ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

昨日はエッセイ教室だった。

栄西と定秀と為朝」の続きを書いて提出した。いろいろ指導を受けた。
教室が終わって、箱島さんと篠田さんの受賞祝いの食事会があった。



 
栄西と定秀と為朝」の続き 


 離れの入口は鴨居がひくい。いきおい頭を下げる形になる。母屋にさしかけられた下屋は深く、渡り廊下の屋根が日差しをさえぎっていた。部屋に入ると板戸は開かれていたが二畳ほどの板の間は薄暗く冷気を感じた。定秀はひと足入って前を見たまま背後をうかがうように小さく言った。
「足元に気をつけてください。二寸ほど高くなっております」
 定秀はさらに二歩入って膝を突いて正座した。すぐ後ろの栄西はそれにならった。外の日差しから部屋の暗さにはすぐに目が慣れた。板の間の右隅に女がかるく頭を下げて正座していた。腰障子二枚の引き違いを二手で開いて定秀は膝行して部屋に入った。部屋には畳が敷き詰められている。唐金の火鉢の上に茶釜がかけてあり、その奥に八郎為朝がみえる。定秀は背中を真っ直ぐに折り曲げて深々とかしこまってお辞儀をした。主従は無言であった。定秀は歩いて亭主の座に着いた。栄西が部屋に入ると腰障子は外から静かに閉められた。栄西は頭を下げたままで挨拶をする。 
「明庵でございます。初めてお目通りいたします」
「うむ、栄西禅師ですな。為朝です」
 為朝は号で名のりをした栄西の名前を尊称でいいなおした。栄西は膝行して末席に移動した。あらためて三人は共に頭を下げた。栄西は体を起こすと口を開いた。
「伊豆の大島をでられて紀伊の熊野におられることは存じておりましたが、英彦山にご滞在とはこのたび初めて承りました」
 為朝は無言で栄西を見ている。火鉢にかけられた茶釜からは湯気が立ち、湯のたぎる音がかすかに聞こえていた。定秀が話をついだ。
「熊野には、八郎為朝様の御父上君、源為義様の御息女が熊野別当、行範様の奥方様である縁によります。熊野別当様にはかねてから上総(かずさ)の国に知行地がございました」
 栄西は為朝に向いていた目線を少し下げた。四畳半の小部屋は天井も低くて暖かかった。栄西の後ろに竹の格子の入った窓がある。少し開けられた障子は明るく、時おり入る風はひんやりと心地よかった。
南房総から伊豆大島遠州灘熊野灘熊野水軍の勢力圏でございますね。熊野別当様は、このたび鎌倉からあらためて南房総の地頭職をたまわったようでございます。私ごとでございますが、博多の聖福寺の地所も鎌倉の頼朝様から直接のご配慮でいただいたものでございます」
 定秀は茶釜の蓋をあけ水瓶からひと杓、水を加えた。為朝の後ろは二尺ほどの押し板があり、それは後世にできる床の間の原型のようなもので奥まった壁には軸がかけてあった。その軸の前に太刀掛けが置かれて、質実な拵えの太刀が為朝の手の届きそうなところにあった。
「その太刀は昨年、私が打ったものですね。佩用いただいて痛み入ります。お気に召していただいたようですね」
 為朝は顔をほころばせた。両手を膝にのせたまま左の肩だけを流すようにひねった。同時に膝から離れた左手はすでに太刀をつかんで膝元に引き寄せられていた。栄西はまさに息を呑む間もない瞬時の静寂をみていた。柄頭を自分に向け刃を上にして、左手の握りに力を入れると鯉口が切れた。そのまま左手で鞘を押すと美しい反りの刀身がでてきた。右腕よりも四寸も長いといわれる左腕は鞘が離れるまでのびた。すると鐺(こじり)は部屋の入口の腰障子に届きそうになった。
「気に入っておる。若い頃は三尺五寸もの太刀が手頃であったが、戦もない時勢では無用であるな」
 為朝は鞘を組み足の左に置くと左手は膝に戻した。右手を目の高さにして刃の通りを見ている。
「その太刀は二尺五寸弱ですが反りを一寸ほどつけております。身幅があり元重ねが三分ほどもありますが頃合の樋がふかく通してありますので軽い」
