ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

セローは快適に上って行った。

日本の棚田百選に指名された棚田の中を折り返し折り返し上った。棚田のある宝珠山村は人口約2000人で、名前の由来は国の重要文化財の岩屋神社に祀られている「宝珠石」からきている。天から降ってきたというからきっと隕石なんだろう。この岩屋神社の起原は西暦531年までさかのぼる古社で、昔は修験道の宿坊が沢山でにぎわったという。


古代、北部九州を支配していた磐井が乱を起こしたのは西暦527年、大将軍物部大連麁鹿火(??何と読むのか??)は敵の首領磐井と筑紫の三井の郡で交戦した。と日本書紀に書いてあるそうだ。そして岩屋神社の起源と同じ西暦531年に『日本の天皇及び太子・皇子が共に死亡した。と、こちらは百済本記には書いてあるらしい。
このころ大和の継体天皇百済と仲良しで、筑紫の磐井王は新羅と仲がよかったらしい。百済本記でいうところの日本とは、大和と筑紫のどちらを指していったのだろう。宝珠山の岩屋神社と「磐井の乱」との関係はないのだろうかと思った。
ま、この辺りの史観も未だ定まってはいないのだから何とでも、いろんな説を楽しく言い合えばいい。磐井の親子は武運つたなく大分の宇佐方面に敗走し行方知れずという。筑紫の八女と宇佐の中間点に宝珠山村はある。