ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

第三金曜日、午前中はエッセイ教室に行った。

先日の広島行きを題材にした。岡山の話までは書けなかった。


新幹線で広島に行った                 中村克博


 博多駅から一〇時すぎ「新幹線のぞみ」に乗った。一時間一〇分ほどで広島についた。支線に乗り換えて一五分たらずで宮島口についた。駅の出口からフェリー乗り場が見えていた。港の方に歩いていくと歩道にかぐわしい煙がただよっていた。通り過ぎたが釣られて匂いの方に引き返すと黒い看板に金文字で「あなごめし」と書いてある。時間に制約があるわけではない、腹がへったので妻に相談して昼めしにすることにした。
混み合って二〇分待ちだそうだ。店のとなりが待合場所になっていて、格子のガラス戸を開けてはいると中には数組の先客がいた。待っているうちに缶ビールを注文しているおじさんがいた。両手に一缶ずつかかえて奥さんのいる席に運んでいた。食事の場所は二階にもあるようで順番が来て名前を呼ばれた人が履物を脱いでいる。そちらをのぞくと客は年季のはいった箪笥階段を昇っていった。二階は店とつづきになっているようだ。
我々の順番がきて名前が呼ばれ待合場所と店との仕切りの暖簾をくぐった。満席の中を一番奥の席に案内された。相席で一組の夫婦がすでに並んで座っていた。先ほど待合場所で缶ビールを注文していた人だった。見ず知らずのふた組の夫婦は共に同じ「あなご丼」を注文した。ご主人は冷酒も徳利でたのんでいた。僕は席の前の展示物が気になって席を立った。壁にかかっている古い絵巻物の場景を丹念に観察しているとき席の三人は話が始まっていたらしい。
「どちらから、おみえですか」
「福岡からまいりました」
「私たちは京都からきました」
夫婦の住まいは千葉の浦安で、今日は京都の奥さんの実家からでてきたらしい。壁の絵巻物は日本の中世の日用品や工芸品の工房の様子を詳細に描いたものだった。僕は席に戻って話にくわわった。
 「鰻と穴子はどう違うのでしょうね」
 「うなぎは淡水にいますが、あなごは海ですよね」
 注文していた「あなご丼」はなかなか来ない。夫婦は冷酒を酌みあっている。六〇代に見えるが二人は七五歳の同い年らしい。ご主人がお勤めの頃に出張でいった思い出の街を定年後におとずれて奥さんに案内しているそうだ。
 「先日は主人の行きつけのスナックにも連れて行ってもらいました」
 「そこのママと僕は何もありませんでしたよ」
 「そんなこと、言い訳するとかえってやばいですよ」
 と僕がいらんことをいってしまった。すると奥さんがすかさず、
 「いえ、いえ、それはありません。その人こんな太って・・・」
 「三〇年前はわからんですよ。その頃は、ほっそりしていたかも」
 僕は、またしていらんことを言ってしまった。ご主人は奥さんに盃をすすめた。注文の「あなご丼」がやってきた。穴子の量は盛り沢山だったが、ぱさぱさして喉に引っかかりそうだった。食べているあいだにも、ふた組の夫婦は話がはずんだ。 
フェリーは一〇分ほどで厳島の桟橋に接岸した。すこし歩くと海の中の赤い鳥居が見えてきた。日差しは強かったが風は涼しくて気持ちよかった。鹿があちこち目についた。神社の中を通り抜けて宿につくと、荷物を預けてロープウェイで弥山に登った。ロープウェイは世界遺産だという原生林の上をのんびりゆれながらあがっていった。自然の山は松やカエデ、モミの木や杉の木、それに名前の知らないいろんな樹木が三〇mほども高く密集していた。遠くの海に小さな島がいくつも見えてきた。
宿はいい宿だった。ロビーに明治時代からの宮様や伊藤博文西園寺公望東郷平八郎夏目漱石など宿泊客の写真が展示してあった。その中で桂太郎の写真だけが等身大に拡大してあった。この写真一枚で僕は桂太郎の心象がこれまでと一変してしまった。ふんぞり返って椅子に座っている。ひっくり返りそうだ。意外に小さい人だ。東郷さんも小さな人だがヒゲはあっても偉そうにはしていない。ブリキの勲章をたくさんつけているのはこの時代のイギリスでも同じだ。小さい人にも、おごそかで奥ゆかしい感じの人もいる。
あくる日はゆっくりして宿を出た。のんびり歩いて厳島神社の宝物館に行った。こじんまりした展示場だが国宝、重要文化財などの、それこそ国の歴史的な宝物がたくさんあった。平家納経があった。清盛の願文があった。陳列ケースの外に願文の現代訳が添えてあった。読んでいて清盛が好きになりそうだった。
「いろいろ悪いことをしましたが、いまは朝も夜も神仏を敬って祈願していますから、どうぞゆるしてください。社殿を造営して貢ぎ物を持ってきますのでどうぞ極楽往生しますように云々」とだいたいそんな内容だった。
その場所の近くに宥座の器(ゆうざのき)という銅でできた小さな壺が鎖で左右から吊るしてある展示物があった。僕は初めてこんな物をみたので興味深く観察していた。その器は傾いているが水を入れると段々に真っ直ぐに立ちあがって安定する。さらに水を注ぐと一杯になる前にひっくり返って全ての水は器から出てしまう。その展示物の前に由来書きがあった。
孔子が言った。
「いっぱい入れるとひっくり返ります」
子路がたずねた。
「どうすれば、いっぱい入れてもひっくり返りませんか」
「聡明聖智があるのならそれを守るには愚を装い
功績が大きくなったならそれを守るには謙譲を心がけ
勇力があって強いのならそれを守るには臆病な態度をとって
巨大な富を占有するならそれを謙遜によって守らねばなりません」
だいたいそんなことが書いてあったようだ。先ほどの清盛の願文との取合せが面白いと思った。清盛、この故事のことは知っていたに違いない。こんなことに依らなくてもそんな道理はわかっていたと思う。分かっていてもできなかったのだろう。なぜだろうかと思う。
                           平成二五年六月二〇日