ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

昨日はエッセイ教室に行った。

提出した原稿はこんなだった。


      それはもう、昔の話。                中村克博


 壁の時計を見上げると七時を過ぎていた。障子窓の明かりはいつもより薄暗かった。そろそろ散歩の時間になる。読みかけの本を閉じて、厚手のコートを着てベランダに出た。今朝はマフラーも首にかけてきた。グリュックはまだ寝ているようだ。靴の紐を結びながらネグラに向かって名前を呼んだが出てこない。犬小屋を覗いて「散歩にいこう」と誘った。申し訳なさそうに伏せ目でこちらを見ている。「グリュック行こう」とさらに言っても起き上がる様子はない。「そんなら、シッコだけしておいで」と言うと出てきた。前足を大きく伸ばしながらアクビをした。ベランダのゲートを開けてやるといそいそと調子を取るような足取りで歩いていった。小さな流れのそばの草むらにしゃがんでいるのが見える。またアクビをしているようだ。寒い朝、犬は喜んで散歩にかけ出るはずだが、それは昔の話になったようだ。
妻にも声をかけたのだが布団の中からもぐもぐと声がして聞き取れなかった。たぶんグリュックと同じ寝心地なんだろう。今朝はいかにも冬めいて寒く感じる。少し駆け足で足早に歩いた。国道に出て車の流れが途切れるのを待っていた。横断歩道に信号機はあるのだが通勤に急いでいる車の流れを止めるのが気おくれだ。国道を渡って、しばらく歩くと体は暖かくなるが手は冷たいのでコートのポケットの中だった。遠くにラルとその飼い主夫婦が散歩しているのが見える。
ラルが擦り寄ってきて朝の挨拶をしてきた。頭を撫でて肩を叩いて応えた。
 「あら、一人ですか」と笑いながらとわれた。
 「グリュックも家内も起きなくて」
 「急に寒くなりましたね。今日は荒れ模様の天気らしいよ」
 「パリの若夫婦はどうしていますかね」
 「昨日、娘と話しました。パリは雨らしいですよ。電話してみましょうか、自宅からなら携帯で映像を見ながら話せますよ。今、向こうは夜中の一二時くらいですかね」
 「へぇ、そんなことができるのですか。すごいね」
自宅のワイファイを使って、携帯電話から国際電話をすれば無料でできるらしい。そんなことは知らなかった。僕のスマートフォンでもワイファイをつなげる環境なら国際電話でも国内電話でも無料で話ができるそうだ。散歩を切り上げてラルの自宅に引き返してお邪魔した。
ご主人から手渡されたアイフォオンの画面に息子の顔が出ていた。
 「おはようございます。あ、いや、そちらは夜か、こんばんは、やね」と息子の顔に話しかけた。
 「は、お父さん、はい。おはようございます」と聞こえてきた。
  携帯電話の映像が息子の新妻に変わった。
 「元気ですか、少し痩せたようやね」
 「ええっ、カメラを上から撮っているからでしょう」
顔を下から映るように携帯の位置を変えたようだ。
 「今度は少し太って見えるよ」
 「でしょう。こちらで少し太りました」
 電話を切るときに「おやすみ」の挨拶をするのを忘れていた。いろいろと、世の中の変わり方が激しい。昔は電話の話し言葉に「もしもし」というのがあった。携帯電話で顔を見ながらでは「もしもし」は使わないかもしれない。地球の反対側とでは顔を合わせても「おはよう」とか「おやすみなさい」の挨拶言葉もおかしくなる。遠くにいて、今頃どうしているだろうと気をもむことも昔の話になるのだろうか。
散歩の帰り道を急いだ。気のせいかと思った。チラッと白いものが帽子のひさしをかすめた気がした。チラッとまた見えた。雪のようだ。家に着く頃には、だんだん白い小雪が目に見えるように降ってきた。ベランダにグリュックの姿はない。ガラス戸の中にいる。台所の前の廊下に大な後ろ姿が見える。朝ごはんは少し柔めに炊かれていた。小ぶりなアジの開きは少し焼きすぎだったがアツアツご飯と一緒に食べるとおいしかった。クロワッサンもいいが近くの田んぼで取れた新米のアツアツご飯はやはりありがたい。
 息子夫婦は新婚旅行で今パリにいる。クリスマスまでそこで過ごすことになっている。パリの前はクロアチアからセルビアの辺にいた。その前はイタリアのフィレンツエにいた。新婚旅行にひと月以上もかけることになる。僕の常識では考えられないことだが、最初のフィレンツエには新郎新婦のそれぞれの親たちが追いかけてくるように合流して一週間を三組の夫婦が一緒に過ごした。あまり例のなさそうなことを自分も参加してやっている。しかもフィレンツェでは小さなチャペルでクリスチャンの結婚式まで親子でやった。ちゃんとした正式の結婚式は筥崎宮で厳かに親族一同参列して挙げているのだが、時代とともに結婚式の有り様も変わるのだろう。
数年前、長男の結婚式もホテルのチャペルで行ったが、これには僕は不満で、披露宴の謝辞の挨拶で「クリスチャンでもないのに、どこかの神様に結婚の誓を立てていましたが、日本には八百万の神様がおわします。一人や二人神様が増えても問題ない寛容な国であります」などと言ってひんしゅくをかったことがあった。長男夫婦には申し訳ないことだったと今は思っている。これほど早く世の中が変わっていくのについていくのが大変だ。しかし、結婚式とは何だろうかとも思う。自分たちの祖先と自分たちの国、それに自分自身をどうかかわらせていこうとするのか、そこのところが不明確のような気がする。世の中、変わっていくものと、そうではいけないものとがあるような気がしている。自分にとって何が目的なのか、何が幸せと思うのかは、人それぞれ違うのは仕方がないが、その違いが拮抗するとき、自分のそれをどう守っていくかが問われる時にここのところの根元の部分が関係するような訳のわからん気がしてモヤモヤしている。

平成二四年一二月六日