ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

カサブランカをNHKのBSでみた。

何年か振り、何度目かだが・・
いきでかっこ良かった男が、今回はやぼで間抜けに見えた。

純でしおらしいかった女が、したたかでかしこい人妻に見えた。


As Time Goes By  (時の過ぎ行くままに)
この曲はピアノを弾きながらサムが歌う。
ぼくはCDでビリー・ホリディのうたうのを聞く。どちらもいい。

映画の中ではリックの酒場でドイツの軍人は「ラインの守り」を合唱する。
それに対抗してフランス人たちが「ラ・マルセイエーズ」を演奏つきで歌う。
どちらの場合にも歌う人たちは起立して厳粛に熱烈にうたっていた。


「ラインの守り」はプロセインの国歌だったそうだ。
統一ドイツが出来たこの時代には軍歌として歌われていたようだが、今のドイツでは歌われることがないらしい。

現在のドイツ国歌は・・ウィキペディアWikipedia)によると、
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1797年に神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世に捧げた「神よ、皇帝フランツを守り給え」(後に編曲され弦楽四重奏曲『皇帝』第二楽章にの主題になる。)のメロディーに、1841年にアウグスト・ハインリヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベン (August Heinrich Hoffmann von Fallersleben) がヘルゴラント島で詠んだ詩を付けたものである。なお、同じメロディーはフランツ2世の出身家ハプスブルク家が統治するオーストリア・ハンガリー帝国でも国歌として使用されていた (こちらの方が元の 「神よ、皇帝フランツを守り給え」 を引き継いでいる)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%AD%8C


ラ・マルセイエーズ」、
この歌は当初、フランス革命政府によるオーストリアへの宣戦布告の知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが一夜にして作詞作曲したものであり、このとき付けられたタイトルは『ライン軍のための軍歌』 (Chant de guerre pour l'armée du Rhin) であった。
と、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』に書いてあった。
長い間、ライン川をドイツとフランスは取りっこしていたようだ。
ラ・マルセイエーズ −フランス共和国国歌
http://meta-metaphysica.net/lit/lamars.html



クーデンホーフ・光子(ゲラン「ミツコ」)

http://homepage2.nifty.com/TAMACHAN/MItsuko/Mitsuko.htm
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0632.html
イングリッドバーグマン(映画ではイルザ)の夫役であるポール・ヘンリード(映画ではラズロ)は、今日のEUの提唱者であるリヒャルト・栄次郎・クーデンホーフ・カレルギー伯爵をモデルにしており、容姿も似た俳優のポール・ヘンリードが採用されました。 このリヒャルト伯爵の母親が、オーストリア・ハンガリー帝国の外交官、クーデンホーフ・カレルギー伯爵に嫁いだ日本人女性、青山光子(1874-1941)です。 パリのゲラン社が1921年に初めて発売した香水「ミツコ」は、当時の社交界の華だった光子伯爵夫人をイメージしたものと言われています。 
とWebに書いてあった。http://diary.jp.aol.com/a4pcpx/38.html