「さくら」のセーリングに伴走した。
船長が元気なころから、僕も海で長らくお世話になった。
いろんなレースの写真をクルーの邪魔をしながらめげずに撮ったもんだ。
タイのキングスカップや済州島一周レース、海外のレースにも連れて行ってもらった。
いろんな思い出が浮かんできた。おかげで沢山楽しい事が出来た。それに優勝も多かった。
今日の先生は遺影だが、今回が最後のセーリング撮影になる。
あの頃はみんな若かった。あの頃はハルの色が濃紺のJ44だった。よく走った。
あの頃、僕の「ひらひら」は「さくら」の横のポンツーンに舫っていた。
「さくら」がレースに出ると「ひらひら」のキャビンは「さくら」の倉庫になった。
あの頃は海でビールを飲んでも飲酒運転はなかった。
ロングレースで僕が飲んだ缶ビールの数をスキッパーは数えていた。
世の中、あの頃から見れば変化が速い。ハーバーも世代が変わっているのだ。