中国の国家元首として玄洋社を訪れた孫文、二人置いて宮崎滔天がいる。 伊藤伝右衛門
日本に亡命したころの孫文は玄洋社や宮崎滔天、犬養 毅、一部の炭鉱経営者と限られた人たちによって匿うように支援されていたが、この時は国賓として宿舎は帝国ホテル、博多までは特別列車がしたてられた。主要駅では万歳三唱で迎えられ、市長が表敬挨拶して歓待したそうだ。
この頃、頭山満の指導する玄洋社のアジア主義は石原莞爾が考える大アジア主義と同じようなものだったのだろうか・・
伊藤邸の見学は、娘が休日で友人と帰宅していたので一緒にいった。室内は撮影禁止らしい。