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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

唐泊の港を出るとすぐに船は左に

一昨日前の金曜日はエッセイ教室だった。
壊れたパソコンのハードディスクの中からデーターを出して
教室の事務所でプリントアウトしてもらった。

    栄西と為朝と定秀(続き)          中村克博


唐泊の港を出るとすぐに船は左に回り始めた。正面に見えていた毘沙門山が右舷の方にながれ、かわって能古島が見えるようになると舵を少し戻して船は西の追い風を受けて進む、唐泊はみるみる遠くになった。ふたたび船は左舷に転舵して志賀島に向けると舵をもどし、そのまま直進して博多湾の中ほどにでた。唐泊の港を出てから船は南に進みながら左回りに半周したことになる。右舷から受けていた西風を今は左舷から受けていた。前方に見えている志賀島が近くなって視野に広がってきた。
「唐泊を出てからの操船はうまくいっていますね。水夫頭の指示も少ないです」
「そのようだな」
「このまま北に向かい外海に出るようですね。西へ進めれば距離をかせげますが風上です」
「この船の間切り(風上に向かって帆走すること)の働きはどれほどだろうな」
「帆桁が上下にある横帆二枚ですし、竜骨のない平底ですから・・・」
「風が変わりそうだな」
左舷の方向に見える玄界島の東に海面が黒くチラチラと輝いている。風が入って波がたっているようだ。見ているとその黒いチラチラがしだいに船の方に近づいてくる。丁国安が甲板を歩いてくるのが見える。途中、水夫頭となにやら話して、愛想のいい笑顔で為朝のほうに頭を下げた。
「先ほど、港を出るおりには見苦しいことをいたしまして、申し訳ありません」
「いやいや、船の損傷はいかがですか」
「外貼りの板が少しばかり傷ついておりますが問題ありません」
「設備のいい袖の港とちがい狭いところに来ていただいて迷惑かけました」
「いえいえ為朝様、お心づかいはいりません。事情は存じております。博多から離れて人目を避けやすいし、東林寺には栄西様の手配で警護の武士が多数つめておりました」
「そうでしたか」
「東林寺は栄西さまが宋の地を思い出して建てられたと聞いております。港は狭くとも栄西さまにゆかりのある土地であります」
「そのようですね」
「港が狭いので出やすいように右舷付をしていたのですが、未熟な差配をお見せいたしました」
「風が変わるようですね」
「だいたい昼過ぎから変わります。先ほど水夫頭に指示しました。西に向かえます」
西からの風が西よりの北風に変わって勢いも強くなってきた。前の帆のはらみがとれ風が抜けてバタバタと音を立ててしばたいている。船がゆっくりと左に回り始めた。いま、主帆の風が抜けて北風を右舷から受けはじめると、水夫たちの掛け声がして左舷側の帆桁が引き込まれ前後二つの帆は勢いよくふくらんだ。いくつもの軋む音があちこちから聞こえて船は左舷に傾いて走る早さをましていった。舳先が縦にゆっくり揺れて、その先に机島が見えている。
玄界島と机島のあいだに進路をとります。水路が狭いので風に上る方が安全です」
「そうですか、風が強くなりそうですね」 
「西に向かうには、ありがたい北風です」
玄界島が近くなった。険しい山が海辺までせまって砂浜がほとんどない。人の住む家はないようだが粗末な船小屋が二つ三ほど見える。その一つから煙が出ている。煙出しはないので低い軒先を伝って小屋の付近にただよっている。高い山が北風を防いでいるようで波風もない。
「この島は人が住んでいないようですね」
「人は住んでおりませんがウニやアワビやサザエの潜り漁をするための漁具を仕舞う小屋があちこちにあります」
「山がせまって、小さな船なら船溜りにいいようですね」
