ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今日は「きらくにエッセイ」の受講日だった。

雪のためにエッセイ教室には行くことができないと思っていた。
昨夜はそう思っていたので提出する原稿は手付かずのままだった。
グリュックのことを書こうとしていたが出来ていなかった。
ところが、朝になると積雪は大したことはない。行けそうだ。


それで急遽、鵜戸神宮の奉納を記事にすることにした。
これまで三年、三度、奉納に出かけたのでブログの書き溜め文がある。
それをツギハギすればなんとかなりそうだ。
雪が積もった道をゆっくり下りて国道に出た。
国道は除雪の管理がよくて雪はない。
今日のエッセイはツギハギだった。


鵜戸神宮での居合の奉納              中村克博

二月のついたちの日は宮崎県の日南市にある鵜戸神宮に柳生新影流は演武奉納をおこなう。この日は鵜戸神宮にとってとくに縁のある日で皇室の弥栄と国民の安泰を祈るお祭りであると鵜戸神宮のホームページに書いてある。神武天皇の父君、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)はここの洞窟でお生まれになったと伝えられる。神社のご創建は、第十代崇神天皇の御代とされる。
この日のために二台の車に分乗して宗家や師範たちにしたがって前の日から一路南に九州自動車道をひた走った。
鵜戸神宮は剣法発祥の地でもある。足利時代に剣法の達人と云われた相馬四郎義元が「念流」を、さらに愛洲移香斉が「影流」を鵜戸神宮での神示によって創始した事によると伝えられている。例年、祭典前に福岡藩伝柳生新影流の奉納が行われる。福岡黒田藩伝柳生新影流兵法は第十四代宗家長岡源十郎鎮廣氏がつとめている。福岡藩伝、柳生新影流と徳川将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)、同じ柳生でも、影と陰、が異なっていて、その根拠には未だに定説はなくていろんな説明がある。
居合の奉納は一人三本づつの個人演武と他に組み太刀がおこなわれる。道場での稽古とは緊張の仕方がちがう。真剣勝負とまではいわないが昇段試験よりも身が入るのはたしかだ。何しろ神様にお供えする演武なのだから。我々の出番が終われば、それからは厳かな神事がはじまる。神事は様々に粛々と続く、海風が吹き込んで寒いが、終わるまで動かずにじっと耐えるしかない。
影流・陰流の始祖愛洲久忠(移香斎)の出自とされる愛洲氏は、太平記などによると建武年間に熊野(紀伊)愛洲氏と伊勢愛洲氏に分かれたとされる。伊勢愛洲氏説は延元二年(一三三七年)北畠親房卿等と共に南朝を支えた伊勢神宮神領奉行職・愛洲忠行の一族とする説。熊野(紀伊)愛洲氏説は、熊野(紀伊)水軍で海運や海賊を生業とした一族で熊野灘に面した志摩国五ケ所に進駐したと云う説とがある。伊勢神宮と海運、どちらの説でも愛洲移香斉が鵜戸神宮で修行した事とは何となく繫がりそうな気がする。この時代、商人、大名のほか神社もお寺も明との海外貿易を盛んに行っていたらしい。我が国からは、 硫黄、銅などの鉱物、扇子、漆器や屏風などの工芸品のほか軍需製品である刀剣が大量に輸出されていた事は多くの古文書でしられている。貿易の相手国に製品と一緒に運用方法を輸出する事は古来も行われていたようだ。現代では新幹線の車両や原子炉などと一緒に、その運用や保全のシステムをセットで輸出する。おなじように室町・戦国の時代に刀剣は重要な輸出品であったなら、その使い方、兵法などの運用ソフトとノウハウをセットにして行う商法は有効だったはずだ。剣豪は実は海外貿易のセールスマンだったのかもしれない。 
影と陰。昨年の奉納で鵜戸に来たときだった。中国語に知識のある師範が面白い話をしてくれた。影、かげ、これを中国ではイン(YING)と発音するらしい。陰、かげ、これを中国ではイン(YIN)と発音するそうだ。後に「G」が付くかどうかの違いだが、何度聞いても僕には違いがわからない。 であれば当時のセールスマンにも聞き分けのできない人がいた可能性はある。影と陰。案外に単なる聞き間違い、書き間違い、だっただけなのかもしれない。それでも元々の文字は、意味は、どうだったのかの疑問は残る。 

式典はすすんで、詔(みことのり)が神官によって奉読された。意味不明なのりとごとの文言を聴きながら、日本人とは何だろうと思った。日本とはなんだろう、と思う。うつらうつら思っていると舞楽・納曽利(なそり)の奉納が始まった。 愛洲移香斉は「影」をどんな意味で使ったのだろうか、 やはり気になる。鏡に映る姿は実態ではなく影というが、はたしてそうなのだろうかと思う。あんがい影こそが、自分では気づいていない本質を見せているのではないのか、移香斉が鵜戸の岩屋で開眼したというのはそう言う事かもしれないと思った。敵の本心を見抜く、自分の本当を知る。それは自分自身を守ることになるのだろう。後世、活人剣は人を活かすものというが、その前に自分が生き延びる手立こそ本義なはずだ。影、と陰、本来同じ意味なのだ。広辞苑を引いてみた。日・月・灯火などの光。月影とは月の光のこと、水や鏡の面などにうつる物の形や色。とある。新影流の「影」のことを考えていたら、神社の御霊代(みたましろ)に鏡が使われている理由に思いが馳せた。
きっと、鏡そのものがご神体ではないのだろう。鏡の前に座って、そこに映っている自分自身を見つめる。表面だけでなく、そこから自分の本当の姿をみつめる事なのかもしれない。自分とは何か、を問い続ける事が鏡に映る自分の影の意味なのかもしれない。

今年も僕は海上安全のお札を買って帰った。なにしろ、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)をお生みになった豊玉媛は海神の娘だ。ギリシャ神話で海神はポセイドン、その娘はガラティア、別名をアプロディーテー、英語ではビーナスという。ビーナスに思いを寄せたアドーニスという青年がいたらしいが、アドーニスは狩猟の最中に野猪の牙にかかって死んだ。という。影流は摩利支天を信奉する。摩利支天、この守護神はイノシシに乗っている。何とも伝承とは入り組んでややこしいもんだと思う。 

平成二四年二月三日