ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中はエッセイ教室だった。

めちゃくちゃに暑い、昨日も今日も福岡市内は38度になった。
エッセイ教室の後、居合の稽古までの時間、図書館ですごした。
今日のエッセイは、


妻の友人たちがやって来た。             中村克博


朝から電気屋さんが梯子をかけて屋根に登ったり、押入から天井裏に潜り込んだりしていた。昨日からテレビの受信工事をしている。テレビの映りが悪くなって久しい。僕は十年以上もテレビを見ないので気にもしていなかったが最近そうもいかなくなった。天井裏から出てきた僕と同年輩の電気屋はしたたる顔の汗を手の甲で拭いながら、鼻にかかったしゃがれ声で、
「昼からもう一度来ます。接続ケーブルを全部取り替えてみます」
とこれまでの経過と問題点を説明した。
「そうですか、昼過ぎに来客がありますが気にしないでやってください」
と僕は説明の意味が分からないまま応えた。
むかし僕が若い頃はテレビのアンテナ工事は自分でも簡単にできていた。アンテナからの線をテレビに繋げればそれだけでよかった。それが昨今、CS、BS、UHF、VHF + 地上デジタルといろんな放送がある。アンテナの数も二つ三つと、もっとあるのか分からない。アンテナからテレビに至るまでにもブースター、分配器に分波器、DC一五ボルト付属電源などいろいろあって頭の中が混線しそうだ。
簡単なお昼を済ませて、しばらくすると天井裏から音がしていた。台所で、もうすぐ来る友人たちの、もてなしを準備していた妻の携帯が鳴った。友人たちの訪問が一時間ほど遅くなるらしい。今日は夕方から海に出てヨットでサンセットを見ようとの予定がある。天気のいい夏の日で風もなく穏やかな海だろうが女性が四人なのでベテランヨットマンに助っ人を頼んでいた。それでその旧友の海の男に遅くなる旨の電話を入れた。二度、三度、携帯に電話するがでない。何度やっても留守電になる。ま、いいかと思っていると先方からかかってきた。
「おう、今日は何時からやったかなぁ」
「こっちを二時過ぎに出て、そっちに四時前に着く予定やったばってん、一時間ほど遅くなるごとある」
「そんなら、ヨット、乗る時間ないやないか」
「いや、サンセットを見るとやき、 ヨット初めての人もおるし、風もないし、遅いほうが涼しいぞ」
「わかった。出る前と、近くに来たら電話してくれ」
 まもなくして妻の友人から電話があった。近くまで来ているが道に迷ったらしい。妻は歩いて迎えに行き三人をお連れした。グリュックがいそいそと愛想をふりまいている様子が網戸越しに見える。お一人はすでに何度もお会いしているがお二人には初めての挨拶をした。座敷に上がってすぐにお茶とお菓子が出た。いや、コーヒーとチョコレートだったかもしれない。グリュックが鼻で網戸を開けて入ってきた。僕と目があった。僕は目に力を入れた。グリュックは自分が犬だったことを思い出したようにすごすごと後ずさりして出ていった。網戸は閉めないで鼻だけ入れて口で荒い息をしている。お土産にと用意していた僕の手作りのまな板を妻がバスケットに入れて持ってきた。偶然だがペンギンの形をしたもの、文庫本くらいのチーズ切り用のもの、長めで菓子盆にも使えそうなもの、カッティングボードと言う方が多くにはしっくりするようだが、僕はなぜだか、まな板という言い方が折り合いがいい。このまな板は妻の要請で作っているが何日もまな板ばかり、いろんな形のをたくさん作っていると段々に面白くなってきた。それに女性がまな板に意外と興味を示すことが分かってきた。お客さんたちはそれぞれ好みのカッティングボードを選びながら話が弾んでいたが長居はできない。
ハーバーに着くと知り合いのヨット乗りたちと出会った。先ほど、この時期恒例の能古島一周レースが終わったばかりらしい。日焼けしてクタクタの顔を水道の蛇口で洗っていた友人に一緒に行こうと誘うと今日はもう十分だと辞退した。「ひらひら」のデッキに上がると「艤装は海の上の方が涼しい、すぐに出そう」と友人が言った。四五日前にも「ひらひら」は一緒に乗って動かしていたし、この暑さではエンジンの暖機は必要ないのだろう。西寄りの北風が吹いて太陽は西の空に四五度、雲がかかって、ぼんやりしていた。風上に向けて走りながらセールカバーを解いて帆走の準備をした。波もなくそよ吹く風は気持ちよくて作業中に汗も出ないほどだった。夏の夕暮れどき少し風があれば海の上は意外と涼しい。この日は空が澄んで遠くまでよく見える。水平線のかなた北西一五マイルほどにある小呂島が机島の先に小さく見えていた。 
メインセールは二人掛かりで難なく上がった。ジブセールも左舷、ポート側に展開した。機関停止、エンジン音が消えて波の音だけになった。上り角度いっぱいで北西に向かう。いい走りだ。僕の友人は舵取りをお客さんたちに代わる代わる体験させていた。日曜日の夕方、博多湾にヨットの帆影は見えなくてセールを巻いて機走で帰る一隻とすれ違った。六マイルほど遠く玄界島の手前に大きな貨物船が停泊しているのが航空母艦のように見える。今津の毘沙門山の東にある岩礁に近ごろ枝ぶりのいい木が目に付くようになった。以前は岩肌剥き出しの岩礁だった。松だろうか二本ほど大きく育っている。それを見ながらタックをして船は北東に向いた。その後タックを二度くり返して能古島と像瀬の間を抜けて少し北に上ったころ夕日は西浦の半島に差し掛かかっていたが、まだ青い空に煌々と輝いていた。その頃には舵取りにも飽いたのだろう女性たちは舳先のデッキにしゃがむように集まって楽しそうに話が弾んでいた。真夏の夕日が沈む頃、すこし風があれば海の上はわりと涼しい。僕は、夕焼けはまだか、まだか、どんな日没になるだろうと気にしていたが、待てば返って夕日は遅々として沈まなかった。七時を回った。船を反転させることにした。風下に向かうことをベアリングという。帆走中は短くベアしようという。風は追っ手になった。風と一緒に向かって走るので風を受けない。急に蒸し暑くなったが舳先でのおしゃべりに変化はなかった。誰かに電話したり写真を撮ったり忙しそうだ。輝いていた夕日が西浦の山に半分ほど沈むと辺の雲が赤く、そして橙色に、さらに黄色に染まっていった。夕日が沈んで夕焼け雲と重なった空の青はより透明に見える。
舳先でのおしゃべりは止まって感嘆の声があがっていた。日没は毎日ある。同じような感動を何度か繰り返せばもう感動ではないはずだが日没の景色はやはり感慨深い。よく見る海の珍しくもない夕日が沈んで、たそがれどきの明るさはもう少し続くが、いずれ夜が来る。   
                          平成二四年八月二日