ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

シャクナゲが咲いている。

シャクナゲが咲きはじめている。

敷地のまわりの杉の木を千本ほど伐採して日当たりがよくなっている。

日の光をたくさん受けるようになって葉っぱが黄色くなっているのがある。

大きな樹木の近くにあるシャクナ元気がいい。この花は日影が必要なのだろう。

久しぶりにブログを書いている。

数年ぶりだろう… 携帯電話でなく一眼レフで写真を撮った。

写真の掲載方法を忘れて戸惑っている。

思うまいとも思わない・・・               中村克博

 

 

黒田家傳の柳生新影流兵法柳心会に入門して十二年ほどになる。初めのうちはいかに速く刀を抜くか、そして技をできるだけ多く身につけることに興味があった。ところが、それが根本、考え違いだと最近になって思うようになった。二年ほど前、習得したはずの基本形の間違いに気がついた。一度身についた技の動きは修正するのがむつかしい。体が覚えたことを変えようと思っても、おいそれとは変わらない。初歩的な基本刀法の修正に一年以上かかった。

やっと修正できた動きに満足していた。悦に入って道場や自宅で稽古していると、数年して、あれっ!! と、別の間違い箇所に気づいて、がっかりする。これまでが無駄なようでがっかりする。それで師範に教えてもらいにいく。宗家に見てもらう。それから、また修正のための反省稽古を始めるのだが・・・ ひょっとしたら、この繰り返しが僕の居合の稽古なのだろうとかと思ってしまう。

そのころになって、「考えない」という教えに気づいた。理屈なしに、ただひたすら稽古をする。これは、只管打座、身心脱落・・・ 隠居老人の趣味の居合なのに少々大げさだが、道元の禅に通じるのかもしれない。道場での稽古は、わずか一時間半ほど、幾つかの型を続けて行う稽古は数分か十分二十分のことだが、稽古をしていると、ときたま、そのような何も見えない、考えない、頭が空っぽになっているときがある。心とか魂に、感情に稽古がとけこむような気がするときがある。ほんの一瞬だが・・・ もし、それが長くなれば剣禅一致の境地なのかも知れないが、僕の稽古では望んでもできそうにない。それでも、それをめざして稽古しようと思う。 ・・・あ、いや、何かを求めてはいけないのだった、それでは只管打坐とは矛盾するではないか、すでに「考えている」ではないか、思うまいとも思わない、でなければ・・・  

去年の後半から、私は道場での稽古は「組太刀」が多くなった。「組太刀」は木刀を持って二人が立ち会って稽古する。一人が「使太刀」、もう一人の相手が「打太刀」をつとめる。「仕太刀」は技を仕掛ける役目「打太刀」はそれを受ける役目になる。組太刀をしていて判ったのだが、私が体でおぼえた型の振り下ろした剣先は相手の居ない所を斬っている。これでは「居合」でなく、「居ない」だ。笑えない。晩年の貴重な月日に稽古の時間を惜しまねば(授かった身体髪膚に)申し訳ない。居合の稽古は基本、一人でおこなう。長年僕はそうしてきた。想念で相手を見さだめ、その動きに応じて間合いをとり目付をして、先の先、後の先と技をくり出すが、いろんな動作には序破急のめりはりが大切になる。が・・・ そうやって長年稽古しても斬った剣の下に、突いた剣の先に敵がいないのでは、どうする。やはり、組太刀をやらねばと気づいた。それと、技の動きはいたずらに速いのではだめ、緩急が大切。技は多ければいいのではなく宗家が承継する技を正確に師範から教わったように身につけるのが大切。剣さばきは「心をとめず、先をみる」と、宗家がいつも言われている。沢庵禅師の不動智神妙録にある「心をば放さんことを要せよ」これが居合の稽古がめざすとこなんだろう。

令和五年四月七日

貝原益軒を書こう 六十五

貝原益軒を書こう 六十五                中村克博

 

 

