手拭でパタパタと払っていた。

刀を腰に差しながら、

「船頭さん、この付近には旅籠屋は多いのでしょうか」と言った。

「はい、この辺りは茶屋も旅籠も軒を並べております」

「明るいうちに宿をとりたいので適当な浜に寄せてください」

「食事と泊だけでいいのでしょうか、道頓堀には瓢箪町がありますよ」

 根岸は船頭の方を向いてニッコリして、

「ほう、ヒョウタン町とはおもしろそうだ」

「はい、太閤様のころ西横堀の東にあった遊里が徳川様の御代になって道頓堀に移されて・・・」

「ほう、大坂の遊郭は話には聞いておるが、どんなだ」

「いやぁ、わっしらには、縁のないところでっして、だいいち、かかぁが・・・」

「なんで、ヒョウタンなどと呼ぶのだろうな」

「新町とも言いますが、なんでも加藤清正様の家臣であった木村ナニガシと言うお方が遊里を支配しておられ、お家に伝わる千成瓢箪の馬印を玄関に飾ってからのことだそうで・・・」

 久兵衛が興味に思ったようで、

「太閤様のお馬印を、とんでもない加藤家の侍ですね」

「おもしろそうだ、行ってみるか」

「根岸様、今日はダメです。船旅の疲れをとるのが先です」

 船頭が思いついたように、

「それでは、お武家様、垢すり女のおる湯屋がいいですよ。垢すり、髪すき、などなど供してくれますよ」

令和元年十二月五日                                                                                                                                                                                                                                             

 

水差しに、どうかと思って、

先日、ネットオークションで古い壺を買った。

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提供する業者のコメントには、

江戸天保期の備前双耳壺、造りや窯印から見て

天保期の木村儀三郎窯と思われます。とあった。

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水差しにと思って、木の蓋を彫り出して合わせてみた。

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昔の農家で種入れなどに使っていた壺だろうか、

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カエデの端材で蓋を作った。作業に三日かかった。

使ううちに、新しい蓋と馴染んでくるだろう。とおもう。