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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

柳原白蓮はこの屋敷で10年暮らした。

伊藤伝右衛門の旧邸宅が4月28日(土)から全面公開されている。
柳原白蓮(本名菀子)は、明治18年(1885)10月に伯爵柳原前光(さきみつ)の娘として誕生した。前光の妹の愛子(なるこ)は大正天皇の生母で、菀子と大正天皇はいとこの間柄になる。
明治44年(1911)、筑豊地域で貝島・麻生・安川らの石炭御三家に並ぶ事業家の伊藤伝右衛門に嫁ぎ福岡県飯塚市・幸袋にある、1500坪の敷地に250坪のこの屋敷に移った。菀子27歳、伝右衛門52歳。

1911年(明治四十四)と言えば、中国の革命軍が武昌で蜂起して革命に成功した、いわゆる辛亥革命が成就した年でもある。指導者の孫文は、革命活動十七年、四十六歳のときらしい。この挙兵に、玄洋社の末永 節(明治二1864〜昭和三十五1960)が日本人として一番乗りで駆(か)けつけている。
革命政権の南京臨時政府が発足し、翌年、孫文中華民国臨時大総統に就任する。ほどなく、袁世凱(1859〜1916)に地位を譲り、翌年の大正二年二月十三日には新生中国の国家元首として日本政府の賓客として来日したそうだ。

そのとき福岡へも来て各地を訪れ、革命を支援した玄洋社や炭鉱経営者に感謝の気持ちを述たらしい。伝右衛門とも当然互いに親しく祝辞を述べ合ったかもしれない、と思った。ひょっとしたら白蓮も同席していたかもしれない。
いや、このころの九州人は大儀に私事を持ち込むようなこじんまりした事はしなかっただろう。