 母屋で朝餉をいただいて離れの自室に戻って講習堂に出かける準備をしていた。

 下宿の娘がお盆に湯呑を乗せてやってきた。

 縁側に膝をついてお盆のまま畳に置いた。

「ご飯を食べて、お茶も飲まずに・・・ 今日はお急ぎですか」

 久兵衛は置かれた盆の前に座って、

「これは、どうも、ありがとうございます。

受講の前に尺五先生の部屋に顔を出すように言われておりましたので」

「そうですか、では、これを飲んで、おでかけください」

久兵衛は湯のみのお茶を一口飲んで、

「庭の梅が満開ですね。メジロが来ていますね」

 娘は梅のメジロをちらりと見て、

「もうすぐ東寺で弘法さんの御影供があります。境内にはたくさん出店や屋台がならんでにぎわいます。たのしいですよ。一緒に行きましょう」

「それはたのしみだ。いつですか」

「今月の二十一日です。お昼は屋台で、蕎麦でも団子でも、京だし巻き玉子も」

「それは、いいですね。出店も見てみたいですね」

 娘はニコニコはしゃぐように、

「いろんなお店がありますよ。しば漬け、すぐき漬け、千枚漬け、漬物もいろいろです。お野菜も、みずな、九条ネギ、伏見トウガラシ、加茂ナス、酸茎菜(すぐき)など・・・」

 

 講習堂に着くと、そのまま尺五のいる離れの茶室にむかった。縁側から庭下駄に履き代え路地の飛び石を歩いて躙り口の引き戸に手をかけた。目の前に先客がいた。女人だった。久兵衛へ左肩こしに顔を向け浅く両手をついてお辞儀をした。口元がほほえんでいるように感じた。以前どこかで会ったような気がした。

尺五は点前畳に座っていた。久兵衛を見てかるくお辞儀をして替茶碗を取って茶筅通しをした。女人を見て、久兵衛は咄嗟のことで作法をどうしていいかわからず戸惑った。扇子を前ににじりはいって左手に少し向きなおって尺五に挨拶した。右に向きなおって先客に何と言っていいかわからず、お辞儀をした。床の花入れに菜の花がいけてあった。

花の上に短冊がかけてあった。

両手をついたままながめていた久兵衛に尺五が声をかけた。

「私の父が書いた俳句ですが今の季節にあいそうで、いかがですか」

 久兵衛は声をだして詠んだ。

「つまんとや人くる人くるうぐいす菜・・・」

 そう言って、手をついたままで、

「はい、床にある花、油菜も、小松菜も蕪や白菜、大根も似たような花が咲きます」

 女の横顔がほほえんで、くっすと笑ったような気がした。

 久兵衛が床の花入れを見ながら、

「花入れは伊賀のようですが、黄色い花によくにあう」

「はい、これも父からものです」

「丸く膨らんだ柑子口、耳つき。荒々しいようで深みがあり、そんざいなようで繊細を感じます。まさしく伊賀の国、藤堂家の初代高虎公のようです」

 尺五はうんうんとうなずいて、

「佐那殿は短冊をどのように」と、女の方を見た。

女人の名はサナというようだ。

「この句は古今集の 梅の花見にこそ来つれ鶯のひとくひとくといとひしもをる を踏まえているようにうかがいました。 鶯が梅の花を見に来たら、人が来るので、ひとく、ひとくと鳴いていやがっている、とい意味かと・・・」

