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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

鵜戸神宮の例祭に柳生新影流の演武奉納があった。

2月1日は鵜戸神宮にとってとくに縁のある日で、一年で一番重要な祭典。
皇室の弥栄と国民の安泰を祈るお祭り。と鵜戸神宮のホームページにある。

神武天皇の父君、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)はここの洞窟で
お生まれになったと伝えられる。鵜戸神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代とされる。
http://www.btvm.ne.jp/~udojingu/

例年、祭典前に福岡藩伝柳生新影流の奉納が行われる。
新影流相伝、福岡黒田藩伝柳生新影流兵法 第十四代宗家

室町・戦国時代の兵法家で影流・陰流の始祖である愛洲移香斎は鵜戸の岩屋に参籠して
頭の上で香を焚く修行と37日の祈祷を行い霊験により極意を授かったとある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%B4%B2%E4%B9%85%E5%BF%A0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E6%B5%81

柳生石舟斉は晩年に徳川家康から剣術指南役の出仕を請われるが、その石舟斉は若いころに
新影(陰)流継承者である上泉伊勢守の門に入り教えを受けた。
石舟斉は新影流の修行を重ね1565年に上泉伊勢守から新影流の皆伝印可を受けることとなる。
これにより柳生石舟斉は柳生新陰流を発起しその子が徳川家指南役となる柳生但馬守であるが、
石舟斉に新影流を教授したとされる上泉伊勢守はその師を影流・陰流の始祖愛洲移香斎をとする説と、
移香斎の子・元香斎小七郎(猿飛陰流)を師とする2説がある。このあたり、かなりややっこしい・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E5%AE%97%E5%8E%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B3%89%E4%BF%A1%E7%B6%B1

影流・陰流の始祖愛洲久忠(移香斎)の出自とされる愛洲氏は、太平記などによると建武年間に
熊野(紀伊)愛洲氏と伊勢愛洲氏に分かれたとされる。
伊勢愛洲氏説は延元2年(1337年)北畠親房卿等と共に南朝を支えた伊勢神宮神領奉行職・
愛洲忠行の一族とする説。
熊野(紀伊)愛洲氏説は、熊野(紀伊)水軍で海運や海賊を生業とした一族で
熊野灘に面した志摩国五ケ所に進駐したと云う説。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%B4%B2%E4%B9%85%E5%BF%A0

伊勢神宮と海運・・ どちらの説でも、愛洲移香斉が鵜戸神宮で修行した事とは何となく繫がりそうな
気がする。この時代、商人、大名のほか神社もお寺も明との海外貿易を盛んに行っていたらしい。
我が国からは、 硫黄、銅などの鉱物、扇子、漆器や屏風などの工芸品のほか軍需製品である刀剣が
大量に輸出されていた事は多くの古文書でしられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%98%8E%E8%B2%BF%E6%98%93

影、と陰、・・
福岡藩伝、柳生新影流、と徳川将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)、同じ柳生でも、
影と陰、が異なっていて、その根拠に未だに定説はなくいろんな定見がみられるのは面白い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E5%AE%97%E7%9F%A9

貿易の相手国に製品と一緒に運用方法を輸出する事は古来も行われていたようだ。
現代では新幹線の車両や原子炉などと一緒に、その運用や保全のシステムをセットで・・
室町・戦国の時代に刀剣は重要な輸出品であったなら、その使い方、兵法などの
運用ソフトをセットにして行う商談は有効だったかもしれない。剣豪はセールスマン!!
http://www.kageryuu.com/kenpounohajimari.htm

2月1日は演武の奉納だったが、その前日、夕食をしながらの会話で
中国語に知識のある師範が面白い話をしてくれた。
影、かげ、これを中国ではイン(YING)と発音するそうだ。
陰、かげ、これを中国ではイン(YIN)と発音するそうだ。
後に「G」が付くかどうかの違い・・ 何度聞いても僕には違いがわからない。

新「影」流か、新「陰」、二元論・・ どちらでもいい、のではないだろうかと思った。
どちら、ではなくてここに至るまでの物語があるだけ、その事に価値があると思えばいい。

どっちにしろ、むかしむかしから今の自分達に伝わっている我が国の伝統文化なのだ。

今でも我々の生活に有効に生きているのが素晴らしいと思う。

詔(みことのり)が神官によって奉読された。

日本人とは何だろう・・ と思った。

日本とはなんだろう、と思う。

舞楽・納曽利(なそり)の奉納が始まった。  このブログを書きながら思った・・・

愛洲移香斉は「影」をどんな意味で使ったのだろうか・・・  やはり気になる。

鏡に映る姿は実態ではなく影というが、はたしてそうなのだろうか・・と思う。
あんがい影こそが、自分では気づいていない本質を見せているのではないのか、

移香斉が宇土の岩屋で開眼したというのはそう言う事かも・・と思った。
敵の本心を見抜く、自分の本当を知る。それは自分自身を守ることになるのだろう。
後世、活人剣は人を活かすものというが、その前に自分が生き延びる手立こそ本義なはずだ。

滞りなく神事は進んだ、天気が良くて、いい一日だった。
鵜戸神宮と納曽利(なそり)についての Web には、
http://www.0503ak1025.net/udo.html
http://heian.cocolog-nifty.com/genji/2006/07/post_4538.html