「島の北には瀬がありますが南は深いです。月海島ともいうようです」
「つきみしま、ですか・・・」
「左の小さな島は机島といいます。岩場が多くて潜り漁にいいのですが・・・」
丁国安は机島の近くを通る船の左舷から岩場を見ている。岩場に波が当たる音が聞こえる。
「おかしいですな。今日は誰も漁をしておりません」
北風を受けた船は博多湾から玄界灘にでると舵取りは進路をさらに西寄りに変えた。海は裾の長い五尺ほどの穏やかなうねりが出て風は少し強くなった。船はゆっくり上下しながら静かに進んでいる。時おり舳先が波頭をたたく音がしてしぶきが飛ぶが甲板を濡らすほどではない。
「為朝さま、船尾楼にお上りになりませんか、栄西さまとお茶でもいかがでしょう。かなたに壱岐が見えてまいりました
海は少しかすんで水平線海の空との境がはっきりしない。言われる方を見ると壱岐島の低い山陰が見えるようで見えなかった。為朝は丁国安の案内で艦橋の階段を上っていった。少し間をおいて側近の武士が後につづいた。栄西は一段目の船楼甲板にいた。右舷の手すりに寄り添って北のほうを見ていたが為朝に気付くと、顔をほころばせて上下にゆっくり揺れる甲板をしっかりした足取りで二歩三歩近づいてきた。
「お茶はいかがですか、煎じ茶ですが宋の実家から持ってきた雲霧茶です」
「ほう、それはありがたい。 昼からは霞が薄くかかって小呂島が見えませんね」
「冬の海は見通しがきくのですがね。春の玄界灘は気難しい」
「前回は卯月の初めでした。冬の海はわかりやすい。風が重たい。遠くが見える」
「もうしばらく走り、烏帽子の島が見えてくるころには北に小呂島が望めると思います」
船楼の甲板には武士が二人配置されていて為朝にかるく黙礼して姿勢を戻した。為朝側近の武士が二人の部下に近づいて先が長いので楽な姿勢でいるように話していた。丁国安は船室の重たい扉を開けて船のゆれに備えながら栄西を招き入れた。為朝はすこし北の海を見ていたが、それに続いた。若い武士は室に半身はいって、不作法は承知なように一瞬だが注意深く見渡して外に出た。丁国安は扉の取っ手を握ったままで若い武士に入るようにすすめるが武士は軽く頭を下げ部屋に背を向けて一足遠のいた。しかたなく丁国安が扉を閉めて入ってきた。扉が閉まると外の明かりは閉ざされて船尾の小さな窓から海が明るく見えた。部屋はいきなり暗くなったがすぐに目は慣れた。女が二人いた。一人は三十路なかばをすぎた年恰好で背が高く体格が良かった。もう一人は二十歳まえだろう。船の縦ゆれをかわしながら薬缶から茶を注ぎ分けている。被り物はないが共に狩衣の男装であった。大柄なほうは拵えのいい朱鞘の小太刀を差している。栄西とは顔なじみのようで、茶菓子の用意をしながら打ち解けた博多なまりで話をしていた。
「湯は、唐泊におるうちに沸かしておりました。船が落ち着いてもう一度火にかけました。栄西様は抹茶のほうがお好みでしょう」
「あちらでは、団茶をよく飲んでおりましたが博多ではもっぱら抹茶を点てております」
「近ごろは宋でも抹茶が人気だそうですよ。しかし船の上ではむつかしい・・・」
女は話をとじて為朝にむかってお辞儀をした。両手を小太刀の柄下に重ねて腰を曲げてゆっくり頭をさげた。お茶を注いでいた女もそれにならって薬缶を下げ、ぎこちなく両手を薬缶の取っ手に添えてお辞儀をしたが、船のゆれに薬缶がゆれて、その弾みでそのまま小さく二三歩まえによろめいた。両手がふさがっては恥らう仕草もしづらそうにうつむいていた。また船がゆれる。為朝は歩み寄って両手から薬缶を取ってやった。船が右舷からの大きな波を受けたようで横にゆれた。女は思わず為朝の袖をつかんだ。
「あ、申し訳ございません」
あわてたようすで袖の手をはなしたが船がまた大きくゆれた。
                   平成二五年七月一八日