ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

昨日の21日は「きらくにエッセイ」の受講日だった。

先日の香椎宮での奉納を題材にして提出した。


   秋たけなわ                          中村克博


 香椎宮で秋の大祭があった十月十六日の日曜日、前日の夜は遅くまで雨が降ったり止んだりしていたが目が覚めると空は高く晴れていた。香椎宮ではこの日、福岡黒田藩伝柳生新影流の演武が恒例に奉納される。新参者の僕も今回で三度目のお勤めになる。いつものように起床して、六時前には稽古着に着かえ南面して作法通り黙祷した。南を向くのはその方角に我が家のお堂があるからだ。山の冷気は凛として部屋は清々しかった。少し長く黙祷したあと基本刀法、基本切り技、基本突き技を丁寧に繰り返した。  

 八時過ぎに八木山の家を出た。居合の稽古着に青いコットンのハンチングを被って、袴の足には黒足袋にリーガルの革のスニーカーを履いていた。これなら境内の更衣室で着替える面倒はない。ハンチングを被るのは車を運転している間に髪の寝癖が取れる効用があるからだ。袴にスニーカーも不似合いのようだが運転はしやすい。幕末には革靴を履いたハイカラな武士もいたようだ。クスノキの老木が鬱蒼と両脇に続く参道には行きかう自家用車が連なって遅々と進まない。早めに出かけて良かったと思った。ゆっくり進むフロントガラスに枝葉の間から洩れて来る朝の日差しが心地いい。

 境内は静かだったが神事が始まる頃には参詣の人たちが多くなった。拝殿の賽銭箱の前に並んだ人達が次々と柏手を打つ音が続いていた。我々は演武の奉納を行う奏楽殿での準備を済ませ、古代の武士のように無蓋の砂地に置かれた床几に腰をおろして待った。境内の人の動きがとまって静かになるころ、笛の音が聞えていた。間もなく本殿前の幣殿で神事が始まった。巫女さんたちが舞っているのが小さく見える。奏でられる音曲は雅楽、巫女の舞う踊りは踏歌(とうか)と言うらしい。風が強くなって幟の竹竿の一つが倒れて「コーン」音をたてた。禿げた頭を手で押さえているおじさんが人込みの遠くに見える。かなり痛かったようだ。「子供に当たらなくてよかったねぇ」と誰かが言った。幣殿ではお供えをする様子は見えないが祝詞(のりと)を奏上する声はかすかに聞こえる。小鳥の声もする。何を言っているのかは元より分からない。

 しばらくして神域は少しずつ賑やかになって人の動きが起きた。お囃子の笛や太鼓それに鉦の音がする。獅子舞いの奉納が始まるようだ。僕の前に粛然と座っている師範に気づかれないようにそっと床几を立ち、デジタルカメラを持って賑わいの中に入って行った。
僕の黒い袴姿を見ると見物の人込みは道を開けて通してくれる。最前列にしゃがみこんで存分に写真を撮った。この文章を書きながら気付いたのだが、その時僕が佩刀していた刀はどうしていたのだろう。そうだった、刀は床几に立てかけて置き去りにしていた。不覚なことだ。これだけでも江戸時代の武士なら切腹ものかもしれない。ファインダーを覗くのに夢中なカメラマンはすっかり武士の精神を忘ていたようだ。獅子楽の奉納に続いて福岡黒田藩伝柳生新影流の奉納が始まる。

 香椎宮は旧官幣大社。四柱の御神体である仲哀天皇神功皇后応神天皇住吉大神を御祭神とするが今は仲哀・神功の二座をまつる。本殿は日本唯一の建築様式で香椎造といわれ重要文化財に指定されている。現在の社殿は一八〇一年(享和元年)に黒田長順により再建されたものらしい。香椎廟、香椎神宮と呼ばれることもあるが正しくは神宮ではない。これは最寄りのJR九州の駅名が一九八八年(昭和六三年)に「香椎神宮駅」とされたことに由来する誤謬である。これが事実ならJR九州は謹んでお詫びするとともに駅の名を訂正しなければならないが、このようなおおようさもこの国のユニークなところだろう。

 獅子楽の奉納がしまわれると幣殿にいた参拝者や巫女さんや神官たちが退場を始めた。我々も席をたって居合の奉納をする奉楽殿に歩き始めた。この日の参加者は個人演武をする初心者が五名、組太刀をする練達な人たちが三名、さらに宗家と三名の師範を含めて一二名だった。僕は初心者の殿を務めた。出番が終わるとそそくさとデジカメを持って俸楽殿の階段を下りて組太刀を撮り始めた。どうも場所が良くないのだが何となく師範の目が気になる。みんなが厳粛な態度で演武をしている時にうろうろしてはまずかろうかと思う。
それでも後でモニター画面を確認するとどうにか良さそうに撮れていた。しかし個人演武は一枚も撮れていない。僕の出番を殿でなく先鋒にしてくれればみんなのも撮れるのだが、提案したいが、何を考えているのですかと師範に言われそうだ。無事に全員が演武を納めてみんなで記念写真を撮った。宗家が嬉しそうだった。

居合の奉納の後、お昼は社務所で折詰が振舞われるのだが所用があるので僕だけが一足先に引き取った。居合の稽古着のまま車に乗った。香椎宮の折弁当はおいしいのだが仕方がない。八木山に帰って夕方、いつものようにグリュックの散歩をした。朽ち葉色というのだろう黄色から赤味がました柿の葉の映りがいい。枝先に残った柿を二つほど頂くことにした。「山の木の実は神のもの。ひとつふたつは旅の人、残りの熟柿は鳥さんに」と高くはない柿の木に登って行った。「いいのですか、そんなことはやめましょう」と下から声がする。最初に手にかかった一個をかじってみた。うまい。食べ終わった残りをグリュックに投げた。大きな口でパクリと受けた。左手にはいつの間にかもう一つの柿の実があった。用心しながらさらに一足登り右手をもう一個の枝先に伸ばすと、よく見ればその横に照り葉に隠れてもう一個うまそうなのが半分沈んだ夕日に光っている。グリュックが見上げているので先の一個を丸ごと落してやった。大きく開けた口の鼻づらを柿が跳ねた。下の人が転がった柿をグリュックに拾うのが見える。グリュックは鼻を鳴らして食べ始めた。僕は口いっぱいに柿を頬張って西の空を見ていた。太陽は山影に入ったがまだしばらくは明るい。暗くなる前の西の空の青さは、どうだろう。木の上で柿を食いながら遠くの空を見るのはいいもんだ。香椎宮で頂き損ねた折詰のことはもういいや、と思った。

                          平成二十三年十月二十一日