ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

ヤマ(禁戒)はできそうにないが、(ニヤマ)勧戒なら出来そうだ。

ニヤマ(勧戒)は
一番目に、心身を清らかにしろ。
二番目に、満足せよ。足ることを知れ。
三番目に、けじめをつけよ。
四番目に、訓練せよ。
五番目に、神に祈る。


むかし、日本の社会にも古代から時代に応じた様々な規範が生きていた。やるべき事とやってはいけない事が
はっきりしていた。明治以降も先の敗戦まで、国には由って来る根拠と国家行動の理念があった。
社会には慣わしや掟などの規範があったし、家庭には制度と秩序が機能していた。・・とおもう。


教育勅語教育ニ関スル勅語)は、明治時代に日本の教育の根幹をなすものとして発表された勅語であるが、
要するに、みんな仲良くしなさいと難しい文章で書いてある。


さらにこんな規範もあった。


軍人勅諭
五省
一、至誠に悖(もと)るなかりしか 
一、言行に恥づるなかりしか
一、気力に缺(か)くるなかりしか
一、努力に憾みなかりしか 
一、不精に亘(わた)るなかりしか 

聖訓五箇条
一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一、軍人は礼儀を正しくすべし      
一、軍人は武勇を尚ぶべし        
一、軍人は信義を思んずべし       
一、軍人は質素を旨とすべし
  

イマジンが歌われだした頃から、若者の社会規範への抵抗が顕著になった。
アメリカの若者は教会に行かなくなった。大統領など社会の頂点に立つ人たちの
スキャンダルが暴かれるようになって社会から権威なるものの実態が丸見えになった。
ヨーロッパでも東洋でも同じような現象として起きている。
テレビや活字で接したニュースの記憶では僕はそう理解している。


人間は権威や規範に従順であるとは限らない。まして社会が変わって、それまでの
道徳や習慣が現状にそぐわない状態になると若者は精神の反乱を起こす。それまで
機能していた社会規範の論理と若者が認識している現状とが乖離しているのだから、
若者はその狭間で困惑し、旧来の権力は様々な手段でこれまでの価値観を持続させ
ようとする。

数世代にわたって魂を押さえ込まれると若者の精神はついに閉塞する。親の世代から
子供たちが受け継ぐはずのモラルは日常の物心付く時期に身近な大人を通じて体得する。
それが個人の内的規範と成るはずなのだが肝心の親たちに精神のよりどころがなくなって
社会の根本原理が揺らいでいては若者に継承すべき生きるための指針などはあるはずもない。


反逆できない若者は引きこもる。無気力に順応しようとする。
イマジンをリクエストしてゲバラのTシャツを着てみる。
世界に一つだけの花」を聴いて、歌ってみる。

ヨガとは背骨を捻っていればいいのかと思っていたら、訳の分からんことを考えさせられる。