 定秀は栄西にわかるように太刀の詳細を解き明かした。
「うむ、この太刀なら山を登っても木立の中を歩いてもあつかいやすい。重宝しておる」
 為朝は切っ先を上に立てて刃を自分に向けたまま栄西に手渡した。
「ほう、見た目よりは軽いのですね。直刃で腰反り高く先は延びた体配で品がいい。直刃の焼きは狭く、樋が太く通っておりますので刀身に弾力があって、しなう」
 栄西は慣れた手つきで太刀をしばらく拝見して為朝の手に返した。
「まだ、この太刀で人は切っておらぬが刃筋を外さねばよく切れる」
 為朝は太刀の地肌を確かめるように障子からの明かりにかざして音をさせず鞘へ収め、元の太刀掛けにもどした。定秀は薄茶を点てた茶碗を膝前において、にじりながら足を組んで座っている為朝の前に運んだ。為朝は右手で無造作に茶碗をとると左の手のひらにのせた。茶碗に軽く目礼するようにしたあと一口すすった。うなずくように飲み下すと残りを二度に分けて口に運んだ。定秀はその様子を見届けて席に戻った。定秀は栄西の薄茶を点てながらつぶやくように口をひらいた。
「世が治まり、戦がなくなれば刀は役目をなくします。人は刀を持つ手で鍬をもっております」
「人が刀を忘れると鍬を持つ手で次なる争いの種をまくのかもしれませぬな」
 栄西が応えた。定秀は少し体を右に開いて栄西の茶碗を火鉢の横に差し出して軽く頭をさげた。栄西はにじりながら近づいて茶碗を膝前にとり、後ずさりして茶碗を引き寄せながら元の席に着いた。茶碗を畳の縁(へり)うちにいれ、かしこまって茶碗にお辞儀をした。茶碗を手にしてゆっくり三口で飲み干してから、為朝の後ろに掛かった軸の字を見た。
「ほう、喫茶去(きっさこ)ですか、いい話ですが、なかなかですね」
 定秀は自分のための茶碗を用意しながら栄西の話をうけた。
「いつの時代でもそれができれば、誰もが誰にでも、それができればとのぞんでいるのですがね」
「きっさこ、お茶をのもうではないか、ということではないのか」
 為朝がいぶかしげに言った。
「は、そのようなことでございます」
 飲み終えた茶碗を手にしたまま、栄西は応えた。
「ほかに、どのような意味があるのか教えてくれ」
 為朝は目の隅が切あがった眼差しを涼しげに向けた。
「いや、いや、私めにも、それ以上のことはわかりません」
 栄西は恐縮していた。
「八郎様の言われるとおりでございます。ただただ、そのように成せば良いのでしょう」
 定秀が口をはさんで自服の薄茶を口飲んだ。
「なるほど、まつりごとを司る人がそのようにあればよいのか、民をそのような日々におくのが祭りごとの勤めであるのだな」
 為朝が定秀を向いて栄西に目をうつした。栄西は背を伸ばして両手をついて頭を下げていた。前には飲み干した茶碗が置かれていた。定秀は言葉をつづけた。時服の二口目は口にせず、左手の茶碗には右手が添えられて胸の前で動かなかった。
「そのためには武をおろそかにはできませぬ。さすれば刀を使わずにすむ世の中が続きます。おごらず、ぜいたくを戒めれば財の蓄えができ武をととのえられます」
「わしは、そのようにしてきた積もりだが、敗れて島に押し込められ今だに逃げ惑っておるが」
 為朝は大きな体を窮屈そうに前後に小さく揺すって笑った。
「ま、よいではないか、おごらずに贅沢せずに武を磨く、さすれば、うまいお茶が飲めるのであれば申すことはないぞ」
 定秀に先ほど飲み干した茶碗をゆっくり突き出した。定秀は自分の茶碗を左手で膝横に置き、かしこまって、出された茶碗を両手でいただいて湯をそそぎ建水にうつした。   
「茶を点てる所作もかなり工夫が進んだようだが、まだまだ不都合があるようだな」
「は、近隣の武家ではそれぞれに工夫をこらし互いに披露しあっております」
 定秀は茶巾で茶碗をふき上げながら栄西を見た。栄西の半眼で力を抜いた姿がほっとしてみえた。
                        平成二五年五月一六日