ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今日は第二金曜日、午前中は「きらくにエッセイ」の教室に行った。

前回は授業初めの日を間違えて、これが今年初めての提出になった。


庭の木を切った。                中村克博


木を切ろうと思った。敷地の南側にある杉の木立で根元の直径が四〇センチから六〇センチほどのが二〇本ばかりある。高さは十メートルをゆうに超えて高いのは二〇メートルくらいもありそうだ。夏なら木陰は日差しを優しくするし見た目にも涼しいと思うが実はそうでもない。夏の太陽は真上から指す。木の真下にでも行かなければ日除けにはならない。目の前に立ちはだかるばかりで圧迫されそうな鬱陶しい感じさえする。以前は見えていた竜王山から流れるように続く稜線の峰も全く目に入らない。昔は春が近くなると遠くの山の斜面に山桜の枝が色付いてくるのがよくわかった。冬場の今はありがたいはずの縁側の日溜まりも無くなって久しい。それにお天気な日、洗濯物を干す場所は日差しを求めて年々洗濯機から遠くに移動する。これは何としても切らねばならない。

チェンソーのエンジンを掛けようとスターターグリップを先程からなんども引いているがエンジンはプスッともいわない。スターターのケースを開けたり、あちこちいじってみるが見当がつかない。このチェンソーはドイツ製のSTIHLというメーカーのもので寒冷地に強いそうだがエンジンが掛からなくてはどうしようもない。思えばこれは買った当初からエンジンの掛かりが悪かった。一度始動してエンジンが温まれば後は調子がいいのだが僕がやるといつも掛かりが悪い。そういえば使い始めて二年になるのにまだ説明書を読んでいなかった。昔から何台も使っているので今更と思いながらページをめくっているとマスターコントロールレバーの位置について書かれている箇所が目に止まった。いわゆるチュークレバーの扱い方だがよく読むとこの部分の操作が適切でなかったのがわかった。あらためて書いてある通りにすると一発でエンジン音が鳴り響いた。気分が良くなった。
エンジンのかかったままのチェンソーを持って時々「ブー、ブブー」と空吹かししながら木立に近づいていった。天気はいいし風はない。どれから切ろうかと思う。切ってから倒れる方向を考えると電線がある。椿や蝋梅などの庭木を痛めそうだし母屋の屋根でも直撃すれば瓦が割るくらいではすまない。その時の母の怒り顔が目に浮かぶ。よく考慮して見ればどれも僕の手に余るほど大きいのに気づいた。以前にはよくやった木にのぼって高い細い部分から少しづつ刻んでいく方法はどうだろうかと思ったが止めにした。落ちて足でも痛めたら喜ぶ奴が多過ぎる。歳をとると冒険をしなくなるようだ。面白くないがこれが分別なんだろう。しかし止めにすると言っても今更その気になっている体の勢いがそうは収まらない。何か適当なものはないかと チェンソーを「ブー、ブブー」といわせながら庭を歩いていた。母家の北側に樅の木やモッコクそれに椿などが軒先を超えてこんもりと茂っているのが目に止まった。

木の高さは平屋の屋根の棟よりも低い。頃合な相手だがチェンソーでは鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いんと言われそうだ。チェンソーを置きに戻って代わりに片手ノコを持ってきた。脚立も運んできた。始めにモッコクの前にある山椒の枝を落とした。誰が植えたのか自然に生えたのかは知らないが年々伸びて軒先をはるかに超えている。家の北側に場所を得たので日光を求めて上に上にと細い枝が真っ直ぐに束になっている。この時期に葉はない。刺があるので触ると痛い。台所に近いので葉っぱや実を料理に使うのに便利だが日当たりが悪いので美味しくないだろう。八木山は山椒の木は土地に合うようでいくらでも大きなのがある。いっそのこと、すりこぎにすれば大小いくつもいいのができそうだ。それでも腕ほどの幹を根元から切ろうかと思えば踏ん切りがつかない。
モッコクは木に登って思い切って枝を落とした。お手伝いさんが通りかかったので剪定の具合を問うと「いい感じよ。明るうなったがぁ」と言うのでさらに登って思い切って枝を落とした。枝の先に実の弾けたあとの殻が沢山付いているので襟首からそれが入ってくる。あたかもモッコクが作業を阻んでいるような気がした。抗えば反動がおきる。手の届かない上の方だけ残してほとんど葉の付いた枝は切り落とした。木の上から見て周りの見晴らしが良くなったが下から見上げるとモッコクは柱のようになった。
椿は一段と茂っていた。遠目には赤い花がチラチラするだけだったが登ってみると青い葉っぱに隠れて硬いつぼみがびっしり付いていた。ノコを当てた枝をよく見ると少しピンクに色づいたつぼみもたくさんあって忍びなかった。ためらいながらも枝を切った。ひるまずに小ぢんまりと整えた。切り落とした枝が小山のようになったので、翌日つぼみの付いたのを切りそろえて生け花教室に届けたらとても喜ばれた。
次の樅の木に取り掛かかるころには夕日がかなり傾いていた。まだ枝を落としていない木の上にいて少し休んでいると母を訪ねていた弟の娘が帰っていくところだった。声をかけると一瞬戸惑っていたが落ちている枝に気づいて笑顔で上を見た。「おじちゃん元気ね。木のぼりが好きなんやね。またね」といって車のドアを閉めた。それから樅の木をかなり切ったが日が落ちてしまった。残りは明日にしよう。それに切るときには枝ぶりも考慮しようと思って木から降りた。次の日は雨だった。   

二〇一二年一月一九日