 尺五は笑顔で佐那を見て、茶筅をふり終えて茶碗を久兵衛の前に出した。

「貝原殿はちかごろ裏山で竹を切って燃やしておいでですが、そこで働いておる下人は伊賀者です。伊賀の藤堂家からまいっております」

「そうでしたか、そんな気配はまったくうかがえませんでした」

「そうですね。何日か一緒に竹切をしていて伊賀者と見透かされるようでは・・・」

「やさしい、人のいいおじいさんですが、伊賀の忍び、ですか」

「その、人のいい下人を通じて・・・ 貝原殿に早くお知らせしたい根岸殿にかかわる話が藤堂家から届いておるのです」

 茶碗を取りに膝をすすめていた久兵衛は話を聞いて動きが止まった。

 尺五は話をつづけた。

「藤堂家は伊予、今治にも飛び地の所領を持ち、伊賀、伊勢の津も所領があり三十万石をこえる大身です」

 久兵衛が口をはさんだ。

「存じております。 家康公は晩年「もしも天下を揺るがすような兵乱が起きた場合には、先ず藤堂を、次に井伊を以て将軍家の先陣とするべし」と遺言されたといいます」

「伊予の今治や伊勢の津を領して海賊衆を配下に、内外の諜報の質もずば抜けて」

「はあ、高虎公の徳川家からの信頼は武勇だけでないのですね」

 佐那が飲み干した茶碗を尺五の前に返して、

「それで、根岸さまは今、どこでどうしておいでですか、佳代さまもご一緒だと・・・」

 久兵衛はその言葉を聞いて、はたと、思い出したように佐那の顔を見た。

「あ、あなたは、大徳寺での・・・ あの公家のお姫様、鴨川下りで根岸殿と佳代さんと一緒だった。舟が襲われて連れ去られたと、 なんと、あのときの、佐那さまといわれるのですか、それが、どうして、ここに・・・」

 尺五が申し訳なさそうに笑いながら、

「私にも急なことで、とりあえず、知り得たことをお話ししようと思いましてな」

                              令和五年三月二日

貝原益軒を書こう 六四 

        貝原益軒を書こう 六四                 中村克博 

 久兵衛は午前中の勉学を終え、持参した弁当を同僚の受講生たちと一緒にいただいたあと一人で講習堂の裏山に行った。裏山の竹林では年老いた下人が頬被りをして孟宗竹の間伐をしていた。切り倒した孟宗竹の枝を打ち、集めて焚火の中にくべていた。枝を取り払った長い竹を三尺ほどに短くしてそれも火の中に入れていた。空は雲が薄く広がっていたがまだ雨が降りそうな気配はなかった。日差しはない風がそよふいて肌寒い。

 久兵衛は近ごろ竹林での作業を手伝っている。勉学の合間に適度な運動をするのが体にいいと自覚できていた。竹切を始めてから朝の目覚めがさわやかだ。飯がうまい。

 

竹の根元は大きいのは七寸ほど、小ぶりな茶釜の直径ほどもあった。そこに鋸を入れて思った方向に倒すのがおもしろい。時にあらぬ方向へ倒れて近くの竹に引っかかり面倒になることもあった。大きな長い竹を短く切って火に入れると滑って転がる。丸い竹は火の中で思うようには組めない。工夫がいる。

竹の節と節の間に鋸か鉈で切れ目を入れる。それが不十分だと火の中で爆発する。危険ではないが何しろ音がとてつもなく大きい。びっくりする。燃えさしが飛び散る。それを見て年老いた下人が笑っている。

 

 久兵衛は無心に竹の枝を鉈で打っていた。枝の先が顔に当たる。目をかばいながら二股になった枝の根元を左手で束ね一寸ほど残して下から打つ、 いつしか頭の中では午前中の勉学のようすが浮かんでいた。

 

家康公は元和元年に後陽成天皇から征夷大将軍を拝命した。二条城に派遣された勅使から宣旨が下され武家の棟梁としての倫理が確立した。

大坂城が燃え落ち豊臣家が消滅すると、家康公は一国一城令を発布して大名の支城をすべて破壊させた。そのあとで南禅寺塔頭金地院の以心崇伝禅師が起草した武家諸法度を三代将軍家光の命で公布させた。

さらに寛永十二年に家光公は林羅山に起草させた大名の参勤交代を制度化して大名の正妻を江戸に住まわせ子供の養育を江戸の藩邸でおこなうようにしたが、これによって日本国内にどのようなことが起こったのか、幕府はどのようなことを意図していたのか・・・

さらに、さらに全国の諸大名に天下普請を命じて大掛かりな城郭普請、道路整備や河川工事などの土木工事を立て続けにおこなった。これは全国の産業基盤を拡充した。経済活動が活発になり人々の暮らしが豊かになった。

