ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中は「気楽にエッセイ」の教室に行った。

今日も涼しい朝だった。ジャケットを着て出かけた。
昨日の真空管アンプの修理にまつわる出来事を題材にした。


真空管アンプの修理ができてきた。         中村克博

 住まいから一〇分ほど歩くと木工所がある。峠の国道沿いにあるのだが目立たない建物で案内の看板もない。買い物の帰りに立ち寄ろうと思っていても見落として行き過ぎてしまう。手みやげがあっても狭い国道なので車はUターンできない。散歩で足を向けることもある。国道に沿って歩道を歩くと工作機械の音が聞こえてくる。さらに歩くと犬の糞が目につくようになって木工所が近くなったことがわかる。工作機械の音がだんだん大きく聞こえるようになると犬の糞も多くなる。グリュックは前足でも後ろ足でもそれを踏んづけることはない。よく見ると前足で踏まないようにするだけでいいようだ。後ろの足は決まって前足のあとに落ちているのが分かる。歩道から急な坂を上がると木工所だ。二匹の犬が吠えながらグリュックの周りを飛び跳ねて歓迎してくれる。柴犬のようなのと毛の長いムク犬の兄弟で同じ親からほぼ同じ時刻に生まれたらしい。首輪はしているが放し飼いだ。申し訳ないが二匹とも徹底的に汚れている。ムク犬はコゲ茶に見えるが洗えば白いムク毛のはずだ。
 絹糸杢というのが木工所の名前だ。椅子に机、書棚、食器棚、寝台、サイドテーブルなどの家具を注文があればつくる。カッティングボードや鍋敷き、大小さまざまな食器やコーヒーカップ、額縁、ハンガーフック、スリッパ立てやゴミ箱なども作るがこれは若い女性客達の要望かららしい。手軽に買える値段だし人気があって品切れになるが気が向かないと補充しない。他にも木工製品なら何でも作るが、本当に彼が造りたいのはアフリカの趣を感じるモノらしい。巨大なイモムシのような物体、古代の土器と見まがう大きな器、アリゾナの砂漠にそそり立つ岩山のような木塊、陶器か石かに見える短い柱など。どれもよく見ればとても手が込んでいる。ここの展示場にある芸術作品は長年見慣れているのだが、いつ見ても見飽きることはない。ただ、何に使うのか分からない。買いたいと思う人は少ない。絹糸杢には陶芸家や地元では有名な画家や地元でも無名の作家や暇を持て余している老人や長年ひいきのお客さんたち、エコをとなえるエゴな人、お寺のご隠居さん、建築家、バスの運転手、電気工事の社長などがいつも勝手に屯している。
 この木工作家が仕事ではなく趣味で作っている木工作品が一つだけある。彼は愛煙家だ。さすがに創作中は控えているようだがよくタバコを吸う。近年は一本一本自分で作る手巻きタバコで、葉にも好みがあるようだ。彼はサックスを吹く、大きな体を伸ばしたり屈めたり、昔のジャズの曲をきまって三つだけ何ども吹く。けしていい音だとは思わないが吹き出したらラリっているように酩酊したように別の世界に行ってしまう。彼はコーヒーが好きだ。そのつど豆を挽いて節くれた大きな手で淹れてくれる。コーヒーの味の違いはこのおやじから教えられた。コーヒーを飲みながら自分で巻いたタバコを燻らせてジャズを聴く。その様子は何度か写真に撮ってみたが思ったようには撮れない。そのうちに撮れると思うのだが。話がそれた。彼が仕事ではなく趣味で作っている木工作品の話だった。
彼は自分が聴くジャズを自分が作るスピーカーで聴いてみたくなったようだ。それで、凝り性な男が納得するまでやり続けるスピーカー作りを始めた。十数年いろいろ作り続けて、初めてこれはと思うようなスピーカーが自分用にできたらしい。それまでには数多くのスピーカーを作った。高さが三メートルもある細長いのを見たことがある。展示場の床に座って聴いていると下の穴から低音が押し寄せるように伝わってきた。音は遠くから床を伝わってくるのだと思った。それから、同じような型のスピーカーをアンプに取り付けた切替スイッチで交互に聞分けるとその違いが歴然とするのには驚いた。木の材質でも年輪の数でも音は違ってくるそうだ。去年のいまごろだった。小石原の人間国宝の候補になっているらしい陶芸家の展示場に木目の綺麗なスピーカーがいい音をだしていた。そこの若奥さんが焼き物の話よりこのスピーカーの良さをうっとりして説明してくれたことがある。その話をききながら、そのおやじの工房は僕のうちの近くにあります、などと野暮は言わなかった。
その彼が大切にしていた自分用のスピーカーを僕は欲しくなった。譲ってくれるように何度も催促してみるが当然、聞きはしない。二年ほど言い続けているとある日「いいたい。キレイにして車で持っていくよ」と言った。しかもお代が安すぎる。スピーカーは友人の廃車にする車から取ったものだし、山桜は古屋の廃材やから金はかかっとらん」という。このスピーカーを聴くには真空管アンプのいいのがいる。だが僕は持っていない。それで急きょ真空管アンプを作ることになった。ここの工房には真空管アンプを趣味で作っている人たちが気晴らしに手ぶらでやって来てうまいコーヒーを飲んでいる。元の電電公社に務める技術者や大手の通信機器メーカーの研究者あがりの音響マニアたちが、自分で作った真空管アンプを展示場の適当なスピーカーにつないで聴きながら批評し合っている。横で僕がその話を聞いていてもなんの事やら理解できない。その一人に木工所のおやじが真空管アンプの制作を頼んでくれた。
そのアンプを作ってもらうときに、
「どんなアンプが希望ですか」と製作者が僕に質問した。僕は思いつかなくて、
「田舎道を朝から歩いて、疲れて日も落ちる頃、丘を登るとふもとに村が見えて、農家の窓に小さく明かりが見えてきた。そんなのを作ってください」と言った。
「ふう、そうですか、管は何本くらいがいいですか」
「多ければ多いほどいいです」
「どこの国のがいいですか」
チェコ製がいいです」と言った。
元の共産圏でしか真空管の製造はしていないことは知っていた。チェコがいいと言ったのは「プラハの春」を読んでプラハに行ってみたいと思っているからだが僕はアンプがどんな役目をするのか未だに知らない。
そのアンプがひと月ほど前に故障した。故障といってもヒューズが飛んだだけだったが、この際少し手を加えてみると言って持ち帰ったのが今日出来てきたのだ。手間賃はいらないという。今回も部品代だけでいいというので、そうしたが、お茶を飲んで専門家しかわからない話を楽しそうに話していた。僕のスピーカーをえらくほめていた。材は桜がいいと、山桜の年代物がいいと、言っていた。そうだろうと思う。絹糸杢の凝り性のおやじが自分用に作った逸品で、あれ以来未だに自分のスピーカーは持っていないようだ。いつも売れ残ったいろんな形のスピーカーを聴いている。それでもいい音を出しているにはちがいない。
                        平成二四年九月二〇日