ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

宮崎滔天は10年後に息子の宮崎竜介が白蓮と駆け落ちするなど、想像出来ないだろう。


中国の国家元首として玄洋社を訪れた孫文、二人置いて宮崎滔天がいる。  伊藤伝右衛門


日本に亡命したころの孫文玄洋社宮崎滔天、犬養 毅、一部の炭鉱経営者と限られた人たちによって匿うように支援されていたが、この時は国賓として宿舎は帝国ホテル、博多までは特別列車がしたてられた。主要駅では万歳三唱で迎えられ、市長が表敬挨拶して歓待したそうだ。
この頃、頭山満の指導する玄洋社アジア主義石原莞爾が考える大アジア主義と同じようなものだったのだろうか・・ 

伊藤邸の見学は、娘が休日で友人と帰宅していたので一緒にいった。室内は撮影禁止らしい。