五百石積み以上の大船を禁じた。キリスト教国との交易を長崎の出島でオランダに限って徳川家が独占した。全国のおもだった銀山や金山、銅山を天領として採掘を推し進めた。

全国の通貨を統合して通貨の発行を徳川家に一元化した。各藩の特産物の生産を奨励して流通を幕府の直轄する大坂に集中させた。

久兵衛はふと我にかえると、枝打ちの手を休めて切り落とした竹の枝を集めて燃えさかる炎の上にかぶせた。モクモク立ちあがった白い煙がすぐ赤い炎に変わってバチバチと音をたてた。久兵衛はすこし不安そうに炎の先を見上げた。だいじょうぶなようだ。斜面をのぼって竹の枝を集める作業をもくもくと続けた。

 

そのうち、また頭の中が勝手に動き出して先ほどの続きを思い描いていた。

これらの全国に広がるさまざまな政策は、林羅山様が起草して老中が実行していったことになっているのだが・・・ どうも一連の政策実動には、おそらく藤堂高虎公の尽力が隠されているような気がする。

 その理由として久兵衛は受講中の資料の中に高虎公の祐筆を務めていた西嶋八兵衛が書き残している記録の写しを見たときの驚きを思いうかべていた。

 

秀忠公との夜話会で高虎公は、家臣の器量を見抜き適材適所につけたら、あとは人を疑わないことと語った。家康公はのちにこの話を聞いて大いに感動した。

家康公は他界する十日前に高虎公を枕元によんだ。

「世話になったが来世ではそなたと会えぬのがつらい」といった。

その家康公の言葉に高虎公は

「来世でも大御所様に仕えるつもりです。私は日蓮宗ですが、大御所様の宗旨である天台宗に改宗しますので、来世でもお仕えすることができます」と答えたらしい。

秀忠公の五女・和子様が後水尾天皇の皇后として入内の際には露払いを務め、宮中の入内反対派の公家に「和子姫が入内できなかった場合は責任をとり御所で切腹する」と凄んで反対派の策動をとめた。

 

久兵衛はそのような藤堂高虎という人物に興味がでてきていた。

年老いた下人が頬被りを取って久兵衛に声をかけている。一休みするように薬缶を手に持ってかかげている。久兵衛は斜面を下りて行った。

「白湯がほどよく冷めて飲みごろです」

「やあ、それはありがたいです」

 年老いた下人は竹を輪切りにした器に白湯をそそいでくれた。銅製の薬缶はあちこちひしゃげて煤で真っ黒になっていた。白湯は湯気が立っていたが熱くはなかった。口に含むと竹の香りがした。

「なんとも、うまい白湯ですね」

「そうですか、昨日もそういって飲んでいらしたな」

「切ったばかりの竹の湯呑があじわい深いのですかね」

「そうですか・・・」

「そう言えば、わたしは竹の蓋置が作りたいのですが、適当な竹がありません」

「お茶室でお使いになるお道具ですな。それはこの山では種類がちがいます。こんどご案内します。ほんの近くですよって」

「それは、ありがたい。おねがいします」

令和五年二月十七日

貝原益軒を 書こう 六十三 

貝原益軒を 書こう 六十三              中村克博

 

 

 ゼーランジャ城に帰った根岸は佳代の部屋にいた。佳代が市場で買い物をした食料品の整理を手伝っていた。佳代が使っている部屋は二間あって一つは広く、竃があって煮炊きできるようになっていた。根岸は佳代に言われるままに荷物の配置をして、水を汲みに木桶を抱えて部屋を出た。部屋は二階にあったが一階の天井が高いので石造りの階段は途中で折れ曲がってかなり長かった。水場までは何度か建物の角をまがって遠かった。

 

 同じころ、松下は武士家族の居留地区を視察した報告のため、司令官室にいるコイエットの所に出向いた。司令官の部屋はゼーランジャ城の最上階の一角にあった。部屋の入り口には帯剣した番兵が二人、警杖を持って立っていた。部屋は執務室や会議室、応接間や寝室などいくつもあった。

松下は執務室につながる応接間で布張りの椅子にすわってくつろいでいる。執務室に夕日が射しこんで開けられたドア越しに明りがとどいていた。テーブルをはさんでコイエットが煙草をふかしている。煙道が長い陶器製の白い素焼きのパイプだった。仕事向きの話は終わって取り留めのない雑談をしていた。コイエットは日本語ができる。

目を細めて煙を吹き出しながら赤いワインのグラスに手を伸ばした。

「松下殿、今日の夕食はこちらで、根岸殿たちと一緒にしましょう」

 松下は机のワイングラスをながめながら、

「そうですか、それはありがたい」

「よければ、私の副官と執事も一緒させようと思いますが・・・」

「どうぞ、どうぞ、いろいろ話が聞けておもしろそうだ」

 コイエットは執事に、そのことを根岸たちに伝えるように言って、まだグラスに口をつけていない松下にワインをすすめた。

「そのワインは年代物でフランスのブルゴーニュ産です。赤色の深さがいい」

 松下は腰をかがめグラスを見つめて、

「色もうつくしいが、香りも、いいもんですな」

 見るだけで口をつけない松下を見ながらコイエットは大きく足を組んで、

「根岸殿のいいなずけ、佳代さんはまことに日本の良家の娘さんですね」

「うㇺ・・・ しとやかなようで気丈ですな」

「長崎では、よかおなご、といいますね」

「はは、は・・・ そうですか。早く京にもどればいいのですが・・・」

 コイエットはパイプをゆっくり深々と吸って煙を長くはいた。

「オランダの・・・ 私の船の不良水夫が佳代さんに取り返しのつかない狼藉をして申し訳なかった。二人の下手人は処刑しましたが、佳代さんの心には深い傷をつけてしまった」

「その件はもう済んだことです。むしろ船長の処置が迅速でした。それと・・・ 」

 松下は机のワイングラスに映る夕日を見つめながら、

「佳代さんは根岸殿のいいなずけではありません。京では名のある呉服屋の跡取りと親同士の話で婚儀が決まっておりました」と言って顔をあげて、

「詳しくは存じませんが、佳代さんが根岸殿を追って台湾まで来ておるのです」 

「なるほど・・・ そうですか、それで納得できます。根岸殿は、こたびの航海に重要な密命で出られたはず。それなのに女人連れとはなぜか、理解できませんでした」 

松下はグラスから目を上げてコイエットを見た。話を変えるように、

「何度も説明しますが、日本の近海の権益圏を遠く離れた海上で、明国の船をオランダの軍艦が襲撃しても、我国には埒外のできごと徳川家とは関わりのないことです」

コイエットは深くうなずいて松下を見た。

「そうです。それはわかりますが・・・ しかし、善良な日本の女性を、嫁入り前の名家の娘さんを、オランダ人が狼藉したことがわかれば江戸幕府は見逃せないでしょう。長崎との交易に支障が出ては私の責任です」

「そうなりますな」

「そうです。そうなれば私はバタビアに召喚され裁判で死刑でしょう」

「それは大変ですな」

「そう、そうなのですよ。それで、名案があります」

「名案・・・ ほう、それはどのような名案ですか」

 コイエットはパイプを置いてグラスにワインを注いだ。

「松下さん、あなたもワインを飲んでください。そうすればいい考えが浮かびます」

 松下はワインを一口飲んで、すぐにゴクゴクと飲み干した。

「それで・・・ コイエット殿、どのような考えか聞かしてください」

 コイエットはワインをゆっくり一口飲んで、

「根岸殿と佳代さんに結婚してもらうのです。ゼーランジャ城には教会もあります」

「なんと、そのようなことできるものか、根岸殿は黒田家の家臣ですぞ」

「二人は好きあっています。夫婦になればいい。祝儀のお金たくさん進呈します」

 松下はグラスにワインを自分で注ぎたしてゴクゴク飲んだ。

「そんなことできぬと申しておる。無理だ。根岸が腹を切ることになる」

「ええっ、そうか・・・ ならば、佳代さんがキリシタンをやめるといいですね」

「軽く言われるが、キリシタンは自害を禁じておるはずだが・・・」

「そうです。生命は神から授かったもの、けっして粗末にはできません」

 松下はワインを飲み干して、笑いながら、

「ならば、佳代殿が自害せぬのはキリシタンだからでしょう。日本の武家の女があのような辱めを受ければ自刃して果てます。ま、佳代殿は武家ではありませんが・・・」

「なるほど、そうですか、ならば佳代さんはキリシタンのままがいいですね」

 コイエットは新しいワインのボトルを持ってきて松下と自分に注いだ。

「いろいろ考えれば、ああでもない、こうでもない。そのうち名案が思いつきます」

 松下は赤い酒を見つめてゆっくり味わって飲んだ。

「そうですな・・・ 酔いがまわると思案でなく閃くのですな」

 コイエットはうなずきながらグラスを傾けた。

「そうです。思考は、状況を知り解釈する段階、それが集積すると一瞬に閃きますね」

 執事が顔を出して根岸と佳代が来たことを知らせた。

 

 会議室のテーブルに白い布が敷かれて幾つもの燭台に蝋燭が輝いて花が飾られ会食の設えが出来ていた。コイエットと松下が入ってくると根岸と佳代は椅子から立ちあがって挨拶を交わした。すぐに副官と執事がやって来た。副官は佳代が鬼界ヶ島のオランダ船に乗って来たときの船長だった。久しぶりの対面だった。佳代の目に涙があふれていた。

 

 みんな席に着いた。三人ずつ向かい合って座った。片方には佳代をはさんで根岸と松下が並んで、その前にコイエットをまん中に副官と執事が席をとった。佳代の前にはコイエットがいた。根岸の前には副官が、松下の前は執事がいた。

 佳代は緊張していた。副官の船長をみると、船での出来事がよみがえってきた。つらい思い出だった。いまも根岸のそばにいることが苦しい。申し訳ないと思っていた。

 

 料理が運ばれてきた。白いエプロンを付けて黄色い髪を被り物でおおった若いオランダの女性たちだった。スープ皿が置かれ、オランダの女性が二人で大きな鍋を持って、一人が濃い黄土色をした豆のスープを注いでいく、笑顔で何やら話しかける。佳代はオランダの言葉で小さく返していた。皿のスープの中にこんがり炒めたソーセージや鶏肉の切り身を置いていく、うまそうな湯気がロウソクの明りにただよっていた。

コイエットがテーブルを見わたして、

「みなさん、どうぞ召しあがりください」と言った。

「おいしい」と佳代がひと匙口にして言った。

 松下が「このスープは飲むというより食べる感じですな」と言った。

 コイエットがスプーンで山盛りにすくって、

「この料理はエルテンといいます。レンズ豆とタマネギ人参それにオランダ三つ葉、ジャガイモを茹でて、弱い火にかけて半時くらい炊いています」

 エルテンを食べると皿が下げられて、すぐに大きな皿にこんもり盛られた料理が一人に一皿ずつ運ばれた。青い野菜の混ぜご飯に、濃厚なソースがたっぷりかかった大きな肉団子がそえてあった。

 佳代は量が多くて食べあぐねていた。根岸が気づいて後は自分が食べるからと言った。根岸は自分のを食べおえると佳代の皿と入れ替えてうまそうに食べていた。そのようすをコイエットがなごやかな目で見ていた。あちこちで会話が行き交っていた。副官も執事も日本語はあまりできない。松下はオランダの言葉が多少できた。佳代はポルトガル語オランダ語も少しは話せた。根岸は武士の言葉しか理解できない。もともと話が苦手でほとんど誰とも話さない。なんでもうまそうに食べるのは早い。

 コイエットが食後の果物を手にしながら根岸に声をかけた。

平成五年一月二十八日